あらすじ
決闘に敗れ命を落とした男は本当に有罪だったのか? フランス最後の決闘裁判、1386年「カルージュ対ル・グリ事件」の真相に迫る。リドリー・スコット監督、アダム・ドライバー&マット・デイモン共演 映画『The Last Duel』原作
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Posted by ブクログ
決闘裁判というものがあることを初めて知った。決闘に勝利した側の正しさが認められる一種の神明裁判らしい。
神明裁判というと日本史の授業で盟神探湯を習った覚えがある。どんなものなのか覚えていないので、Wikipediaで調べてみた。
対象となる者に、神に潔白などを誓わせた後、探湯瓮(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。毒蛇を入れた壷に手を入れさせ、正しい者は無事である、という様式もある。あらかじめ結果を神に示した上で行為を行い、その結果によって判断するということで、うけいの一種である。
(Wikipedia盟神探湯)
決闘で決めるのと比べると穏やかな気もしつつ、魔女裁判っぽい感じもある。
証拠とか論理とか、そういうものの埒外で決着させるという意味で、決闘裁判も盟神探湯も同じだと思った。わりと平和な法治国家に生まれてよかった。納得いかない理由で抗弁も出来ずに虐殺されるような死に方はしたくないので。
一方で、論理的な方法では証明が難しい形で辛い目に遭った人、この本でいうならマルグリット。この人が救われるためには、もうこんな方法しかないのかもしれない、とも思う。
科学捜査が発展した現代ならともかく、中世ヨーロッパの科学の水準ではこの事件の真相を証明することはたぶん難しい。
この事件が現代の出来事であれば、科学的な証拠をもって真相を明らかにできたと思う。でも、当時は出来なかった。
この本はどちらかというとカルージュ側(原告?側)に紙幅を割いて書かれているから、そちらに肩入れして読んでしまう。決闘の結末には快哉を叫んでしまった。でもル・グリ側の視点で、本当は無実だったら、と想像するとゾッとするし、決定的な証拠はないんだよな、ともやもやしたものが残る。
人間、数百年で飛躍的に発展しててえらい、と思ったし、今はまだ解明できないあれやこれに苦しんでいる人たちも数百年、いや、数十年、もしかしたら数年後には救われる未来があるかもしれない。未来はたぶん今よりは明るいと思った。
良い読書だった。