【感想・ネタバレ】『失われた時を求めて』への招待のレビュー

あらすじ

岩波文庫版『失われた時を求めて』(全14冊)の完訳を達成したプルースト研究第一人者が作品の核心に迫る解説書.この不世出の大長編は,なにを,どのように語った作品なのか.全体の構成,特長,勘所を分かりやすく読み解く.魅惑の読書体験へといざない,全篇読破に挑戦する人には力強い羅針盤となるスリリングな一冊.

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Posted by ブクログ

プルーストはゲイのユダヤ人

「マルセル・プルーストは、一八七一年七月十日、パリ西部のオートゥイユ地区、ラ・フォンテーヌ通り九六番地所在の、母方の大叔父ルイ・ヴェイユの家で生まれた。父親のアドリアン(一八三四─一九〇三)(図 1)は、パリ南西約百キロの田舎町イリエ(一九七一年以来イリエ =コンブレー)の食料品店の息子。パリに出て医学を学び、のちにパリ大学医学部教授を務め、衛生学(とくにコレラ防疫)の権威となった。母親ジャンヌ(旧姓ヴェイユ)(図 2)は裕福なユダヤ系株式仲買人の娘で、文学好きの教養豊かな女性。プルーストは、父親から実証と論理を重んじる科学的精神を受けつぎ、母親から繊細な芸術的感性を譲りうけたと考えられる。  一八七三年には弟ロベールが誕生。ふたりの兄弟(図 3)は、マルセルが喘息の発作をおこすまで、頻繁にオートゥイユの叔父の家に滞在し、イリエでは父方のアミヨ伯母の家で休暇をすごした。オートゥイユとイリエは、『失われた時を求めて』のコンブレーのモデルとなった。ちなみにアミヨ伯母の家は「レオニ叔母の家」と称するプルースト記念館となり、世界中の愛読者を糾合する「プルースト友の会」(一九四七年創立)の本部が置かれている。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「とはいえプルーストを日常生活にも支障をきたすほどの病人だったとみなすのは間違いである。欠席が多かったものの、パリ右岸のコンドルセ高等中学校にてフランス語、ラテン語、歴史、理科などの科目で優秀な成績をとり、一八八八年の最終学年ではアルフォンス・ダルリュ教諭の哲学の授業に感銘を受けた。翌八九年には文学のバカロレア(中等教育修了証)を取得。病人ではない証拠に、この年の十一月から、みずから志願して、フランス中部の町オルレアンで一年間の兵役を務めた(図 4)(入隊記録によると身長一六八センチ)。一八九三年に法学士号、一八九五年には文学士号を取得。社交界にも頻繁に出入りし、一九〇〇年にはヴェネツィアへ、一九〇二年にはベルギー、オランダにも出かけている。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「ジャックには「ほんとうに悲しいとき僕を慰めてくれるのはただひとつ、愛して、愛されることだ。しかもそれに応えてくれるのは、きみだけだ。〔…〕きみに接吻する。心から愛している」(同年五─六月頃の書簡)と書きおくり、ダニエルには、ジャックへの恋心を打ち明けたうえで、「願いはただひとつ、愛する人に接吻して、その膝の上に抱かれることだけで〔…〕けっして男色行為におよぶことはない。それでも、たいてい恋しい想いには勝てず、いっしょにマスターベーションする」(同年五月二十二日頃の書簡)と告白している。この手紙はふたりの顰蹙を買った。おそらくプルーストは、このころ自身の同性愛を自覚したのではないか。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「のちに知り合った四歳年下の作曲家レーナルド・アーン(図 7)(父親はハンブルクのユダヤ系家庭の出身)とは、実際に恋人としての肉体関係を結んだとされる。一八九五年九月にはふたりでブルターニュを旅行、ベグ =メイユ海岸に滞在した。その後もプルーストは、つぎつぎとさまざまな青年に恋心を寄せたと言われている。ただし自分の同性愛を公に認めることはけっしてなく、一八九七年には、友人リュシアン・ドーデ(作家アルフォンス・ドーデの息子)(図 8)との関係を揶揄した作家ジャン・ロランと決闘までした(双方無事)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「同性愛とユダヤ問題と並んでプルーストの生活を決定づけたのは、社交サロンである。十八世紀以来、貴族やブルジョワが時代の有力な政治家、外交官、実業家、芸術家らを集めて開いたサロンは、十九世紀末にも社会の趨勢に大きな影響を与えていた。  プルーストは一八八九年、まずストロース夫人のサロンに出入りした。夫人はオペラ『ユダヤ女』の作曲家フロマンタル・アレヴィの娘ジュヌヴィエーヴで、作曲家ビゼーと結婚したが、この『カルメン』の作者の急逝後、ストロース弁護士と再婚していた。プルーストは、夫人の息子ジャックの学友だった縁で招かれた。小説中のゲルマント公爵夫人の駄洒落や毒舌には、アレヴィ家の伝統を継ぐストロース夫人の才気が反映しているとされる。作家が、スワンのモデルとされる同化ユダヤ人シャルル・アースに出会ったのも、夫人のサロンである。サロンの常連だったアースや画家ドガらが夫人を囲んだ写真が残っている(図 10)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「以上、喘息、同性愛、ユダヤ、社交界というプルーストの生涯を特徴づける重要な要素を概観した。そのうえで『失われた時を求めて』へと至る作家の文学上の歩みをふり返ることにしたい。ほかに類を見ない独創的な大作は、無からあらわれ出たわけではなく、長年にわたる試行錯誤から生まれたからである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「この初期作品は、『失われた時を求めて』誕生の経緯をまるでネガのように照射してくれる貴重な資料である。というのもこの未完の長篇には、のちの大作を構成する素材がほぼ出揃っているにもかかわらず、それがばらばらの断章にとどまっているからだ。ここには、田舎町における少年期の春の休暇をはじめ、シャンゼリゼ公園で遊んだ娘の想い出、ブルターニュ海岸での滞在、さまざまな社交サロン、ドレフュス事件など、大長篇の第一稿とみなすことのできる主題がすでに描かれている。のちにマドレーヌの挿話で有名になる「無意志的記憶」の現象もすでに描かれているが、それを諸断章の統合原理とする構想は見られない点が、『失われた時を求めて』とは決定的に異なる。  またジャンを主人公とした三人称小説であるにもかかわらず、語られるジャンの経験はむしろプルーストの実体験に近い。作中の田舎町にはイリエ、ブルターニュ海岸にはベグ =メイユというプルーストがすごした土地の実名が残存している。のちの長篇には描かれない主人公の学校生活も、名称こそアンリ四世中学校とブーリエ教諭へ変更されているものの、プルーストが学んだコンドルセ高等中学校とダルリュ教諭の想い出にほかならない。駐屯地の描写も、オルレアンにおけるプルースト自身の兵役の体験にかなり忠実であり、ドレフュス事件についても、みずから経験したゾラ裁判の傍聴などが実録ふうに描かれている。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「一八九八年十月、プルーストはアムステルダムまで出かけ、最初の国際的回顧展として企画されたレンブラント展を鑑賞、断章「レンブラント」を書いた(一八九八─一九〇〇頃)。これはレンブラント展とルーヴル美術館で鑑賞できた対をなすレンブラントの画に見出される共通の主題を取り出し、そこに画家の精神の「エッセンス」を見出そうとした文章である。この「エッセンス」は、モロー論で言及された「内的な魂」と同義であり、抽出された芸術家の精髄と考えるべきものである。  さらにプルーストは、世紀末から愛読していたイギリスの思想家ジョン・ラスキンの一九〇〇年一月の逝去後、一連の追悼文を執筆して新聞雑誌に寄稿した。そのなかで作家は「天才が不朽の作品を生みだすことができるのは、作品を死すべき人間である自分自身に似せてつくるのではなく、おのれのうちにある人類の典型に似せてつくるからにほかならない。〔…〕人が死ぬと、その思想は人類の手にもどり、人類を教え導く」と指摘した。芸術家の死後もその「内的な魂」が作品のなかに「人類の典型」として生きつづけるという芸術観は、このあと『失われた時を求めて』を貫くことになる。大長篇の根幹をなす芸術観は、世紀末にモロー、レンブラント、ラスキンらを受容して考察を深めたプルーストの脳裏にやどったのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「さらにプルーストは母親とマリから翻訳の助力を得て、ラスキンがアミアン大聖堂の彫刻群を論じた『アミアンの聖書』の翻訳(一九〇四)と、ラスキンの読書論である『胡麻と百合』の翻訳(一九〇六)にそれぞれ詳しい注解を付して刊行した。ラスキン翻訳は、のちの長篇からすれば回り道のように見えるが、それが作家にもたらした恩恵は計り知れないものがある。ゴシック建築への深い関心は、中世教会建築の専門家エミール・マールの著作『十三世紀フランスの宗教美術』(一八九八)とともに、大作における多くの教会やヴェネツィアの町の描写に役立った。また『ラスキン全集』に収められた彫刻や絵画の図版は、作中に具体的美術品を描写する際に貴重な参考資料となった。さらに言えば、ラスキンの脱線の多い英語の文章に親しんだことは、『失われた時を求めて』特有の長文の形成に大きく寄与したと推定される。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 『失われた時を求めて』の主人公「私」は、架空の存在であるが、名前は与えられていない。多くの読者は、この「私」をしばしばプルースト自身と重ねあわせる。十九世紀末から二十世紀初頭のパリで裕福に暮らし、社交界へ出入りし、ドレフュス事件や第一次世界大戦を体験した「私」の生涯は、時代背景にかんするかぎり、プルースト自身の生涯と一致する。そればかりか病弱であり、繊細な感受性を備え、作家を目指している点でも、「私」はプルーストに似ている。作中でくり広げられる文学や芸術をめぐる「私」の見解もまた、作家自身が書簡をはじめ、芸術論や『サント =ブーヴに反論する』などで開陳した理論と重なりあう。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「またプルースト本人は同性愛者であったが、作中の「私」はそうではない。「私」が恋い焦がれる相手は、スワンの娘ジルベルトをはじめ、ゲルマント公爵夫人や、海辺のリゾート地で出会った「花咲く乙女たち」など、女性にかぎられる。「私」は第五篇『囚われの女』では「花咲く乙女たち」のひとりアルベルチーヌと同棲する。どう見ても「私」は紛れもない異性愛者なのである。  プルーストは作中の「私」を、なぜ自分と同様のユダヤの血をひく同性愛者としなかったのだろう。この重要な問題については、第 8章で詳しく検討する。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著



「そもそも作中の「私」は、名前を持たず、体型や風貌も定かではない。特徴を欠いた、はなはだ影の薄い存在である。おまけに小説を手にとった読者が最初に出会うのは、母親にしつこくお寝みのキスをせがむ、いわゆるマザコン少年だ。母親を呼び寄せるために「重大な用件があり、手紙では言えないのであがってきてほしい」と伝言をしたためる( ①七五。丸数字は岩波文庫版『失われた時を求めて』の巻数、その下の数字は頁数、以下同)。このように「私」は、困ったときにはたわいもない策を弄し、のちの恋愛ではしばしば身勝手な振る舞いに出る。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「恋人をひきとめるためなら臆面もなく噓をつくが、恋人を手に入れると無関心になる。第三篇『ゲルマントのほう』ではじめてアルベルチーヌをものにした「私」は、後日訪ねてきた恋人にもはや心を惹かれず、新たな欲望の対象となったステルマリア夫人と共にする夕食の注文まで手伝わせる( ⑦一〇六-〇七)。ところが第四篇『ソドムとゴモラ』の末尾では、「私」は恋人を同性愛の相手から引き離そうとして「どうしてもアルベルチーヌと結婚しなければならないんだ」( ⑨六一四)と叫ぶに至る。だがその舌の根も乾かぬうちに、ふたりで同居を始めたとたん「いっしょにいても退屈するだけで、もはや愛していない」( ⑩二七)と言いだす。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「無為の人に見える「私」は、他方で繊細な感受性を発揮して周囲の風物や人間を観察し、サン =ルーの親友となり、シャルリュスから好意を寄せられ、いつのまにかゲルマント社交界に出入りする。持ち前の芸術的センスから周囲に一目置かれる存在であることは否定できない。  にもかかわらず「私」は意志が弱く、苦境から脱するためには噓もつく。恋人には不実で、未成年者誘拐のかどで訴えられもする。もちろん危機的状況ではプルースト自身も、多くの人間と同様、弱点を露わにすることがあった。とはいえ親交を結んだ友人たちの証言や、残された膨大な書簡から判断するかぎり、本人はそこまで不実な人間ではない。むしろ友情に篤い男であったと推測されるし、儀礼的な噓はついても、作中の「私」が恋人に発するような虚言を弄していたとは考えにくい。少女を誘拐するような罪を犯したこともないはずである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「なぜプルーストは、これほど意志薄弱な情けない人間を主人公としたのか。人間の欠点がいかに多様で不治であるかを数頁にわたって書きつらね( ④二二五-三〇)、技師ルグランダンのスノビスムや、ユダヤ人ブロックの身勝手や、上流貴婦人の意地悪などを辛辣な皮肉をこめて描いた作家が、こんな嘆かわしい主人公が読者の共感をそそらぬことを知らないはずがない。おそらくプルーストは、立派な振る舞いをする賞讃すべき人間よりも、恋心に翻弄されて噓をつき、不安に駆られて情けない言動に走る人間を描くほうが、人間心理の深層を解明するのに好都合だと考えたのではなかろうか。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストの主人公「私」も、その行動を見るかぎり、とうていヒーローとは言いかねる無為の人である。『失われた時を求めて』は、主人公のこのような脱英雄化をさらに推し進め、ボードレールに倣って言えば、「情けない無為の男」を主人公とし、なおかつその男が「私」という一人称でその生涯を語ることで、そのような男の精神を描いても、「扱いかた次第で」「もっとも波瀾万丈で、もっともエピソードにあふれた人生」になりうることを証明してやろうという「真の賭け」として創作されたのではないか。なぜならプルーストが小説の冒頭で言うように、精神面から考察した人生、つまり「知的人生」こそが、「われわれが並行して送っているさまざまな人生のなかで、もっとも波瀾万丈で、もっともエピソードにあふれた人生」( ①三九〇)であるからだ。この「知的人生」を体現するのは、主人公の「私」ではなく、語り手の「私」なのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「以上の検討を踏まえ、小説の出だしを、いまひとたび読みなおしてみよう。「長いこと私は早めに寝むことにしていた。ときにはロウソクを消すとすぐに目がふさがり、「眠るんだ」と思う間もないことがあった。ところが三十分もすると、眠らなくてはという想いに、はっと目が覚める」( ①二五)。この文章を通じて想いうかぶのは、「早めに寝むことにして」ベッドに横たわる「私」のすがたである。この過去の「私」を主人公と呼ぶことにしよう。  ところで冒頭の一文、「長いこと私は早めに寝むことにしていた」を読む人は、主人公である過去の「私」を想いうかべると同時に、「長いこと私は早めに寝むことにしていた」とものがたる現在の「私」の声を感じとらずにはいられない。このものがたる現在の「私」を「語り手」と呼ぶことにする。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「この語り手の現在は、「私」の生涯のいかなる時点に位置づけられるのか。最終篇の大団円で「私」は、みずからの生涯を素材にして長い物語を書く決意をする。語り手の現在は、論理的にはこれらの過去をすべて経験し想い出したあとの、現時点と考えるべきだろう。とはいえ語り手の現在を「私」の最晩年のある一定の時点に固定することはできない。というのも、語る「私」の現在は、「長いこと私は早めに寝むことにしていた」の場合のように、ある言説が発せられる瞬間にその都度あらわれる現在時にほかならないからである。それゆえ語り手の「私」は、最晩年の老人といった具体的肉体をもつ存在ではなく、むしろあらゆる言説が生じるところに発生する語る声として、抽象的な発話の現在として、『失われた時を求めて』の至るところに遍在すると考えるべきだろう。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 『失われた時を求めて』において語り手の背後に作者が寄りそっていると感じられる箇所はほかにもある。小説作法でいう「伏線」はそれに当たる。たとえば「コンブレー」で近隣のモンジュヴァンに出かけた少年の「私」は、そこに住むヴァントゥイユ嬢が女友だちと同性愛の行為にふける場面をふと目撃する。その目撃談の前置きとして、語り手はこう言う、「モンジュヴァンで感じた印象がもとになって、当時は理解できなかったその印象から、ずいぶん後に私はサディスムの概略を知ったのかもしれない。いずれおわかりいただけることだが、まるでべつの理由から、この印象の想い出は、私の生涯に重要な役割を果たすことになる」( ①三四四)。  ここで後段の「私の生涯に重要な役割を果たす」というのは、そこまでたどり着くとわかるように、『ソドムとゴモラ』の末尾で「私」がアルベルチーヌの同性愛の可能性を阻止するために恋人と同居する決心をすることを指す( ⑨五八〇以下)。前段の「ずいぶん後に私はサディスムの概略を知った」という伏線が暗示しているのは、等閑視されているが、『見出された時』で同性愛者シャルリュス男爵が自身を鞭打たせるサディスム(実際には第 9章で検討するようにサドマゾヒズム)の場面にほかならない( ⑬三一九-二〇)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「かつて体験したのと同一の感覚にふと出会ったときに生じる意志の介在しないこのような回想を、プルーストは「無意志的記憶」と呼んで、長篇全体を支える「作品の原材料」とした(一九一三年『スワン家のほうへ』出版時のインタビュー)。『見出された時』では、不揃いな敷石につまずいたことからヴェネツィアを想い出したのを皮切りに、「私」はつぎつぎ無意志的回想を体験し( ⑬四三二以下)、それを核とする文学にとりかかる決意をする。  マドレーヌの挿話において「私」は、「お菓子のかけらのまじったひと口が口蓋にふれたとたん〔…〕えもいわれぬ快感が私のなかに入りこみ」、そのおかげで「人生の有為転変などどうでもよくなり」、自分が「死すべき存在だとは思えなくなった」という( ①一一一)。これはなにゆえだろう。その理由は、「コンブレー」では不可解なままにとどまるが、最終篇の『見出された時』で明かされる。これはきわめて重要な点なのでプルーストの結論を先取りして指摘しておきたい。無意志的記憶現象によって過去がよみがえるときに幸福感がもたらされるのは、「過去と現在とに共通」する「エッセンス」が、「昔の日と現在とに共通する領域、つまり時間を超えた領域」において「時間の秩序から抜けだした人間をわれわれのうちに再創造」し、その結果、われわれは自分を「将来の有為転変などを気にしない存在」にするからだという( ⑬四四〇-四一、四四四頁)。無意志的記憶は、われわれをして時間を超越した存在、つまり永遠の存在たらしめるのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「マドレーヌの味覚によるコンブレーの回想は、この挿話の末尾において、日本の水中花にたとえられる。「日本人の遊びで、それまで何なのか判然としなかった紙片が、陶器の鉢に充たした水に浸したとたん、伸び広がり、輪郭がはっきりし、色づき、ほかと区別され、確かにまぎれもない花や、家や、人物になるのと同じで、いまや私たちの庭やスワン氏の庭園のありとあらゆる花が、ヴィヴォンヌ川にうかぶ睡蓮が、村の善良な人たちとそのささやかな住まいが、教会が、コンブレー全体とその近郊が、すべて堅固な形をそなえ、町も庭も、私のティーカップからあらわれ出た」( ①一一七)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「第一篇第一部「コンブレー」において少年の休暇ののどかな雰囲気に浸っていた読者は、第二部「スワンの恋」では一転してパリを舞台とする大人の愛憎劇を目の当たりにする。ユダヤ人でありながらパリ社交界の寵児となり、貴婦人から女中に至るさまざまな女と浮き名を流してきたスワンが、名士をパトロンとして暮らす「粋筋の女」のオデットに惚れこむ。最初に会ったとき、「頰骨は高く突きだし」、「目は美しいが、大きすぎて自分自身の重みで垂れ」さがるオデットの風貌に、スワンは「むしろ生理的嫌悪」を覚える( ②三九)。おまけに相手は、片言の英語を振りかざすのを粋とする悪趣味な女である。なぜプルーストは、スワンの恋の対象に、そもそも好みのタイプでもなく、憧憬に基づく恋もありえない女を設定したのだろう。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストにおける恋愛では、相手の容貌はさして問題にならない。オデットの容貌が例外的に詳しく描写されたのは、スワンにとってはそもそも「生理的嫌悪」を覚える顔立ちであったものさえ芸術愛好家としての目で見ると貴重な美術品と化すことを示すためであった。  それにひきかえ「私」の想いうかべる恋人像は、揺れうごいて定まらない。タンソンヴィルの生け垣ごしに初めて見かけたジルベルトは、「赤みをおびたブロンドの髪」の下で「黒い目」を輝かせていた( ①三〇八)。ところが「私」の恋心が想いえがく娘の「目の輝き」はブロンドの髪とよく似合う「鮮やかな青」になってしまう(同上)。シャンゼリゼ公園で会う前夜に想いうかべたジルベルトの顔は「燃えるような両眼とふっくらしたつやつやの頰」を持っていたのに、翌日会ったとき目についたのは「細く鋭くとがった鼻」である( ②四六四)。しばらく会わないでいると「私」にはジルベルトの「顔さえ想い出せ」ず、その「目鼻立ちがどのようなものだったか本当にわからなく」なる( ③一四四-四五)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「アルベルチーヌの人物像がぼやけているのはプルーストが女性を描けなかったからだ、自分が愛した男を作中で女に転換したにすぎないからだ、と批判する人がいる。しかし『失われた時を求めて』においては、「私」の憧れるスワン夫人やゲルマント公爵夫人など、魅力あふれる女性の描写にこと欠かない。プルーストはこう言う、「小説家が、ほかの登場人物にはさまざまな性格を描き分ける一方で、愛する女性にはなにひとつ性格を与えない配慮をするなら、それによって新たな真実をもうひとつ表明することになるかもしれない。われわれは無関係な人の性格には通じているが、われわれの人生と区別できずやがて自分自身と切り離せなくなる人の性格、その人の動機について絶え間なくあれこれ不安にみちた仮説を立ててはその仮説をたえず修正しているような人の性格など、どうして把握できるだろう?」( ④五三七-三八)。恋の対象がぼやけているのは、作家の戦略なのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「アルベルチーヌへの恋では、「私」は恋人の女性同性愛(プルーストのいう「ゴモラ」)を疑い、それを阻止しようと必死になる。しかしこの疑惑についても、語り手は「私」の勘違いの可能性をほのめかす。「私」の心に最初の疑念が芽生えたのは、アルベルチーヌが女友だちのアンドレとダンスをしていたとき、そばにいた医者コタールが「あのふたりは間違いなく快楽の絶頂に達していますよ」と指摘したからである。しかしそのとき作家はコタールに「鼻メガネを忘れてきたんでよく見えんのですが」と言わしめている( ⑧四三五)。これは医者の指摘が信頼できないことを示唆しているのではないか。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「第四篇『ソドムとゴモラ』の末尾で「私」は、アルベルチーヌの口からヴァントゥイユ嬢の女友だちとの親交を知らされ( ⑨五八一)、ふたりの同性愛的関係を確信し、それを阻止すべく恋人を自宅に閉じこめる。しかしコンブレーの郊外でのぞき見た場面は、ヴァントゥイユ嬢とその女友だちの同性愛を証明するものではあるが、なんらアルベルチーヌの同性愛の証拠たりえない。おまけに第五篇『囚われの女』になるとアルベルチーヌは、以前ヴァントゥイユ嬢の女友だちとの親交を告白したけれどあれは「噓」で、「あたし、あなたから退屈な女だ、頭の弱い女だと思われてるような気がしてたんで、そんなお嬢さんたちとつき合いがあって、ヴァントゥイユの作品について詳しいことを教えられると言えば、あたしもあなたの目にすこしは立派に見えて、もっと親しくなれる、ってそう考えたの」と告白する( ⑪三三三)。この相矛盾するアルベルチーヌの発言のうち、どちらが正しいのだろう。プルーストは意図して、読者がそれを判断できない書きかたをしているとしか考えられない。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「これら三様の恋においてスワンも「私」も、根拠のない嫉妬に翻弄される。プルーストが一貫して描いたのは、「恋というものがいとも恐ろしいペテン」( ⑦七四)であることだろう。なぜなら恋は「われわれを外界の女性とではなく、まずはこちらの脳裏に棲まう人形とたわむれさせる」(同上)からであり、「愛の対象となった人間とは、われわれが自分の愛情を外部へ投影する茫漠とした広大な場所にすぎない」( ⑫一八〇)からだ。  恋愛は、愛する人を隅々まで知りたい、他者を完全に所有したいという「非常識で痛ましい」( ②一一四)欲求だから、人間心理を解明する『失われた時を求めて』の中心に据えられたのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「それゆえ語り手は「心の平静をとり戻すには、ひとりのアルベルチーヌではなく、無数のアルベルチーヌを忘れなければならなかった」( ⑫一四二-四三)と嘆く。しかし忘れなければならない「無数のアルベルチーヌ」は、ほかでもない「私」のうちに存在する。忘れなければならないのは、「無数のアルベルチーヌ」を愛した無数の「私」でなくてなんであろう。ここで参照すべきは、「私」がジルベルトを忘れようとしたとき、その努力が「自分のなかでジルベルトを愛する自我を残酷にもじわじわと自殺に追いやることに執念を燃やしつづけていた」( ③三九八)と説明されていることだ。アルベルチーヌをめぐる忘却もまた、無数の自我の継起的な殺害なのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「さらに「私」は、階上からジュール・マスネのオペラ『マノン』の調べが聞こえてきたとき、アルベルチーヌがマノンと同じく自分を「わたしの心がただひとり愛した人」とみなしてくれる気がするけれど、もうひとりの「私」は、ただちにそんな「甘い気分に身をゆだねる気にはなれなかった」と述懐する( ⑫八八)。恋心に揺れる「私」のうちには、感性や理性や想像力という形をとって複数の自我が共存しているのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「とりわけ複数の自我と関連するのは、夢に出てくる「トルコ帽の若い男」( ②四一六)である。オデットが「ナポレオン三世」(じつは恋敵フォルシュヴィルの置き替え)と示し合わせたように帰ってしまうと、トルコ帽の「見知らぬ若い男」が泣き出す。そこでスワンは「楽になるようトルコ帽をとって」やって、「悲しむようなことでしょうか」と相手を慰める。この「若い男」はじつはスワン本人で、プルーストはスワンが「わが人格」を「夢を見ている自分」と「目の前に見えるトルコ帽をかぶった男」の「ふたりの人物に分かち与えた」とこの夢を解釈する( ②四一七-一八)。夢では、自己が主体でありながら客体にもなりうることが示されたのだ。さらにフロイト流に「トルコ帽」は男性器の象徴であるとすれば、それをとり去るのはみずから戦線撤退を認めたものとも解釈できる。スワンの夢は、抑圧されたリビドーの意識化によって抑圧からの解放をめざす精神分析の手法と同様の軌跡をたどっているのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストが言うように「一時間はただの一時間ではなく、さまざまな香りや音や計画や気候などで満たされた壺」( ⑬四七七)なのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 十八世紀には社交における宮廷の役割はすでに衰え、貴族が主要なサロンを主宰するようになり、十九世紀にはブルジョワ婦人たちのサロンも増大した。小説の舞台となった十九世紀末から二十世紀初頭のパリでは、こうした貴族やブルジョワのサロンが文化や芸術のみならず、政治や外交にも大きな影響を及ぼしていた。その後、二度の世界大戦を経てフランスの社会構造は激変し、貴族と社交サロンの支配力は消失した。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストの小説は十九世紀末から二十世紀初頭のフランス社会を描きながら、現実の歴史的事件はめったに顔を出さない。希有な例外として第二篇第一部の「スワン夫人をめぐって」にナポレオンの姪マチルド大公妃が登場し、「明後日の皇帝ニコライのアンヴァリッド訪問」(一八九六年十月七日)を語るくらいである( ③二五八)。プルースト自身の個人的な体験も、多くは時期や人物を変更して小説中にとりこまれた。たとえば一九一三─一四年における運転士兼秘書アゴスチネリとの同居とその出奔は、一九〇〇年前後のアルベルチーヌの同居と失踪へと転化された(巻末「『失われた時を求めて』年表」参照)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「コンブレーの教会でいつも祈りを捧げる敬虔なカトリック信者であるサズラ夫人は、ドレフュスを支持し、反対派である「私」の父親を赦さない( ⑤三三〇)。ゲルマント家の貴公子サン =ルーは、将来を嘱望される軍人でありながら、最初は熱烈なドレフュス支持者として登場する。これには愛人のユダヤ人ラシェルのドレフュス支持が影響をおよぼしたとされるが( ⑤三八七)、プルードンやニーチェを愛読し、当時は社会主義を信奉していたサン =ルー( ④二〇八)には、当然の思想的選択だったのかもしれない。  どうやらプルーストは、人間の思想はその所属階級によって規定されるものではなく、むしろ階級を超えて伝播することを示そうとしたらしい。この点で興味ぶかいのは、ユダヤ人ラシェルがサン =ルーの母親マルサント夫人は「マテル・セミタ」(「ユダヤ人の母」を意味するという似非語源説)だと事実無根の中傷をすることだろう( ⑤三八七)。ユダヤ人ブロックもバルベックの海岸で「俺だって原則としてユダヤの民に絶対反対というわけじゃないが、ここは過剰だ」( ④二一八)と言ってユダヤ蔑視を露わにする。プルーストは、ユダヤ人という被差別階層とされる人間もまた、世間の差別用語を受け売りすることを容赦なく暴いたのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「神の「硫黄の火」によって滅ぼされた旧約聖書の色欲の町にちなみ、プルーストは男性同性愛をソドム、女性同性愛をゴモラと呼びならわした。大作の後半は「ソドムとゴモラ」の「一」「二」「三」と題され、同性愛を中心主題とする。作中人物のなかで、シャルリュスとジュピアンをはじめ、ニッシム・ベルナール、ヴォーグーベール、モレル、ゲルマント大公、サン =ルーらがソドムの男であることが判明し、ヴァントゥイユ嬢、女優レア、ブロックの妹らがゴモラの女だとわかる。ところが「ソドムとゴモラ三」の第一部『囚われの女』と第二部『消え去ったアルベルチーヌ』では、「私」は前述のように恋人アルベルチーヌの同性愛を疑うが、その実態はかならずしも明らかにならない。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 『失われた時を求めて』において男性同性愛がなぜこれほど重要な位置を占めるのか。まず考慮すべきは、小説が構想されその舞台ともなった十九世紀末から二十世紀初頭という時代背景である。古代ギリシャ以来いつの世にも存在した男色は、とりわけ宮廷や上流階級ではさほどの咎めも受けずに広まっていた。ところが十九世紀末には、男性同性愛が犯罪として法制化されるとともに同性愛事件がスキャンダルとして世間の耳目を集めた。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「男性同性愛が一八八六年から非合法とされたイギリスでは、一八九五年、オスカー・ワイルドが男色事件で逮捕され、二年間の獄中生活のあと、パリで客死した。作中に「前日まではロンドンのありとあらゆるサロンで歓待され、あらゆる劇場で喝采されていた詩人が、翌日にはあらゆる家具付きの貸間から締め出され、頭を休める枕さえ見出せ」ないと記されているのは( ⑧五一-五二)、このワイルド事件を念頭に置いたものである。  それ以上に同性愛にかんする議論を巻きおこしたのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世側近の同性愛をめぐるオイレンブルク事件である。事件の要因は、皇帝が恋人の外交官オイレンブルクを重用し、その側近たちを要職につけ(そのひとりビューローは、一八九七年に外相、一九〇〇年に宰相に就任)、これら同性愛者たちを指南役としていたことにある。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「ドイツ帝国刑法では、一八七一年制定の第一七五条により、男性間の性行為は二年以下の懲役とされていた。事件は、強硬派のジャーナリストが皇帝の対外政策の欠陥は宮廷に蔓延する女性的側近のせいだと、オイレンブルクとベルリン軍司令官を同性愛者として告発したことに始まる。オイレンブルクは一九〇八年五月、同性愛をめぐる偽証罪で逮捕され、その後に病状が悪化、裁判で無罪を証明できなかった。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「元来、男性同性愛を指すフランス語として十六世紀から使われていたのは、ギリシャの少年愛(パイデラステイア)に由来する「ペデラスティ」なる語であった。聖書の町ソドムに由来する「ソドミー」やその実践者「ソドミット」は、さらに古い用語である。  プルーストが用いた「同性愛」や「倒錯」なる語は、世紀の変わり目に新たにつくられた概念で、どちらも刑法第一七五条の撤廃を求めたドイツの医師たちが提唱した用語である。男性同性愛を「自然に反する」性欲とみなす旧弊を斥け、「病気」として把握しようとしたのだ。とりわけ同性愛解放運動の先駆者とされるカール =ハインリヒ・ウルリヒス(一八二五─九五)は、同性愛を「男性の体をした女性の魂」ないし「女性の体をした男性の魂」をもつ「自然」の状態と主張した。「ソドムとゴモラ一」で語り手が、同性愛を「不治の病い」( ⑧五二)と断定し、「倒錯者」の男には「女」が潜在すると解釈し、それが「自然」( ⑧六六)だと言明する箇所には、当時の学説が反映されている。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「男性同性愛の原因を「男 =女」( ⑧二一)とする解釈、つまり男性の身体のなかに女性の心が潜んでいるためべつの男を求めるという解釈は、当時の理論では首肯すべき理屈に見えるが、小説本文の記述と照合するだけで矛盾が露呈する。シャルリュスは「女なのだ!」( ⑧四九)とされるが、ジュピアンと気を惹きあう場面では「巨大なマルハナバチ」( ⑧三一-三二)にたとえられ、むしろ男役を演じている。「雌」( ⑧三一)とされるのは、「マルハナバチにたいしてランの花がするような媚をふくんだポーズ」( ⑧二八)をするジュピアンのほうだ。これは「倒錯者」が「男らしい男を求める」( ⑧八一)という理論と齟齬をきたす。プルーストもこの「男 =女」説の欠陥に気づいていたようで、これは「当時の私が想い描いていたがあとで修正される理論」( ⑧五一)だと断っている。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「ギリシャの少年愛に由来する用語「ユラニスム」を好んだアンドレ・ジッドは、一九二一年五月十四日の日記に前日のプルーストとの対話についてこう記した。「プルーストは自分のユラニスムを否定したり隠したりするどころか、それを表に出した。いや、それを鼻にかけていた、と言いたいほどだ。女は精神的にしか愛したことはなく、セックスは男としかしたことはないと言う」  第一次大戦中の一九一八年一月、プルーストが両親の家具や絨毯を提供した男性同性愛者向けの娼家マリニー館(右岸のアルカード通り)が警察の立入検査を受けたとき、そこに「プルースト、マルセル、四十六歳、金利生活者、オスマン大通り一〇二番地」がいたという調書が残る(レジス・ルヴナン『パリにおける男性同性愛と男娼売春』)。またプルーストは、メモ帳「カルネ 1」や「一九〇六年の手帖」に、同性愛者用の施設だった「マドリッド・ホテル」(ブルス通り)のアドレスを記している。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「同性愛なるものは、ユダヤの出自と同様、それを差別する他人の目を通してのみ問題化する。『ソドムとゴモラ』の語り手が「同性愛が正常な状態であったときには異常な者は存在しなかったこと、キリスト以前には反キリスト教徒など存在しなかったこと、恥辱のみが犯罪をつくること」( ⑧五四)を強調するとおりである。プルーストは、ソドムの町の再建やシオニズム運動によるイスラエル国家の建設をめざすのは「致命的な誤り」だと言う( ⑧八六-八七)。どちらも同性愛者やユダヤ人だけの集落を形成して、異質な者との共存を否定するからであろう。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルースト自身が同性愛者であったのに、『ソドムとゴモラ』には同性愛者を糾弾するかのごとき言辞が目立つ。本章の冒頭にも引用した「倒錯者は殺人を犯すもの」とか、「ソドミストたちは祖先が呪われた町から逃れるのを可能にした虚言を遺伝として受け継いで」いる( ⑧八六)とかの言辞である。これは同性愛者がなによりも他人の同性愛をあばくのに熱心で、「おのが悪徳をまるで自分のものではないかのような口ぶりで面白おかしく語りあう」( ⑧五六)のと同じく、プルーストが自分自身に同性愛の嫌疑がかからぬように仕向けた欺瞞なのであろうか。  差別的に見えるこのような言辞は、ユダヤ人の場合と同様、プルーストが同性愛者を「自分がこうむる排斥や自分がなめる恥辱」( ⑧五三)の視点から描いた結果だと、筆者は考える。「ソドムとゴモラ一」の記述では、同性愛者の置かれた状況が「世間が不適切にも悪徳と呼ぶもの」( ⑧五六)とか、「自分の欲望が、罰せられる恥ずべきもの、とうてい人には言えぬものとみなされていること」( ⑧五〇、傍点はいずれも引用者)とか、差別する世間の目で眺められている。プルーストは、同性愛者にも「自分自身のうちに認めるのを避けてきたあらゆる欠陥」( ⑧五二)や醜い偽善があることを見逃さず、それを差別する世間という鏡に映し出すように描き出したのではなかろうか。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストは自己の内なる同性愛者を、主体としての「私」には(自己正当化の危険を避けて)仮託せず、差別される客体として自己を眺め、それを作中の同性愛者たち、つまりシャルリュス男爵、ヴォーグーベール氏、ニッシム・ベルナール氏らに担わせたと考えられる。たとえばシャルリュスは、バルザックの同性愛小説を愛読し、『幻滅』で男色家ヴォートランがかつて愛した青年の館の前を通りかかってもの想いにふける場面を「ペデラスティの「オランピオの悲しみ」」と表現する( ⑨四四二-四三)。これは『サント =ブーヴに反論する』のバルザック論において「ここのところを同性愛の「オランピオの悲しみ」と名づけ」たプルースト自身の指摘を男爵に仮託したものにほかならない。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「さきの引用でプルーストは「同性愛が正常な状態であったときには異常な者は存在しなかった」と断言していた。その場合、なんの葛藤もおこらない。この意味で興味ぶかいのは一九二一年、ジッドから託された当時未発表の『コリドン』私家版を読んだ直後、プルーストが『囚われの女』に加筆した一節に、ギリシャの少年愛を礼讃した『コリドン』にたいする、暗黙の、だが明々白々たる批判が読みとれることである。曰く、「古代において青年を愛することは、こんにちなら(プラトンのさまざまな理論よりもソクラテスの冗談がその事情を明らかにしてくれるように)踊り子を囲っておき、やがて婚約するようなものであった」( ⑪三八)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストに言わせると、古代ギリシャにおける少年愛は、聖人君子による若者の教育という機能を担った公認の「慣習的な同性愛」(同上)にすぎず、それゆえプラトンの『饗宴』を締めくくる対話でソクラテスは若いアルキビアデスからの恋の告白を嘲笑したのだ。当時の少年愛は、現代なら別の女性と立派な「婚約」をする前に「踊り子を囲う」に等しい行為だったというのである。  ジッドが理想化した古代ギリシャの少年愛をプルーストが批判したのは、社会から公認された慣習がなんら精神的葛藤を生まないからである。いまやプルーストがなぜ同性愛者の屈辱と悲哀ばかりを描くのか明らかだろう。屈辱こそ人間精神のドラマを明るみに出す恰好の機会だからである。つぎのきわめて重要な一文は、プルースト自身が同性愛をいかに捉えていたかを如実に示している。「さまざまな障害にもかかわらず生き残った同性愛、恥ずかしくて人には言えず、世間から辱められた同性愛のみが、ただひとつ真正で、その人間の内なる洗練された精神的美点が呼応しうる唯一の同性愛である」( ⑪四〇)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 「主人公」の「私」は同性愛にとり囲まれていながら同性愛者ではない。それは「私」の同性愛的性向を隠すための虚飾ではないかとの疑義がたびたび提起されてきた。シャルリュスの度重なる誘惑をなんら理解できない「私」の態度は不自然である、アルベルチーヌをはじめとする「花咲く乙女たち」は青年たちの性を女へと変換させたものにすぎない、「私」が異性愛者であるならアルベルチーヌの同性愛の相手はライバルたりえないから「私」の嫉妬には根拠がない、などの異論である。たしかに「私」は、サン =ルーとの親密な関係はもとより、ドンシエールにおける若い軍人たちとの交友など、同性愛者めいた雰囲気を醸し出している。「調律師の音叉のように訓練された私の耳には」相手の男の声を聞くだけで「シャルリュスの仲間だ」とわかるという一節もある( ⑧一五三)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「では「私」を同性愛者という設定にすれば、欺瞞の生じる余地のない真摯な物語が書けるのだろうか。一人称による実話、昨今のフランスの用語でいう「オートフィクション」、日本文学でいう「私小説」なら真実が書けるのだろうか。かりにプルーストが自己の同性愛体験を赤裸々に語ったとしたら、うそ偽りのない『失われた時を求めて』が書けたのだろうか。みずからも同性愛者で、同性愛文学の歴史を隈なく調査したドミニック・フェルナンデスはこれを否定し、そのような直截な書きかたでは「もっとも低俗・劣悪な異性愛文学のポルノグラフィックな表現」に堕すると言う(『ガニュメデスの誘拐』岩崎力訳)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストは噓を「最も必要にして最もよく使われる自己保存の道具」( ⑩三八一-八二)だと考え、小説中に噓をつく人物をあふれさせた。このような噓の支配から作家は、「その人に軽蔑されるのが最も辛いのでわれわれがいちばんよく噓をつく相手」は「われわれ自身」だという究極の結論をひき出した( ⑨六九)。さきに引用したユラニスムをめぐるジッドとの対話でプルーストは、「なにを語ってもいいが、けっして「私」とは言わないこと」を勧めたという。これは自分の発言の責任をとらないための言い逃れではなく、いかなる一人称の告白も陥りかねない自己正当化という危険にたいする明晰な不信の表明と考えるべきだろう。プルーストが主人公の「私」を情けない身勝手な男として描いたのは、一人称による自己正当化を避ける目的もあったと解釈できるのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「ソドムの末裔たるシャルリュス、ジュピアン、モレルらの同性愛は明らかで疑いようのない事実として提示される。これにたいして、『失われた時を求めて』における女性同性愛は(女優レアやブロックの妹などの副次的人物をべつにすると)ジルベルトやアンドレやアルベルチーヌら主要人物の場合にはきわめて曖昧で、まったく判然としない。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「このように対照的に描かれている「ソドムとゴモラ」には、あまり注目されていないが両性愛者も少なからず含まれる。ここではその典型例として、ゲルマント大公と「一夜をともにし」( ⑨五〇三)、シャルリュス男爵の庇護を受ける美青年シャルル・モレルに注目しよう。  プルーストは一九二一年六月、「 NRF」誌に寄せた文章「ボードレールについて」のなかで、『悪の華』の詩篇「レスボス」から「レスボスの島は、地上すべての者のなかで俺を選んだ/その島の花咲く乙女たちの秘密を歌うために」を引用して、モレルについてこう書いた。「私はソドムとゴモラとのこの「結合」を自作の終わりのほうで〔…〕シャルル・モレルという粗野な男に委ねたが〔…〕、ボードレールはきわめて特権的なやりかたでこの関係にみずから自身を「当てはめた」ようである。ボードレールがなぜこの役割を選びとり、いかにこの役割を果たしたのか、それを知ることができればどんなに興味ぶかいことであろう。シャルル・モレルの場合には理解できることが『悪の華』の作者にあっては深い謎のままなのである」」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「ボードレールのレスボス詩篇がなにゆえ「ソドムとゴモラの「結合」」を示しているのか?  なぜモレルがこの「結合」を体現しているのか?  この謎を解明する鍵は、ボードレール論では黙して語られていないが、プルーストが同時期ジッドに「女は精神的にしか愛したことはなく、セックスは男としかしたことはない」と告白したとき口にしたというつぎの発言にある。「ボードレールはユラニストだった。ボードレールがレスボスについて語るやりかた、いや、それについて語りたいという欲求を見るだけで、それは充分に確信できる」  この際、ボードレールが本当にユラニストであったかどうかは問うまい。シャルリュス男爵やプルースト自身の同性愛にも、肉体的なものと精神的なものとが濃淡を問わず混在していたからである。興味ぶかいのはプルーストが、ボードレールはソドムの男である(その傾向がある)がゆえにゴモラの女の「秘密」に近づきえた、と確信していたことである。その一方でプルーストは、これまた同時期の一九二一年に執筆した『囚われの女』の一節で、モレルをきわめて特殊なバイセクシャルの男として描いていた。作中でレスビアンとして知られる女優レアが、モレルに宛てた恋文で、相手をもっぱら「女」としてあつかい、「貴女って下劣!  まったく!」「あたしのいとしい女、あなたもやっぱりあの仲間なのね」( ⑪六二)と語ったというのだ。ソドムの男でありながらゴモラの女の愛人となったモレルは、プルーストがボードレール論で指摘した「ソドムとゴモラの「結合」」を体現していたのである。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 たしかに作中の「私」はけっしてソドムの男ではない。しかし主人公の想いを書きとめる語り手の「私」には、ソドムの男であった生身のプルーストの想いが多かれ少なかれ反映している可能性がある。モレルやサン =ルーがソドムとゴモラの「結合」を体現していると指摘する語り手の背後には、『悪の華』で「レスボスについて語るやりかた、いや、それについて語りたいという欲求を見るだけで」ボードレールを「ユラニスト」だと断定したプルースト自身がまぎれもなく存在するからだ。  そうだとすると、小説では異性愛者としかみなされない「私」にも、そうとは明記されないけれど、サン =ルーと同様のソドムの男の想いが反映しているのかもしれない。そもそも「私」とサン =ルーとの関係には、単なる友情以上の親密さがにじみ出ていた。サン =ルーがモレルと関係を持ったことを知ったとき、「私」が「こみあげる涙をなんとかこらえざるをえなかった」( ⑫六〇六)という箇所も、その反映だと読みとれないこともない。作中の「私」がアルベルチーヌの同性愛に執拗にこだわるのは、本人は否定しているが、もしかするとサン =ルーと同様の「ソドムとゴモラの「結合」」を希求するからではないのか。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 『消え去ったアルベルチーヌ』で恋人は「私」の家を出てゆき、やがて落馬事故で死んでしまう。ところが「私」は、アルベルチーヌの死後でさえ嫉妬にもだえ苦しみ、生前の恋人の素行調査のためにグランドホテルの給仕頭エメを派遣する。エメからはアルベルチーヌの同性愛を疑わせる手紙が届き、「私」は疑念を募らせる。しかしアルベルチーヌがさまざまな女とシャワー室に閉じこもっていたと言う「シャワー係の女」は、そもそも同性愛の現場など見ていない( ⑫二二一-二二)。おまけにそのとき「私」は「あの女はどうやら虚言癖があるようね」という祖母の発言を想い出している( ⑫二三一)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「プルーストは、芸術や小説の創作に必要不可欠なものは苦痛であるから、芸術家たる者はみずからに苦痛を与えることに歓びを見出すサドマゾヒストたらざるをえない、と考えていたのではなかろうか。特殊な性愛に見えるサドマゾヒズムは、『失われた時を求めて』の中心主題である文学創造と密接に結びついているのだ。その証拠に、プルーストは『見出された時』でこう言う、「芸術家とは、意地の悪い人間であるというよりも、むしろ不幸な人間なのだ。〔…〕侮辱を受けたことによる怨恨や捨てられた苦痛は、そんな目に遭わなければけっして知る機会のない秘境であり、その発見は、人間としてはどれほど辛いことであろうと、芸術家としては貴重なものになる」( ⑬五〇三)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「仏教の生老病死の教えを俟つまでもなく、どれほど幸福に見える人でさえ人生の悲嘆に見舞われる。『失われた時を求めて』に描かれたサドマゾヒズムの苦痛は、ヴァントゥイユ嬢やシャルリュス男爵など同性愛者の特殊な快楽というにとどまらず、本作の主要人物たちに見られる重要な振る舞いであり、それは本作の根本主題である文学創造に必要不可欠な基盤であることがわかる。  本章の冒頭で言及したプルースト十八番の回想や印象の美しさも、苦悩の闇が全篇を覆いつくしているからこそ、いっそう輝くのではなかろうか。瞑想へといざなうプルーストのつぎの美しい一節を引用して、本章の結論としたい。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「私は言おう、芸術の残酷な法則は、人間が死ぬことにあり、つまり、われわれ自身があらゆる苦しみを嘗めつくして死ぬことによって、忘却の草ではなく、永遠の生命をやどす草、豊穣な作品という草が生い茂ることにあり、その草のうえには何世代もの人びとがやって来て、その下に眠る人たちのことなど気にもかけず、陽気に「草上の昼食」を楽しむだろう、と( ⑭二八一、図 22)。」

—『『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書)』吉川 一義著

「 「私」の祖母と母は、優しい心根といい、豊かな文学的素養といい、同一人物と見紛うほど似ている。そもそもプルースト自身の母親をふたりに分割して生みだされた人物だからであろう。ふたりは共通の愛読書である十七世紀の『セヴィニエ夫人の手紙』を頻繁に引用する。これは両者の古典趣味をあらわすだけではない。セヴィニエ夫人が娘のグリニャン夫人に書きおくったこの書簡

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2026年01月19日

Posted by ブクログ

大学で『失われた時を求めて』を読んでから、手に取った。一昨年には読み終えていたのに、なんで感想を書かなかったのか。ぼんやりした自分よ。

出版当初から、話題になっていたけれど、とてもわかり易い入門書だと思う。私は先に講義を受けて、作品を読んで、休暇の楽しみに読んだので、おさらいとしてはすごく入りやすかった。

『失われた時を求めて』の、とても洗練された訳本も、著者は手がけていらっしゃる。そちらも持っているが、併読するとなお良いだろう。正直プルーストのこの本は、すごく長くて、取り組むのに勇気が要る。そんな時に、この本をガイドになさって、概要を知って、それで挑まれてもいいだろう。迷える旅人の良き杖だ。

全編いきなり読みがつらかったら、最初の『スワン家のほうへ』だけでも取り組まれると良い。おいおい続きが読めるはずだ。個人的には『ゴリオ爺さん』と『失われた~』は、読んでおいて良い、面白い作品だ。フランス文学の本をなにか、きっかけにと言われたらそう勧める。ましてこのような入門書があればなお。

最近の岩波新書の中でも、印象に残る本だった。一気に読んでしまうくらいには、興味深かったのだ。

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2023年05月19日

Posted by ブクログ

”パリの社交界を描いている”という紹介がされることがあるが、なんで現在の自分となんの関係もなさそうなパリの社交界の話なんて読む必要があるんだろうという、当然の疑問に対してちゃんと回答してくれている。”無意識的想起”と”印象”で”時を超えるもの”として”永遠”を描く、というのはわりあい納得。その他もいろいろ示唆に富んでいて、いままで読んだプルースト入門の中ではいちばん腑に落ちた。

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2022年10月24日

Posted by ブクログ

突然、読書のモチベーションが雲散霧消してしまった。
それを救ってくれたのが、「文學界10月号」に掲載されていた吉川先生の「見出された『失われた時を求めて』初稿」だった。

最初、ちくま文庫の井上究一郎訳を読んでいた僕は、第5巻で頓挫してしまっていた。
その時出会ったのが、立教大学の公開セミナー「新訳でプルーストを読破する」であり、吉川先生の訳だった。
お陰様で、僕もなんとかプルーストを読破することができた。
僕は、まさに吉川先生によってプルーストに招き入れられたのだ。

だが、文學界の文章を読んで、さらに本書を読み終えた今、自分が一つの無限ループに入り込んでしまっているのを見出す。
本書を読めば、必ずやまたプルーストが読みたくなる。
読みかけの高遠弘美訳、井上訳もあれば、鈴木道彦訳もある。
長い迷路のような回廊のなかへ再び迷い込まずにはいられないだろう。
側から見れば、それはまるでシーシュポスに課された罰のようにも見えるだろうが、僕にとっては、かけがえのない喜びなのだ。

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2022年01月09日

Posted by ブクログ

岩波文庫での『失われた時を求めて』を読みたくなった。
まったく紐解いたことはないけど、分かりやすい文体になっているんじゃないかと期待できそう。この新書で引用される文章からはそう思える。
それくらい本作品では、あの大作の構造がうまく紹介できていると思うけど。

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2021年09月18日

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