あらすじ
私が漱石山房に出入したのは明治四十年から大正五年先生が亡くなられた時まで、十年間である。その間に私はただの一度も先生に叱られることがなかった。それは私が入門した時の事情から、先生がとくに私の神経をいたわって下さったということもあろうが、とにかく私は一度も先生から叱られたことがなかった。それで私は先生を恐いと思ったことがなかった。神経衰弱でいじけており、この偉い先生の前で畏まってはいたが、恐いと思ったことは一度もなかった。こんな優しい人が世にあろうかと先生の在世中も思いつづけたし、死後の現在でもあんな優しい人には二度と遭えないと信じている。(「世にも優しい人」)
漱石晩年の弟子の眼に映じた師とその家族の姿、先輩たちのふるまい……。文豪の風貌を知るうえの最良の一冊。
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Posted by ブクログ
筆者の主観とはいえ、夏目漱石の周辺や没後の弟子たちの相克が赤裸々にされていて、野次馬としては面白かった。
私信をさらけ出すのはどうかという気がしないでもないが、自然科学でフラットな討議をするのと同様なことなのだろうか。私は理系なので、そこらへんがよくわからない。しかし、兎にも角にも、後世には役立っている
Posted by ブクログ
久し振りに漱石関係、しかも漱石山房関係者の本を読む。著者、林原耕三という名前は知らなかった。著者によると、明治40年から大正5年先生(漱石)が亡くなられた時まで、10年間漱石山房に出入りしたとのことである。
漱石との関係は、漱石からもらった手紙に良く現れている。漱石は著者の学生時代の保証人にもなっていたようで、漱石は著者の学費等の金銭的な心配や奨学金の給付にも手を尽くしていた。師漱石に対する著者の敬愛の念は深い。
それだけに、漱石を巡っての鏡子夫人との確執や、兄弟子、先輩同輩との関係にも難しいものがある。漱石全集の校正に関するイザコザを読むと、それぞれの言い分があるのだろうが、著者のあまりの一途さが周りとの軋轢を生んだのかもしれないと思う。
なお、本書第三部では、直接山房の人々ではないが、著者の記憶に残った人たちについての文章も収められている。素木しづ子という人から著者への書簡が載せられているが、一体どんな関係だったのだろうか。最後は絶交の手紙が来たとある。(ただし、その手紙のみは掲載されていない)
しかし、時代もあるのだろうが、文学者の間のこととは言え、やり取りした手紙を公表されてしまうというのは厳しいものだ。