あらすじ
■性をめぐる宗教界のスキャンダルとは
■なぜ浄土真宗だけが僧侶の結婚を許されていたのか
■親鸞は本当に「愛欲の海」に沈んだのか
■カトリック教会が頑なに独身制を維持する理由とは
■イエスに邪な気持ちはあったのか
■なぜイスラム教は性を禁忌としないのか
■罪となる性行為の中身とは
■密教にも存在する性の思想とは
キリスト教・仏教・イスラム教……
人間の性の欲望と戒律をめぐる
すべての謎を解き明かし、
宗教の本質に迫る!
・・
性ということと宗教とはどのように関係するのか。
それがこの本のテーマです。この場合の性とは、
文化的、社会的に作り上げられた性差としてのジェンダーを意味しません。
行為を伴ったセックスとしての性です。
この本は小著ではあるものの、世界の主要な宗教における
性の扱い方を対象とすることによって、
「性の宗教史」としての性格を持っていると言えるかもしれません。
それは、これまでになかったアプローチの仕方ではないでしょうか。
篤い信仰を持っている人たちは自らの宗教を神聖視し、
欲望とは切り離された清浄なものと見なそうとします。
それは信仰者の願望ということになりますが、
そこで性の問題を無視してしまえば、人間の本質にはたどりつけません。
人間は、自らが抱えた性の欲望に立ち向かうことで、
宗教という文化を築き上げてきたのではないでしょうか。
性を無視して、宗教を語ることはできないのです。
・・
本書のおもな内容
第1章 なぜ人間は宗教に目覚めるのか
ーーーー信仰の背景にある第2次性徴と回心の関係性
第2章 イエスに邪な気持ちはあったのか
ーーーーキリスト教が「原罪」と「贖罪」を強調した理由
第3章 なぜ聖職者は妻帯できないのか
ーーーー仏教とキリスト教の違い 女犯とニコライズム
第4章 戒律を守るべき根拠は何か
ーーーー邪淫が戒められる理由
第5章 なぜ悟りの境地がエクスタシーなのか
ーーーー房中術と密教に見る性の技法
第6章 なぜイスラム教は性を禁忌としないのか
――――預言者の言葉から読み解くその実態
第7章 親鸞は本当に「愛欲の海」に沈んだのか
ーーーー浄土真宗だけが妻帯を許された理由
第8章 神道に性のタブーはないのか
ーーーー日本独特の道徳観と系譜
第9章 なぜ処女は神聖視されるのか
ーーーーマリアとスンナに見るその意味
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Posted by ブクログ
空海、密教おもしろい。
古代人にとって性欲のコントロールは重要テーマ。
性と全然関係ないところで聖徳太子信仰の話でこないだ四天王寺に行った時の壁画の謎がちょっと解けた。
Posted by ブクログ
性と宗教という、ちょっとタブーとも言える話だか、面白かった。キリスト教や仏教が禁欲的なのに対して、イスラム教は意外と寛容。
気付かされたのは、ここで語る性とは、男性の立場、視点から見た性であるということ。宗教とはすなわち、古代において男尊女卑の社会から生まれた信仰につき、性の捉え方も、どうしても、男性視点になるということなのだろう。
Posted by ブクログ
性と宗教、というと縁遠いような印象と、非常に近い印象との二つの相反するイメージがある。
本書は、まさに性行為そのものが、各宗教でどう取り上げられてきたかを示している。
主に取り上げられるのは、キリスト教、イスラム教、仏教、神道だが、そのほかの教義についても一部触れる。
古い宗教である、キリスト教、イスラム教、仏教については、女性の地位が一段低く扱われることがある。
例えば、仏教においては変成男子、イスラムの9歳から結婚が可能と考える根拠、バチカンの女性神父拒否など…
現代にそぐわないとされる教義も、後世の人々が勝手に替えられないというところに、宗教の在り方が問われていることも、筆者は後書きで指摘している。
これは研究者らしい視点で、よく指摘してくれたと思う。
また、面白いのはヨガ思想にかかる指摘として、オウム真理教についての指摘もあるところだ。
本書は宗教についてなので、この団体が何を行ったかなど、刑法等に係る指摘はなされていないが、
新宗教の教義に係る話の流れとした興味深い。
人に備わっている性欲をどのように捉えるか。
生き物としての根源を考えさせ、実に興味深い。
Posted by ブクログ
興味をそそるタイトルだったので手に取った。全体を通して面白く、新たな発見が多かった。
バランスとしては仏教の比重が多く、仏教と神道においては入門レベルを超えた内容だった。
その点、イスラムは割合として少ないながら、他ではなかなか知ることのない話を目にした。
読む易い本なので、興味のある人には勧めたい。
Posted by ブクログ
宗教では禁欲主義が多い。人を導いていく指導者には、人間の性の欲望が邪魔となるものだろうか。
一般的に考えても、目標に向かって継続して努力することに必要なことは、性の欲望に溺れないことが大事であるように。
Posted by ブクログ
宗教の起源として、若い男性の性欲を持ち出したフロイト。これを如何にコントロールさせるのか、法律ではなく、ある種の精神論として戒律が生まれたという事か。事実、仏教やキリスト教では性を否定的に捉え、性の目覚めと回心は関連性があるとの事。ちなみに、イスラム教は性に寛容らしいが。
性が否定的に理解されるのは、本能のままに振る舞う事がいかにも動物的であり、神の教えを理性的に体現すべき信仰においてはノイズになるからだろう。性は副次的な快楽を伴うものであり、本来は種の存続が主たる目的であるはずが、主従逆転し、快楽が中心として本能の芯が剥き出しになる。一部の宗教はそれを制限する事で、神に仕えるものとした。ならば神とは本能ではなく、理性に宿るのか。戒律は共通認知であり、制限によって信者を選別する。その線引きが必要なのは、まさに組織の掟だ。その通り宗教とは、組織されて初めて成立するものであり、思想体系にアイコンとして神を用いた組織の力学という事になるのではないか。
テレビが当たり前になった後でインターネットが普及し、世の中の常識や逸脱が共有され易い社会になった。逸脱が許容され、更には多様性として尊重される社会では、宗教はその組織的性質を約束されながらも、法規戒律のコントラストは自然と薄まり、グラデーション社会になるだろう。そうならぬよう、原理主義者が抵抗している。宗教の原点として性を考えてみるには、良いお題の一冊だろう。
Posted by ブクログ
性と宗教は相容れないもののと考えていましたが、生物が命を繋いでいくために必要な性は、ある意味で人間が命や生活の支えとしている宗教と密接に結びついているという考えが目から鱗でした。
Posted by ブクログ
聖職者は妻帯しない、そんな話から始まるものの
後半は民俗学の柳田國男も登場し、性(セックス)男色の話が宗教とどうか関係するのかよくわからない顛末。
最終章のイエスの母であるマリアは処女でイエスを産んだことは無原罪であり、これが様々なことを意味し規範となっているとしる。
イエスの復活で登場するマグダラのマリアとは違うという事がはっきり分かった。(今更だろうけど)
日本の宗教では妻帯を認めているものもあり、この経緯やその発展は成る程と思う。
イスラム教については、馴染みがなく知る機会がなかなかないが、どうしても女性が幼く嫁ぐイメージが抜けない。この本にもその辺りの例があるし、布を纏い晒すことを控えるというものは宗教からの習慣。
決して良し悪しではなく日本人はイスラム教を知らな過ぎると感じた。