あらすじ
その突拍子もない発想や間違いの奥には何があるのだろう.子どもの言動は,一見意味不明でも,よく聞き出すと,子どもなりに一貫した考えや理由をもっていることが多い.数学者である父親が,わが子と算数を考えることを楽しみながら,子どもの頭の中で何が起きたのかを推理する.学びとは何かを深く問いかけるエッセイ.※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
子どもが算数で躓いたら?と思って買って、しばらく積読になっていたけど、読んでみると、子どものためというより、自分のために良かった。
P.67「実は数学者の日常もこの点は変わりなく,新しい概念や考え方は,いつも時間をかけて学んでいる。…分からないものが分かるようになるために必要な時間を確保する」
ことが足りなていないのだと、改めて認識できた。
Posted by ブクログ
数学者による、わが子の算数“事件簿”。
それは、「誤り」を考えるための足場とする著者の価値観を、次の世代に伝える記録でもあるのだろう。
算数=いかにミスなく操作できるかであった私からすると、うらやましい環境だ。
誤りを面白がり見守る文化に浴することが、私もできたらと思う。
Posted by ブクログ
数学の研究者である著者が、自身の子どもとの算数に関するエピソードを紹介しながら、子どもがどのように算数を理解しているのかについて紐解いていく。子どもの間違いについて、著者が興味を持ち、深く考察していく過程がとても面白い。ついつい自分が当たり前と思ってしまう算数の概念も、子どもにとっては新しく、何年もかけて理解を深めていくものなんだ、ということを常に忘れないようにしたい。
Posted by ブクログ
誤りには、我々の理解に改善の余地があることを示してくれている。子どもに教えるときは、たとえ善意であっても、本人の思考を置いて誤りを訂正してはいけない。
Posted by ブクログ
誤りを過渡的な状態であると尊重しよう、というメッセージが目から鱗。その場ですぐわかってほしいし、そういう知識の伝え方が求められているのかと思っていたところがあると認識できた
Posted by ブクログ
子どもが算数の問題を解くとき、突拍子のない誤りをすることがある。大人にとっては意味不明な間違いでも子どもの思考プロセスを丁寧に想像してみると、全くの出鱈目を答えたのではなく、子どもなりの推論に基づいて答えを出していたことがわかる。子どもの算数の誤りを数学者の筆者が丁寧に解きほぐすことで、素朴な算数は多面的で意外な奥深さを持った算数となり、また、一見、ネガティブな印象を与える「誤り」が、知識を血肉化し深い理解へと到達するためのポジティブな道標として機能することを教えてくれる。
子どもの学習に対する関わり方や、誤りの価値について考えるのに適した良書である。
Posted by ブクログ
子どもの思考回路を覗き見るヒントが満載の本でした。
「たまごが7こありました。なんこかつかったあと見たら、のこりは2こでした。なんこつかったでしょう。」
子どもは答えの欄に [5こ] と書く。
この問題には"答えをもとめる式"の欄もある。
そこに子どもは、[ 7 - 5 = 2 ] と書いた。
期待した正解は [ 7 - 2 = 5 ] だったのだが、これは"答えをもとめる式"としては不正解なのだろうか?
「3cmの本を並べたら18cmになった。何冊並べたか。」という問いに対しては、
子どもは少し時間がかかったが正しく [ 6冊 ] と正解した。
式は(18 ÷ 3 = 6 でなく) [ 3 × 6 = 18 ] だった。
算数を習い始めた子どもにとっては、これが素直な発想なのかなと思えた。
問題の日本語をそのまま式にしたら確かに 7 - □ = 2 や 3 × □ = 18 になる。
その上で、子どもは □ を求める問いだとちゃんと分かっている。
学校の算数の授業で鍛えられた大人にとっては「おっ、そうくるか?」と一瞬思うが、
自分も子どもの時は、このように考えて答えにたどり着いていたのかもしれない。
3が100こはサンビャクだと覚えたので、100が3こはと聞かれればヒャクサン(かな?)と答える。
11時の1分前はと聞かれ、10時69分と答える。
小数を学び始めた子が、0.2 × 3はと聞いて 0.6 だと答えられても、3 × 0.2 はと聞くと答えられない。
子どもの頭の中では、どのように考えが巡っているのかを解明(推理)していて面白かった。
テレビで野球を見ていると、画面の隅に 137km/h のように字が表示される。
子どもが何だ?と聞くので、親はピッチャーが投げた球のスピードだと言う。
子どもが km/h って何だと聞くと、親は1時間で進む距離だと言う。
子どもがピッチャーの投げた球が1時間も飛ぶわけがないので意味が分からないというと、親は黙る。
子どもの珍答・迷答・誤答に対して、思考プロセスを無視し単に不正解として処理するのでなく、どのように考えたのかや何につまずいているのかを理解して、もう一歩先に進めてあげることの難しさを考えさせられました。