あらすじ
「コロッケ」「キャベツ炒め」「豆ごはん」「鰺フライ」「白菜とリンゴとチーズと胡桃のサラダ」「ひじき煮」「茸の混ぜごはん」……東京の私鉄沿線のささやかな商店街にある「ここ家」のお惣菜は、とびっきり美味しい。にぎやかなオーナーの江子に、むっつりの麻津子と内省的な郁子、大人の事情をたっぷり抱えた3人で切り盛りしている。彼女たちの愛しい人生を、幸福な記憶を、切ない想いを、季節の食べ物とともに描いた話題作、遂に文庫化。(解説・平松洋子)
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Posted by ブクログ
やはり再読したくなった本。ネタバレありです要注意。
江子、麻津子、郁子の60代の女性3人が営むお惣菜屋「ここ屋」の、ご飯が炊ける描写から、この物語が始まる。
料理の(しかも、単なる家庭料理ではなく、売れるお惣菜を作る)腕は確からしい。
3人にはいずれも、それぞれの人生で関わりのあった男性への想いがある。離婚した相手を諦めきれない江子、1人をずっと思い続ける麻津子、夫を亡くした郁子。それぞれが持っている「想い」は、それぞれの「思い込み」でもある。現実とのすれ違いを認められず、捨てきれないところを、物語が一つずつ解いていく。共通の想いびととして描かれる進くんは、3人のおばさんたちに翻弄されて面白いが、ある意味重要人物でもある。
人って、簡単に思いを捨てられないし、吹っ切ることも難しい。それは美味しいご飯やお酒があっても振り切れることではない。でも、生きるための営みの中に、想いはある。
炊きたての米の旺盛な湯気に始まり、キャベツ炒めのシンプルな味付けで終わる、と思っていたら、最後に一波乱あった。この物語の妙味を味わう。
Posted by ブクログ
居場所と一緒に食べることって必要だと思った。
郁子にとって「ここ家」はただの職場だったのが、江子や麻津子、進と接するうちに居場所になっていき、自分の過去に向かい合えるようになってきている。
きっと江子や麻津子にとっても「ここ家」は職場を超えた存在だと思う。
作中に出てくる料理(惣菜)がどれも美味しそうで、
読みながら、ゴクリと唾が出てきた(笑)
Posted by ブクログ
・夫(のせい?)で息子を失ったと思っている
・ずっと好きだった人に振られても思い続けている
・結婚して同じ職場の人に主人を取られる
もう少し本の中では詳細に語られるけど
3人の抱える大人な事情はこんな感じ。
これが本を読むにつれて徐々に明らかになる。
どれも苦しいけど、のらりくらりと
それを受け入れながら日々を過ごしていく。
嫌な思いをさせられたと相手が思っている
その気持ちにかこつけて、前の旦那さんに
気まぐれに電話をしてしまう江子には
同情もしちゃうし、奥さんにも気を遣って
あげたらいいのにと両方思ってしまう自分がいた。
自分は悪くない上に、まだ好きだもんね…
たかが風邪でくらいで病院に
行かなくてもいいよと言った矢先に
肺炎で息子をなくしてしまう郁子。
前に進めそうなときに限って
その話を引き合いに旦那さんに当たってしまう。
とてもいたたまれないと思って読んでいた。
この二つはもしかしたら一番近い未来で
ありえるかもしれないという意味で
感情移入が一番できてしまった二人。
3人ともしっかりキャラクターがあってよかった。
3人ともパワフルなので60代というのが
まったく想像できずに読み終わってしまった笑
Posted by ブクログ
突然同僚が貸してくれたのですが、そういえば井上荒野さんの作品は読んだことがなかったなと思って、ありがたく読んでみました。
なんだか不思議なお話でした。SFとかファンタジーという意味ではなくて。なのに、すごく地に足の着いたというか、ちゃんと人生を感じられる小説でした。
たぶん不思議な感じがしたのは、ストーリーに対する主要人物三人の年齢のせい。東京のとある町でお惣菜屋さんを営む江子と従業員の麻津子、郁子ともに60歳前後のいわゆるおばさんである。それなのに、江子は「きゃはは」と笑い、麻津子はダーリンとうまくいくことを望み、郁子は「いやーん」と色っぽい声をだしたりする。3人とも年齢が年齢だけにこれまでの人生ままならずにここまできている。江子は意気投合して一緒にお惣菜屋を始めた友人と自分の夫ができててしまい、離婚され、今も夫から精神的に自立できず、たまに二人を訪れたりする。なんだか、痛すぎて「あちゃー」と思うのだけど、人生そんなことになったりもするのかも、なんて思ったりして心の底から江子を「痛い人」とは思えない。麻津子のダーリンはかつて麻津子と婚約しながらも他の女と結婚、そして離婚したような男である。そんなやつを今でも麻津子は待っているようでこれまた「あちゃー」となる。個人的には江子より麻津子が痛いかなぁ。そして、郁子の事情は一番辛い。息子を二歳で亡くしており、そのことで夫を憎みつつ、本当には憎んではいなかったと思うけれど、その夫も前年に亡くしている。人生ままならないもの。本当にそうだとしても特に郁子の場合そう思えるまでどれくらいの時間が必要だっただろうと思いをはせてしまう。
そんなこんなで歳を重ねてきた三人が一緒に働く総菜屋はなんだかんだうまくいっていて、何より美味しそうな料理の数々に、なんだかホッとする。色々な食材と次々に出てくるお惣菜に、地に足の着いた生活を感じるのである。
いい歳した三人のおばさんが米屋の配達の若い進くんを気に入って、なんやかんやと彼を誘ったり、どこまでいっても「あちゃー」なんだけど、やはり憎めない。読んでいてい途中で三人の年齢がわからなくなるようなあれこれがある小説で、不思議な感じがしつつも、なんだか元気がもらえた気がします。
「人生はままならないもの」。
三人三様の中高年の孤独をただの淋しいものとしてだけでなく、噛みしめ受け容れながら、元気にお惣菜屋をやりくりする三人に、こんな人がたくさんいたらいいなと純粋に思いました。三人が元気なのは、美味しいものを美味しいと食べることができるからなのだと思います。恥ずかしながらここに出てくるお惣菜の数々、作ったこともなければ食べたこともないものもたくさんありました。ひとつの食材を前にしたときに三人からポンポン出てくるお料理のアイデアに、これまでの人生きちんと食事をしてきた人たちだとわかります。バタバタの毎日で、凝ったものは作れないけれど、それでも何とか「食」が生活の土台となるようきちんと気を配ろうと思いました。