あらすじ
戦争、奴隷制、禁酒法……背景を理解すれば、作品がもっとよくわかる
「黒猫」のプルートはなぜ黒いのか? 書記バートルビーはなぜ「しない方がいい」と思うのか? 度重なる戦争の歴史、色濃く残る奴隷制の「遺産」等、アメリカという国、そこに暮らす人々の特異な歴史的・文化的・社会的背景を踏まえて短篇小説を読み解く。これまで主にマイノリティや越境者の文学に注目してきた著者が、メルヴィル、フィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、サリンジャー等、アメリカ文学の「王道」といえる作家に挑む、アメリカ文学入門の新・定番!
〈目次〉
暴力と不安の連鎖―ポー「黒猫」
屹立する剥き出しの身体―メルヴィル「書記バートルビー‐ウォール街の物語」
英雄の物語ではない戦争―トウェイン「失敗に終わった行軍の個人史」
共同体から疎外された者の祈り―アンダソン「手」
セルフ・コントロールの幻想―フィッツジェラルド「バビロン再訪」
存在の基盤が崩れるとき―フォークナー「孫むすめ」
妊娠をめぐる「対決」―ヘミングウェイ「白い象のような山並み」
人生に立ち向かうためのユーモア―サリンジャー「エズメに‐愛と悲惨をこめて」
美しい世界と、その崩壊―カポーティ「クリスマスの思い出」
救いなき人生と、噴出する愛―オコナー「善人はなかなかいない」
言葉をもたなかった者たちの文学―カーウ゛ァー「足もとに流れる深い川」
ヴェトナム戦争というトラウマ―オブライエン「レイニー河で」
愛の可能性の断片―リー「優しさ」
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
教養としてのアメリカ短編小説
2025.5.21
「書記バートルビー」を読んだ。
グローバル文学という大学の講義で触れた文。初めて読んだ時は理解しがたい登場人物が溢れていて、何が何やらよくわからなかった。
しかし筆者の考察を読み、なるほど!こんな捉え方があるのね!と驚かされた。
特に驚いたのは「何もしないこと」についての考察だ。資本主義的思想で満ち溢れ、頑張った分だけお金が手に入るという時代に何もせず虚無的に振る舞うことのコントラストや皮肉、何もしないのはだめなのかと訴えかけてくるという捉え方は鋭いなと思った。アイロニー的文法の本をちょうど読んでレポートを書いていたのでますます興味深かった。(太宰治の「走れメロス」と「十二月八日」)
仕事や文学における摂食障害という言葉も新鮮だった。(過食と拒食に似た症状がバートルビーに現れているという指摘。)
ひとことでつまりこういう文だといえない複雑で解釈しがいのある文だということが重々に伝わってきた。
今後も深みのある文学に触れていきたい。
Posted by ブクログ
「教養としての」とは言いつつも、かなり濃密な内容だった。
米国文学に共通する寂しさに私はずっと惹かれている。
ポーの「黒猫」では、トニモリスンの言っていたように、黒人が脅威のイメージを背負わされている。白人性という幻想に縋るも裏切られ、言葉にならない叫び(殺害)をするしかない貧困層の白人。摂食障害文学に見られる世界を拒否するような何もしなさ、サリンジャーの文学における眠気とPTSDからの回復、カーヴァーの「足もとに流れる深い川」の「backyard」のくだりにみられる夫婦間の言語コミュニケーションの齟齬、イーユンリー「優しさ」に登場する愛の可能性の断片(過去の素晴らしい思い出に縋り、現実的な深い関係を築くことを拒否する)など、確かに歴史や土地には結びついているのだが、人種主義や言語とジェンダーと言った具合に抽象化すれば日本文学にも適用されうる。
あとサリンジャーとブコウスキーを見出したウイットバーネットという編集者も気になる。
今後の研究の指針としたい。
Posted by ブクログ
アメリカという国を文学を通して勉強しましょうという本だと考えると、アメリカ文学に興味ない私のような人でもすんなりと読めると思うので、そういうおすすめのしかたをしていこうと思います。人に勧められる良い本でした。
Posted by ブクログ
一気読みしてしまった。ヘミングウェイ、オコナーをもっと読みたくなった。ベトナム戦争などのワードの解説が簡潔でわかりやすすぎてびっくりした。他の著作もよもーう。
Posted by ブクログ
歴史が浅いだけにいびつな軋轢の中で秩序を構築してきたアメリカ。短編小説を通してそのうねりの中を生き抜いた人々の心理がよく伝わった。特にベトナム戦争前後の米国の戦争観のパラダイムシフトにはとても興味を持った。
Posted by ブクログ
アメリカ文学をアメリカという国の成り立ちをしっかりと踏まえて読み解くとどう読めるのかを紹介している。
ポーの『黒猫』にアメリカの根深い問題である人種(黒人に対する暴力)と飲酒が描かれていることを知り驚いた。戦争と男らしさ、そこから生まれる弱き者(女性、性的マイノリティ等)に対する蔑視等がアメリカ文学の底流にあることを各作品の読み解きから学ぶことができた。こうした機会はあまりないので(「100分de名著」を除けば)有益な読書体験になった。