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Posted by ブクログ
昨今、熱狂の渦の中心とも、批判の対象ともなることも言及されることが多くなった「アイドル」。アイドルについてされがちな言説についての交通整理を行い、それぞれの言説をフラットな立ち位置に立たせ、「アイドル」(特に女性アイドル)の現状を冷静に見ることができるようになれる本。
「アイドルの歴史はこうだった」とか「アイドルはこういう解釈だ」「アイドルとはこういうものだ」という本や文章は多いけれども、それらの言説を整理するという意味では、この本はアイドルについての論壇の中で非常にレアであり、かつ重要な位置づけができるはず。
ただ、香月さんのように非常に丁寧な交通整理をもってしても、いやむしろ丁寧な手法だからこそ、「「アイドル」自体が日本社会のなかで、一見非常にわかりやすそうで、実際にはものすごくつかみどころがない言葉なのだ。アイドルについて語るとき、我々はアイドルは何なのか、あまりにわかっていない」(あとがきより)ことが明示されるというジレンマを改めて実感することができた。
個人的には昨年のさわやかさんの『AKB商法とは何だったのか』と双璧のアイドルについての批評本なんじゃないかと思っている。
Posted by ブクログ
現代の日本においてさまざまな人びとによって語られる「アイドル」ですが、著者はそれらの言説は錯綜しており、アイドル・ファンや批評家たちにとってもわかりにくくなってしまっているといいます。本書は、そうした錯綜するアイドルにまつわる言説を解きほぐし、交通整理を試みた本です。
著者はまず、「アイドル」ということばがどのように理解されてきたのかを明らかにします。そのうえで、「アイドル」についての一定の理解が成立するに至ると、そうした「アイドル」へのメタ言及的な批評性をそなえたアイドルたちが登場するようになります。秋元康が作詞を担当した小泉今日子の「なんてったってアイドル」はその典型であり、やはり秋元がプロデューサーを務め素人性を前面に押し出した「おニャン子クラブ」によってそうした「アイドル」現象の享受形態は定着しました。
他方で著者は、そうしたメタ・レヴェルの「アイドル」をめぐる言説においては、アイドルである少女たち自身の「自主性」のようなものが抜け落ちていたと指摘します。そして、現代の日本において「アイドルらしさ」が一つのフォーマットとなっており、それぞれのアイドルはその形式を「乗りこなす」ことで、みずからの「自主性」のようなものをかたちづくっていると論じています。
著者がはっきりとそのように語っているわけではないのですが、いわば「アイドル」という語りの「形式化」の果てに「強度」を見いだし享受するというしかたで「アイドル」という現象を理解しているとまとめることができるように思いました。また、サブカルチャー批評において『うる星やつら』の「ビューティフル・ドリーマー」からセカイ系への展開を論じた東浩紀に対して、ゼロ年代におけるサヴァイヴ系の興隆の意義を説くとともにAKB48の魅力を語った宇野常寛の仕事の果たした役割を明瞭に見てとることができるような視座が、本書において与えられているといえるのではないかと思います。