【感想・ネタバレ】戦略不全の論理―慢性的な低収益の病からどう抜け出すかのレビュー

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Posted by ブクログ

名著です。
戦略というありふれた言葉を定義しなおし、経営戦略とは何かとその要諦を世に示す内容。
膨大なデータ調査と分析、事例考察と教養全てを動員して、日本企業の戦略不全の原因(論理)と処方箋(どうすべきか)を導き出した模様。
経営者、役員クラス、またその人達と接する層、目指す人は絶対読んでほしいです

実務家の方では三枝匠さんというプロフェッショナル経営者の「会社改造」が名著ですが、アカデミック(入門〜中級)分野ではこの本の右に出るものはありません。

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2020年04月27日

Posted by ブクログ

戦略がなぜうまく実行できないのか?
それを数値データから読み解く本。戦略とは何かということを考えさせる本。経営戦略の論理と実行のプロセスの整理。

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2015年01月15日

Posted by ブクログ

2004年に書かれた経営戦略の本だが、2013年の今読んでも十分勉強になる良書。
数々の企業の事例や、綿密な調査に基づいた分析・考察がなされており、2004年当時に読んで皆が対策を講じていれば、現状の電機業界の危機的な状況は少しでも回避できていたのではないか思う。そんな簡単なものではないかもしれないが。

日本の電機業界には、円高とそこから派生するグローバリゼーションが鬼門となっているという下りがあったので、試しに一社の売上高と営業利益率の推移を確認してみた。確かに、1985年のプラザ合意を機に、売上高は拡大しているものの、利益率は下降の一途をたどっている。本書の指摘のとおり、規模の拡大が利益の犠牲を伴っていることに驚きを隠せない。

2013年も電機業界にとっては試練の年である。もうすぐ始まるCESも、自動走行を実現する自動車メーカーに注目を攫われそうだ。電機メーカーには、完成度の高い戦略策定と、着実な実行力が試されていると痛感した。

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2013年01月06日

Posted by ブクログ

超長期(30年)の視点+データからの分析、という戦略本。

繰り出されるデータからの示唆が面白い。予想外の日本企業の実情が見えてくる。

ただ万人向けの本ではないと思う。あまり戦略についての著作などを読んだことのない人には面白くないだろう。読みやすいビジネス本は多いが、そのような本ではなくもう少し硬派な戦略の本。

戦略のコンテクストを知っていて、それについて思いを巡らし、ヒントを探している。そんな人にはピタリとはまりそう。

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2010年09月17日

Posted by ブクログ

開始:20070417、完了:20070417

神戸大学の三品和広教授による日本の電機・精密機器メーカーの
戦略不全の様相を説明した本。
日本企業の戦略がいかに機能していないかを示している。
もっとも端的に表している指標が売上高営業利益率の推移で、
それをみれば日本企業は一貫して利益なき拡大を続けている
ということが理解できる。
しかし、一方で他国のそれはどうなのだろうかという疑問が
起こる。アメリカやドイツ、フランスなどではそうした傾向はないのだろう
か。そういうデータがあって初めて、"日本企業は"という
ことができるような気がする。もしかしたら、"グローバルに"
という接頭詞が必要になるのではないだろうか。
いずれにしてもミクロ経済学の視点から戦略に切り込んだ論調は
非常に興味深い。そして、その根本の原因として"構造"という部分に
切り込んでいる。また、同じ事業ドメインでも戦略が機能している企業と
そうでない企業の対比が面白い。主張でいえば、戦略の必要条件が、儲かる構造に事業ドメインを設定すること、
そしてその上に、「異質化」を志向する戦略が必要ということだ。
社長から一つ下に降りて、「事業部長」のあり方について述べている点も
新鮮である。
以下メモ。
1章戦略不全の実態。
戦略と表裏一体の関係にあるのは大規模複雑性。
鍵は大規模複雑性にある。多角化の矛先をどこに向けるべきか、
事業間の資源配分をどうすべきか、こういった本社機構に固有の
新しい問題が、戦略という概念を新たに呼び込んだわけである。
戦略概念に固有の意味は「非可分性」と「非可逆性」。
一方通行だから重要性を帯びるのである。
クラウセヴィッツの「戦術」。
グローバル戦略、グループ戦略、成長戦略、再建戦略。
競争に勝つ、負けるという前にどう競争を定義するかのほうが
むしろ戦略の関心となる。
ヘンリー・ミンツバーグがアフリカのサバンナに例え、
種々雑多な動物が入り乱れる一大草原を成している。
日常業務の大半は、うまくやらなければ大企業の存亡にかかわる
かもしれないが、うまくやっても長期収益の増大に積極的に
つながることはない。
戦略とは、長期収益の最大化に直接関与する営為だけを
切り出したものとかんがえればよい。
エクセレントカンパニー。
資産成長率、株主資本成長率、時下総額対簿価比率、
投下資本利益率、株主資本利益率、売上高利益率の6つと革新性。
8つの特徴、顧客密着の姿勢、とにかくやってみるという社風、
社員に任せる風土、現場社員の声を尊重する慣習、厳格な管理
と柔軟性の共存、現場に近いトップ、小さな本社、本業への傾斜。
ただし、43社のうち6社はすでに消滅している。
参考にすべき企業をきちんと選ぶためには戦略の何たるかを知っ
ていなければならない。
いくら面談調査を重ねても、戦略は五感で察知できるものでは
ないし、記事検索を通して容易に分析できるものでもない。
自転車にのれるようになりたいという人間がいたら、まずは教室
で古典力学を教えるであろうか。ピアノが弾けるようになりたい
という人間がいたら、まずは教室で音響学を教えるであろうか。
古典力学や音響学の大家が自転車に乗れる、またはピアノが
弾けるという保証はどこにもない。必要なのは純粋理論を学ぶ
ことではなく、練習を重ねることではないか。経営や戦略をやれ
るようになりたいという人間が来たとしても全く同じことではないか。
ケースメソッドてゃ、いわば補助輪をつけて自転車に乗る練習を
しているようなもの。
経営や戦略を学びだければ擬似的な経験学習こそが王道ということである。
いくら戦略の何たるべきかを説いても、経営者の卵は戦略ができるように
ならないということである。理論なきケースは無意味であり、ケースなき理論は未完。
演繹論だけでは簡潔しないことを帰納論につなげ、帰納論の不足を
演繹論の威力で補う、これが本書の発想。
モチベーション問題とコーディネーション問題。
「人を動かすうえで何が利己心にとって代わるのか」
「利害を一にしない構成員をいかに動機付け、共通の目標に導くのか」
エンジンは強力だけどもハンドルがきかない車。
新商品が次々と生まれては消えていく、米国では考えられない光景。
米国の企業は大型定番商品を大事に育て、そのマーケティングに力
を注ぐのが一般的。そういう企業は持続的に高収益をあげている。
仕事の面白さを競うなら軍配をあげるのは日本企業。具体的な目標と
明確な終わりを持つ仕事に従事する。
アメリカは枯れた商品の番人。
収益を軽視した新商品の過剰投入。慢性戦略不全。
2章データに見る戦略不全。
40年の超長期で企業業績を評価するという発想。
単独決算情報。
あくまでも事業収益力の指標として売上高営業利益率に注目する。
利益率の長期低落傾向。
売上高が100億円増加するたびに営業利益率が0.19%下がる勘定。
利益なき拡大。
営業利益の拡大倍率が売上げの拡大倍率を上回ったことがない。
実質営業利益に至っては、40年で見ても30年で見ても、わずかながら縮小している。
問題は利益を伴わない拡大。それが戦略不全。
「製造立国」という考え方が成立するほど日本の製造業は儲かっていない。
グローバル100に占める日本企業のウエイトは1989年以降一貫して低下。
一時期は1/3を占拠したが、いまや1/7すら確保できない。
日本がかろうじて収益力で勝るのは自動車くらい。
問題の核心は利益なき拡大、または利益を犠牲にした成長の追及。
収益力は低いのに規模だけは大きい。
日本では好業績を買われてリスト入りする大企業であり、
米国では時代の先取りをするベンチャー企業。
戦略不全の二形態、収益力の低さ、戦略の欠落。
Do nothing、いわゆる様子見。
舞台裏では実務舞台が残業に残業を重ねていた。
日本には慢性の無為無策型、米国には急性の暴走型が目立つとはいうものの
ポラロイドは無為無策の好例。バブル最盛期にマルチチャネル戦略を
掲げたマツダは暴走の好事例。
過去30年の利益率、キーエンス41%、ファナック29%、ヒロセ電機18%、ウシオ
電機13%、図研11%。
この業界に投資するよりも米国の国債を買ったほうが有利。
利益率が8%を超える企業の数は全体のおよそ1/6で、27社。
そこにはキーエンスをはじめ、比較的新しい企業が目立つ。
基幹事業を深耕することで、安易な多角化に走ることなく成長を遂げている。
総合電機3社(日立、東芝、三菱電機)、通信3社(NEC、富士通、沖)、
AV家電4社(松下、ソニー、シャープ、三洋)は1社の例外もなく収益力で
加重平均を下回っている。30年間の収益力という観点からはとても
優良とは言いがたい。
営業利益率 上位21社15.76%>>中位64社6.67%>>下位78社>>3.39%。
「傾向に打ち克つ」ということこそが戦略の本質と考えるべきであろう。
伝統ある大企業が慢性的な低収益に甘んじるとすれば、それは戦略不全
の反映にほかならない。
規模は成功の原因ではなく、成功の結果かもしれない。
1つの市場を制覇した企業が規模を拡大するためには、企業の活動範囲を
水平的に拡大するか(多角化)、垂直的に拡大するか(垂直統合)、地理的に
拡大するか(国際化)のいずれかしかない。松下電器は早くも1970年に壁に
ぶつかり、その後は規模を拡大すればするほど利益が沈み込むという
パターンにはまっている。
3章 ケースに見る戦略不全。
コマツとキャタピラーの攻防。
キャタピラーの戦略の要はディーラー。ユーザは補修が欠かせない。
補修部品の手配をはじめとするサービス体制。
キャタピラーはあえて垂直統合をかけていない。
独立しているがゆえにディーラーは全力をつくす。
コマツはTQCの取り組みを評価されてデミング賞。
コマツの防御は間に合った。キャタピラーの上陸以降も市場を
失うことなく主力事業を成功裏に防衛した。
コマツの追撃。世界の辺境にスポット輸出を重ねることで実績。
キャタピラーはそれを真剣には受け止めなかった。
コマツが欧米への進出を本格化するためには障害が3つあった。
?米国メーカーとの技術開発G提携契約が地理的制約だった
が解消に成功、?製品ラインの拡充が必要、開発を加速し、
46モデルを77モデルに、?ディーラー網、海外でもディーラー
を積極的に募り1983年に数の上でキャタピラーを上回った。
こうした中、1981年にキャタピラーは市場最高の業績を記録
したが、1982年に売上げ3割減少し赤字。
1984年にコマツの世界占有率は15%から25%へ。
キャタピラー窮地に。CEO交代。
人員を削減し、グローバル化で1988年には史上最高決算。
1987年に戦略企画会議、?強力なライバルの登場という新事態に対応、
?グローバリゼーションの波を味方につける、?景気後退局面でも
赤字にならない体質。
コマツの挑戦自体よりも無敵の王者として業界に君臨する間
に芽生えた慢心にこそ本当の危機を見出した。
キャタピラーの製品を購入する顧客に購入資金をファイナンス
するというところに事業機会。
ファイツの戦略はスコープ(範囲)の経済という原理原則に立脚している
のが明白。
一定のスコープを持った事業ポートフォリオをいち早く組み上げることで、
コマツをはじめとするチャレンジャーを寄せ付けない陣形を築いてしま
おうというのが狙い。
1983年以降小松に流れるテーマはグローバリゼーションと脱建機の2つ。
片田の戦略は、?国内生産の縮小、?部材生産の東南アジアへの集約、
?一部の機種の組み立ての海外移管。グローバリゼーションに事業機会を
見出していったキャタピラーとは対照的に受け身の印象がぬぐえない。
問題は建機以外に何をするかである。
能川は「メカトロニクスとハイテクに基板を置く複合企業」片田は「
トータルテクノロジー企業」を標榜した。
能川は樹脂成型機、田中は会員制のスポーツクラブ、片田はLCDの製造
装置、安崎はシリコンウエハーとエキシマレーザー。
キャタピラーについては一貫した経営意図が容易に浮かぶ上がる
のに対して、コマツの経営意図を見抜くのは難しい。歴代の社長は
戦略という言葉を頻繁に使い、そしてグローバリゼーションと脱建機
が一貫した戦略目標となっているところまではわかるものの、コマツ
がそれによって何を成し遂げたいのか、コマツはそれをいかに実現
するつもりなのか、コマツは何を拠り所にして競争に打ち勝つ企業
になりたいのか、結局はわからないとしか言いようがない。
要はコマツは本業の建機ではキャタピラーに水を開けられ、脱建機
もならなかったわけである。
戦略不全の好例。
キャタピラーとコマツを分けるのは何か。
両者が建機事業に対して抱く事業観。
問題は開発途上国市場をどうみるか。
コマツは事業に対する大局観が見当たらない。
減収減益のときは予想を上回る環境悪化を指摘し、増収増益のときは
戦略の奏功を自賛する点だけは一貫しているが、基本的には今期の業績
を分析して、来期の方針を確認するというただけである。
t期の出力に反応してt+1期の制御をするという印象がある。
キャタピラーは沈下費用は無視すべしという教科書どおりの講堂。
コマツは「すでにあるものは生かす」という発想。
「すでにあるから」今までに蓄積した技術があるから」という
理由で非建機事業を投資対象とし続けた。
コマツが将来どういう企業になるのかは、種まきの結果次第、
お天道様次第なのである。
「なりたい企業像」を語るときは、きわめて抽象的な言葉が使われる。
「ジャストミート」を「たくましく発展する、さわやかなコマツ」という
理想につなげることを理解するのは難しい。
キャタピラーでは価値判断を含む言語は見当たらない。
ポートフォリオと各々の事業における市場地位というきわめて具体的な
戦略の言葉が用いられる。
企業の命運はやはり経営者が左右する。
日本企業には戦略がないと言うべきかもしれないが、
事後的に見ればそこに首尾一貫した奇跡が残る。
ミンツバーグは日本企業を課題に評価している。戦略が機能していない
ことについてはもはや疑う余地はない。
企業の収益π=(P-C)q-k、π(収益額)、P(製品価格)、c(変動費用)、
q(生産数量)、k(固定費用)。
企業間の唯一の差別化の手段が価格であるならば、消費者は
一番低い価格を定時する企業からしか製品は購入しない。
クールノー競争においては需要が価格に応じて変化することが本質的な
要件になってくる。
クールノー均衡。
破滅的な数量の拡大こそが収益逓増の下では自然な市場均衡が存在しない。
企業収益を究極的に規定するのは、自社と競合他社のコスト(Ciとki)、
市場への参加企業数(n)、および需要曲線と費用曲線の形状である。
企業がいくら努力を重ねても、競争の構造が致命的に悪いところでは、
努力が報われることはありえない。世の中には構造が好ましい市場
とそうでない市場が並列していて、いかに好ましい市場に経営資源を
集めるか、ということになる。「自らに有利なゲームを選んでプレーせよ」
と俗に言うが、大事なことは自社の強みを生かすことだけではない。
それとは別に、利益の出やすい構造を選択するという発想も重要なのである。
差別化という概念は、一般に競合企業数nを小さくするための行為として
理解されている。
その製品に高い価値を認める人から、価値をほとんど認めない人まで
いろいろな人がいるということである。
「戦略は最大化された利益の大小を問う」という基本視角に加えて、
「構造の選択」、「参入の制限」、「価値の捕捉」という
3つの視点を現実の切り出し方と読み取り方に生かそうというわけである。
帰納論の発想はいたって単純である。「戦略の機能を長期収益の最大化と明示的に認識すれば、高い長期収益
を実績としてあげている企業群に注目し、そこに共通して見られる特徴
でもって戦略を定義することができるはずである」というだけである。
2000年時点で一部上場の電機および精密機器の163社。
マッチングペア。
同一または類似の事業機会に直面する企業を組として比較して企業業績を
相対的に評価しようというものである。
早くから事業に携わっていたという事実自体が利益に貢献している可能性がある。
株式投資の対象として企業の資金活用力を評価するならばROEも意味があろうし、
融資の対象として企業の資金活用力を評価するならばROAにも利があろう。
自動車メーカーと量販店と官公庁を相手にする事業が低収益ビジネス。
各種の顧客を本質的に混合して待つ総合電機という企業形態も成長には
有利だがやはり低収益は免れない。
企業の営為がすでにベストを尽くしている同業他社を凌駕する利益を
生み出す余地などどこにもない。きぎょうにできるのはやはり構造の選択だけと。
すでに悪い構造を選択してしまった企業は大胆な商売替えを模索するしかないことになる。
産業照明をてがけるウシオ電機。
岩崎電気をウシオ電機が完全に凌駕している。
「脱量産」がウシオ電機の指向性を定義する。
ウシオ電機と岩崎電気は事業ドメインの物理的定義を共有するものの、機能的定義を
異にするのである。
光源は消耗品。
コネクタのヒロセ電機とSMK。ヒロセ電機は一貫して15%を割り込んだことがない。
ヒロセ電機はかに工具を使って人手で組み立てる生産方式を採用している。
「検査工場」の周辺に専属外注先が30社ほどある。こうして生産にかかわる
固定費を極限まで切り詰めることによって生産量の変動が収益に及ぼす
ダメージを限定し、同時に変動をネットワークで吸収することを可能にしている。
技術開発部隊が、工場や研究所ではなく、営業部門の傍らで仕事をする営業密着型。
4万点以上の品種の3割り以上は導入後3年以内の商品。
変わった企業みみえるがやることなすことすべてに高い一貫性がある。
コネクタは「当たり」と「外れ」が大きい。
テルモとJMSの対比。
両者とも医療機関に対して診断装置や消耗医療品。
捨てるのはもったいないという考え方の根強い日本においてディスポーサブル
医療機器が定着したのは1970年代に入ってから。両者はこの分野の開拓者といえよう。
テルモの相対的な高収益を解き明かす鍵はやはりコストにある。多くの
製品について一貫連続生産・全自動化が実現した。テルモが自動化に傾ける
熱意は単なる物好きではない。差別化の余地が限定された体温計でテルモが
独走態勢を築いた背景には製造工程を通した信頼性の向上とコストの削減がある。
市場制覇を果たした後にも追求の手を緩めることはなかった。
1960年にはガラスの自動製管を実現している。中核技能。
一言で投資といっても、どのタイミングで、何に、どれだけ、と考えるべき
ことは多い。肝心なのはこうした判断。
KOAと北陸電気工業。炭素皮膜固定抵抗器メーカー。
KOAの変身を説明するのは、1987年に正式に推進本部となったKPSであろう。
KPS自体は当初はKOA生産システム、後にはKOA利益システムと拡張解釈
されるようになった一連の仕組み。その考えはトヨタ生産方式そのもの。
必要なものを必要なときに必要なだけ造る。
見込み生産が受注生産に切り替わり、納期も1〜2週間が当たり前の業界で
3〜4日という水準を実現。
分析のためにマッチングペアを用意はしたが、相手方の企業には不可解
または不当な比較と映る可能性が高い、たとえばSMKがライバル視する
のはアルプス電気であってヒロセ電機ではない。この現象は「異質化」
と呼ぶのがふさわしい。
異端一貫型は、量産を手がける大手競合相手がいる業界で、大手とは
全く競争しないビジネスを展開する事例である。カスタム製品を取り揃え、
ソリューション営業を展開し、モノ造りへの固定投資は最小限に絞る
など、企業の構えが一貫しているところに鍵がある。
継続一貫型は、潜在的な競合相手がいる業界で徐々に競合を振り切って
独壇場を築き上げた事例である。速い時期からやることを絞り込み、
わき目もふらずにそれを徹底してやり抜いているところに鍵がある。
営業能力型と製造能力型はやはり競合相手のいる業界で独自の能力に
よって局所的に競争を中立化している事例。鍵になる営業能力や
製造能力は天賦の才というよりも競合他社とは違う発想で投資を
振り向けた効果によるところが大きい。
有利な構造を人為的に作り出しているという意味でまさに戦略が
高い長期収益率をもたらした事例とみなしてよいであろう。
第6章大局的判断の戦略論。いよいよ戦略が何なのかを見極める。
戦略とは、誰が、いつ、どこで、いかなる理由といかなる手法を
もって何をすることを言うのであろうか。この問いに正面から
答えることにする。
戦略の要諦の1つは構造に恵まれた市場で事業を構築することである。
高水準の長期収益を上げるためには、何をおいてもまずは構造に
着目しなくてはならない。枠組みを所与とした経営の努力だけでは、
うまくいっても業界の水準に並ぶのがいいところでそれ以上を望む
ことは無理である。良い構造を手に入れたければ一から事業を構築
するしかない。そういうところに後から容易に参入できるものではないからである。
製品の「差別化」という発想。すでにm個の市場があるときにm+1番目
の市場を創造すること。
平易に言えば、モノとタイミングとロケーションの新しい組み合わせ
を生み出してさらには参入障壁を周りに築いてそれを守りなさい
というわけである。
サウスウェスト航空。競合相手と微妙に異なる構えで事業を展開しているため、
競争になるようでならないのである。ウォルマートも同じ。
似て非なるもの。「異質化」と呼ぶ現象。
異質化を成功裏に遂げると、収益力が劇的に向上する。「異質化」
とは
「似て非なるもの」を作り出すこと。経営戦略の真の要諦はここにある。
必ずしも物理的にモノを変える必要はない。むしろ物理的なモノは忘れて
その背後に控える全体の合理性や全体の合目的性を見直すことこそが成否
の鍵を握る。「差別化」とは「明らかに異なるもの」を作り出すことである。
異なれば異なるほど、代替関係、そして競合関係が弱くなるので、
良いことととされる、けれども、明らかに異なるものを作り出すことは
先述のように難しい。「差別化」と「異質化」。戦略の要諦は
異質化にあると考えたほうが企業が能動的に動くスペースがはるかに広がる。
戦略のプロセス、それを担う主体は経営者しかありえない。
戦略の実態とはこうして無秩序にやってくる。1つ1つは小さな判断の
長い期間にわたる積み重ねにほかならない。
経営の現場は混沌としており絶えず動いている。
「変わりゆくものの背後に潜む、変わらぬ原理に注目せよ」
戦略のプロセスにおいて変わらないものは、戦略の主体、すなわち経営者である。
判断の拠りどころのようなもの。「事業観」。
例えば工場の床に落ちているボルトを見て、ただのボルトと受け止めるか、
「清掃」の不行き届きと見るのか、そこに労災の可能性をみるのか、
ボルトがそこから抜け落ちたはずの機械の故障を心配するのか、はたまた
職場規律のゆるみを感じ取るのか、これは人が持つ基本辞書次第である。
元は同じじょうほうでも翻訳次第で大きく判断が変わりうる。
1つ1つは小さな判断の長い期間にわたる積み重ねに一貫性が浮かぶ
とすれば、それは変わらぬ経営者の事業観が背後に控えるからなのである。
アンゾフのマトリックス。アンゾフの当初の関心は企業が成長を遂げる道筋にあった。
標準化された手法の中から、差別化や異質化はうまれようがないのである。
根本的な矛盾がここにある。
組織で仕事をする以上、成員が同じ理解を共有することは大切で、
そのためには誰にも受け入れやすい判断基準が不可欠になることはよくわかる。
確たる事業観を持たないスタッフの組織に委ねて戦略ができると錯覚することなのである。
本当の戦略は事業の構成をどうすべきなのかという大局的な判断にある。
鉄道事業を不動産事業と組み合わせれば鉄道サービスの高速化が
沿線の地価の上昇を通じて宅地開発事業を利することになる。
シナジーは見かけより難しい。鉄道会社が経営するデパートの低迷ぶりを見ると、
「餅は餅屋」の教えに背くコストが以外と大きいことは創造がつくであろう。
企業の長期収益が経営者の持つ事業観に大きく左右されることは明白だろう。
その意味で戦略は経営者の判断、またはその背後に控える事業観なのである。
構想の戦略論が問題とするのは企業ドメインである。ドメインとは
水平方向への広がりに対して自ら課す協会の認識のことをさしている。
平たく言えば、勝負をかける土俵をどう設定するのかという話で、
それを企業、またはその成員がどう捉えるかということである。
レビット、「鉄道業」、「輸送サービス業」。レビットの言い方を借りれば
業は不要になっても顧客のニーズは永遠であり、衰退産業など存在しない。
それでも衰退が起こるとすれば責めるべきは人間の硬直的な発想ということになる。
自らを「ステレオ機器の製造」に縛り付けた音響機器メーカーは
レコードがCDに置き換わるとともに衰退の道を歩んだ。
パイオニアは自らを「よい音の創造」に縛りつけていたため、デジタル技術到来をむしろ
好機と捉えた。構想の戦略論に従えば、企業は意味のある一体性を保ったまま
、ドメインを漸進的かつ連続的に延伸することになるはずである。これが計画の戦略論
になるとその逐次性のゆえ、成長の軌跡に一貫した型を見出すことは難しくなる。
悪い構造が将来良くなる見込みもないのであれば人を替えて再挑戦しても
無駄。そういう事業は早く撤収するに限る。
本当に難しいのは恵まれない構造にすでに立ち入ってしまったものの、耐え切れないほどの
赤字を垂れ流す状況には至っていない事業である。こういう事業は人を替えて様子をみる
ことになりやすく、もっとも事業戦略に期待がかかるところである。現実の世界では
こういう事業が大半をしめる。ところが構造の戦略論はここで立ち往生してしまう。
スズキがトヨタになると決めたらポジショニング変えができるのか。トヨタがBMWになる。
BMWがフェラーリになる、フェラーリがスズキになる、という場合はどうなのか。不可能で
はないがこういう大胆なポジショニングの変更は限りなく不可能に近い。
悪い構造に陥った事業につける即効薬は存在しない。
組織能力、細部を含めた工程のデザイン、それを動かす現場管理者や作業者の技能、
その技能を引き出す職場環境、その職場環境を守る人事制度、その人事制度を育む
企業風土などがすべて含まれる。
デルの成功は「モデル」という言葉で説明されている。デルはこれを直接モデルと
呼んでいる。
全体の統合性の高さ。
戦略不全がなぜ起こるのか、端的な答えは「戦略が難しいから」。
戦略はある種の非合理を必要とする。どういう事業に魅力を感じ取るのか、
事業のどこに広がりを見出すのか、事業の収益構造をどう読み取るのか、
事業を左右する組織能力をどう見るのか、こういう天下分け目の判断を単純な
理に照らしてくだしてはならない。
経営はむしろ数理と道理の間で折り合いをつけるよう宿命づけられている。
人間は一般に人の同意や共感を得ることにに価値を乱す。
常理が大手を振って闊歩することになれば、戦略不全は避けがたい。
社内で合意を取り付けやすいということは、他社で事情は同じと知るべきであろう。
熟練という現象の捉え方。
おいしいクッキーやワインを造るためには、そもそも「おいしい」と「まずい」の差が
知覚できなければ話にならない。
長期収益とは言うものの実は決まった終点はない。
戦略は職人の技と同様で分析というよりは実践経験の統合に本質があると言ってよい。
経営者には常理に従う一般の人をはるかに凌駕する詞やの広がり(SCOPE)と視界の
奥行き(SPAN)を持ちながら事業観を重ねることが要求される。
モチベーションは必要条件であっても十分条件ではない。
トヨタは乾いたタオルを絞る。
トヨタは効率を捨て利益をとるからこそ大きく儲かる。
どこにも魔法はない。
トヨタ生産方式の複製に成功した試しはいまだにない。わかったと思っていてもマネができない。
組立工の視野はせいぜい前後20メートル、左右5メートルである。
トヨタの大野、稼働率を否定する可動率、自動化を否定する自働化、省人化を否定する少人化。
戦略はオペレーションのパッケージ。戦略なきオペレーションはいくら努力を積み重ねても、
長期の高収益につながることはない。
中期計画といってもたかだか向こう3年をにらむ程度である。それを超えてプランニングをしても
市場や技術がダイナミックに変化していくために、プランの仮定が崩れてしまい、意味がないという。
長期の因果関係になるとむしろ歴史小説や国家戦略論が得意とするところ。
『失敗の本質』。山本七平の『一下級将校の見た帝国陸軍』。
経験主義の前に理性は通用しなくなる。
40年は超長期と呼ぶべき時間の尺度。
キャノン「脱カメラ」、「右手にカメラ、左手に事務機」。キャノンの全事業が「イメージセンシング」
という構想に集結しようとしている事実は見事。
岩崎電気「ドロナワ式の事業はダメだ。自社の持つ技術を土台にトコトン腰を据えた本格的な
仕事をやらねば・・・」。
戦略は、非合理、非可分、非可逆でなければならない。
経営者を育て上げるという発想は後手にまわりがち。
社長、3期6年が多かったのが、2期4年が優勢。
在任期間30年以上の社長42名。ホシデン、古橋了、創業者1950年。
社長がコロコロ替わる会社では業績が上がらない。
事業部長職は余人をもって替え難いポストといってよい。
本社と事業部の間。どんな事業でもそれを営むためには資金が必要。
そういう資金を企業の内外から調達して事業間に配分することは、本社が存在する理由の1つと言ってよい。
統治の問題は二律相反を含んでいる。一方で縛りを設けないと資金を拠出する側の利益が守られないが、
縛りすぎると今度は経営陣に無用な制約を課すことになてしまう。本社は
事業部に対して積極介入するしかないのである。
事業統治で主流を成すのは本社による事業部の直接モニタリングである。事業部には本社にすがる
以外に資金調達の方途はないことが決定的に効いている。
モニタリングの具体的な方法は本社スタッフが事業経営責任者を呼びつけたり、事業部に
資料の提出を求めたり、監査チームを事業部に送り込んだり、いかなる形もとりうるが、
定常的には事業計画を中心にして進むことが多い。
事業経営責任者は事業を預かる管理人という色彩を帯びている。
事業部長職の任期は3年前後。中期計画を大騒ぎして作ってもその結果を見届ける事業部長
はまずいない。
事業部長をここまで頻繁に替える利点はどこにあるのだろうか。企業本体の経営陣へ
人材供給のパイプラインを確保しなければならない。役員昇格の可能性を考えると、
一刻も早く事業部長職を卒業させなければならない。
真のリーダーは働く組織に従属しない人。
事業部長が何を切り口と見るのかは、自分が何を得意技とするのかで基本的に決まってしまう。
人は経験を通して自らの辞書を形成し、その辞書で解釈可能なことしか心の眼に見えない。
人の職業履歴は掴みにくい。
人を動かさなくても技術が動く。そういうところでは異動がなくても刺激の源泉には事欠かない。
同じ開発でも技術的に枯れた商品の設計となると製造技能の要素が混ざってくる。
営業職能には3つの主要変数がある、(商品)何を売るか、(顧客・ルート)誰に売るか、(エリア)
どこで売るか。
開発職能レースでは勝つ者は動かない。
全員が専門とする研究や開発を続ける「権利」を手にしてキャリアのスタートを切るものの
レースはこの「権利」の剥奪という形で進行する。権利を握り続ける者は自らの
専門性を維持することになる。
一般に理系の専門はつぶしがきく。
理系人材から経営職に登用される場合、たとえキャリア転換があったとしても、基本的には職能
内レースに終盤戦まで居残ることが条件となっていることを示唆している。
開発職能のエース。入社して2回昇進を遂げた後、14年でチームのリーダーに指名され、
20年で周辺のチームも統括する部長格責任者になっている。実質的な異動は皆無のまま。
彼が名実ともこの技術分野の第一人者であることは疑う余地がない。
専門性は長い時間をかけて築くものだけに余人をもって簡単に置き換えられる技能とはわけが違う。
海外居住経験を持つ人は19名に達している。
的の絞りが利いた事業推進をやるためには視野の広さとマネジメント能力だけではダメで、
拠り所となる専門性の基盤がないとリーダーシップがとれない。
事業部長職はそれ自体が目的ではなくて一種の通過儀礼になっている。
変えるべき発想は、経営職は部長職の延長線上にあるとする硬直的な単線人事である。
経営者の育成に課題がある。
経営職は明日に立ち向かい、管理職は今日を保証する。
CEOとCOO、経営職と管理職を明確にする。
CEOとCOOは同じ単線の上にはない補完的な分担。
経営職を務める人に求められるのは完成度の高い事業観その一点だけ。
企業や事業の経営は自動車の運転並みに扱われている。もしかしたらそれ以下かも。
(1)一定の年齢に達していること、(2)操作対象たる自動車の機構を理解すること、(3)操作環境を規定
する交通ルールを理解すること、(4)一定の練習量をつむこと、基本的にはこれだけ。したがって
望む人にはほぼ例外なく免許が与えられる。
自動車の運転手よりも企業の経営職に近いのはジェット戦闘機の操作士である。操縦ミスのコストは計り知れない。
実践と内省。
小倉昌男、30代を中心として基本となる事業観が固まっていく。
基本動機の醸成には主に人の成長期に起こる減少である。
そういう動機につかれた人間はそもそも大企業に入社する道を選ばない。たとえ大企業に就職したとしても
そこに長くとどまることは望めない。実際に基本動機のできている学生は皆無に近い。
そういう学生がほぼ白紙の状態で大企業に入社していく。
そして会社の中で事後的に動機を形成して会社人間になっていく。原点の所在を尋ねて、
仕事体験や上司との出会いを挙げなかった人は1人もいない。
会社としてとるべきアプローチは、基本動機を形成すべき時期に企業組織の外でこれを醸成した人間を経営者が
経営者の目で鋭く見抜き丁寧に一本釣りする。
もう1つは操業経営職にふさわしい形で組織的に行う。
前者はソニーの大賀典雄。キャノンの賀来龍三郎。
30歳前後になると初めて主任のような肩書きをもらう社員が出てくる。
一種の卒業証書。
自分の判断で動くことを許すライセンス。
米国ではビジネススクールが選抜機能を肩代わりする。
米国のMBAは20代の後半でファストトラックに乗ることを可能とする。
米国の最大の欠点は、強烈な副作用。厳しい競争に勝ち抜いた
20代の人間が泥臭い実務体験は迂回して、たとえ仮想の世界といえども
来る日も来る日も違う事業の経営者の立場に立つ。エリート意識を持つなというほうが無理。
主任になるまでは誰もが短いフィードバックサイクルを持つ仕事に従事するのが望ましい。
何かをすればすぐに結果が見える。そういう仕事は学習を加速する。実業の最前線に
近ければ近いほど、そういう仕事は多いはずである。
対象の中に身をおいてはかえって全体像が見えない。
神戸大学は職場で抱える問題意識を出発点として修士論文をまとめる。
常理を否定する非合理の発送があってこそ異質化につながる。
確信命題は無から唐突にひらめきで生まれるものではないと見るべきだろう。
現実のこまごましたオペレーションに手を染める中からこそ、地に足のついた
事業認識に基づく大きな確信命題が生まれるのである。
確信命題はへたをすると独りよがりや思い込みと紙一重なのである。まさに栄華
と滅亡をわけるナイフエッジ。
事業認識を形成する段階は社外のビジネススクールでもかまわないしそのほうが
むしろ望ましい。
大企業における既存事業では成功事例は限られている。まるで重力が作用
するがごとく、収益性はジリジリと下がる傾向を見せる。

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2009年10月13日

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非常に優れた経営戦略の書。日本企業がいか収益性を低下させていったかについて戦略不全という立場から述べている。結論に目新しさはないかもしれないが、その分析手法や論の立て方は切れ味抜群であり、非常に参考になる。
 また論を一貫して一つの立場から組み立てており、その論を崩すことはほぼ不可能だが、対抗仮説としてこの本から観ていない観点から同じ現象をとらえたりすると、非常によい知的訓練になる。

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2009年10月04日

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ネタバレ

戦略不全の論理

■事業領域の明確
・明快な得意技を持ち、それによって帰還事業を深耕することで、安易な多角化に走ることなく成長を遂げる。
・創業以来時が経過するとともに、規模は拡大すれども利益率は低下する。
・傾向に打ち勝つことこそ戦略の本質。
・伝統ある大企業が、慢性的な低収益に甘んじるとすれば、それは戦略不全の反映に他ならない。

■経営戦略の3要件
・戦略不全を回避するための非合理性・非可分性・非可逆性
①非合理性
・業界の常識を破りながら、新たな経営の合理性を打ち立てる
②非可分性
・戦略はオペレーションのパッケージ
・部分最適化は効率化の罠であり、そうならないようジャストインタイムのように全体の最適を目指す。
③非可逆性
・超長期のコミットメントこそが、競合他社との間で決定的な収益力の差となる。

■売り先により利益が変わる
・誰を相手に
・何を売るか
・利益は大きく変わる

■構え
・垂直統合/多角化/地域展開の程度

■安易なシナジーにとらわれない
・自社が強みを持つコアの技術群をどこまで掘り下げて需要分析するか
・技術や販路に類似性があれば進出しやすいが、事情は同業他社にとっても同じ

■均衡
・有効性は、ボトルネックによって制約される。
・ボトルネックがないようにする。

・事業全体がどうゆう姿になれば、高い長期収益が得られるのか、
・具体的に語れる事業部長は10人に1人
・特定に職能に強くても、ほかの職能について素人同然であれば、経営そのものを分業化せざるを得なくなる。

■事業部制
・事業部長へ大幅な権限移譲
・縦方向の垂直統合による多角化

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2021年08月07日

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日本企業の戦略が有効に機能していなかったという仮説をデータに基づいて検証しようというものだが、
前半3章までの論証はどうも怪しい。。
が、4章以降は真面目で有用な議論が進められている。

以下は各章のまとめと感想。
概ね良い本だったので、少し丁寧に書く。

最初は「環境要因を取り除くために超長期で業績を見る」として1960年から2000年の40年間の日本企業のデータを持ってくるが、ここに他国との比較はない。
続いて、90年から2000年の10年間をタームで日米有力企業の比較を行う。
(超長期はどうした・・・しかも失われた10年から・・・明らかな選択バイアス)

戦略不全を主張するロジックもおかしい。
規模の拡大によって利益率が下がっていることを示すデータを持ってきて、
三品先生の解釈は
「利益を犠牲に規模の拡大を進めている。
(利益を増やすことが戦略の目的なら)日本企業は戦略不全に陥っている。」というもの。

株主主権を中心とするアメリカの企業論理と
従業員や取引先、グループ会社との関係を優先する日本の企業論理という相違がベースにあるなかで、
利益率が低いから戦略不全だ!と主張するのは尚早だろう。
規模拡大のための多角化とPPMによるマネジメントは
有機的成長を取るかわりに利益率を低下させるというのが基本的なパターンだろう。(GEはどうか、と言われればその通りだが・・・)
またアメリカ市場に比べて日本国内での消耗戦が多すぎたということはなかったかなどの検討も、利益率を低下させるその他の要因を取り除くために必要だった気がする。

3章ではコマツとキャタピラーの比較からコマツの戦略不全の主因をトップの任期の短さから来る方針のちぐはぐさと分析する。

4章以降はなかなか面白い。
経済学のモデルから戦略の本質を考察する。
経済学モデルの前提にあるのは各業務レベルの意思決定は合理的に行われるという仮定であり、そのため企業の収益を左右するのは市場の構造なので、
どこに参入し(ポジショニング)、
どの特徴の市場ではどういう戦略を取るべきなのか(差別化なのか原価低減なのか、アライアンスなのか)を示唆するという。

5章は実証分析から業績という従属変数を環境要因を除いて戦略要因による影響を観察する。
3章と打って変わって丁寧な論証。
マッチングペア比較をした上で、いくつかの明確な差が生まれたペアをケーススタディ的に分析。
最後は戦略のパターンとして類型化まで行われる。

6章では似て非なるものを作り出す「異質化」という概念を導入し、戦略の要諦だと説く。
この異質化を達成するための戦略とはどのようなものがあるのか。戦略論の歴史を辿り戦略の分類を行いながら説明する。
ミンツバーグの戦略サファリ的な解説で、非常にわかり易い。
戦略を「構造の戦略」「構成の戦略」「構想の戦略」の3つに分け、上から順にポジショニングが重要とする戦略、組織能力が重要とする戦略、事業システムが重要とする戦略だと説く。

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2015年01月31日

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ネタバレ

<本当に大雑把な概要>
戦略は長期的にしか効果をもたらしえない以上、経営者がコロコロ変わっては戦略は機能しないであろう、ということで電機業界に関して経営者の在職年数と企業の収益性について統計的に分析したところ、有意な結果が得られた。
また部下の管理を行う管理職と、戦略を考える経営職は分離すべきであり、(CEOとCOOみたいに)これらに求められる適性が異なるために、経営職の社内外での専門教育が必要である。

<所感>
・因果が逆の可能性について検討が不十分じゃないかと。つまり収益性が低い企業は経営者がコロコロ変えられてしまう、っていう因果も十分あり得ると思うのだけれども、その話への言及がない…
・因果を一歩一歩考える本であり、こういう本も読まないと頭がなまる。気をつける。

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2013年02月01日

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職場ボスおすすめ本の1つ。

日本企業がなぜ米国企業と比べて戦略"不全"になりやすいかを説明した本。
戦略不全:戦略があるのにそれが機能しない状態を指す
日本企業と米国企業の大きな違いは、組織構造にあり、
日本企業は現場が権限を持ち民主主義的な指揮系統なのに対して、
米国企業はトップダウンで中央集権的に判断が決められる。
そのため、日本企業は戦略の共有ができていないと戦略不全に陥りやすい。
しかし、米国企業はトップが戦略を決めるとそれを実現する役割の従業員がしっかりと実行をする。
過去の優良企業をみると、一度成功してから成長戦略を再度立て、それを実行している企業が強い。
日本企業のいいところは残しつつ、米国企業のいいところを吸収しなければいけないと思った。


以下の言葉が印象に残った。

■戦略にかかるのは異端一貫型、継続一貫型、営業能力型、製造能力型の4つ。
■「差別化」よりも「異質化」を意識して環境を変える。

戦略不全の実態88P
日本企業の戦略不全症26P
日本企業の戦略不全症
データに見る戦略不全
ケースにみる戦略不全
データに見る戦略不全34P
全上場企業の時系列業績推移
優良大企業の産業別日米比較
特定産業内の企業別業績比較
ケースに見る戦略不全28P
キャタピラーとコマツ 第一幕
キャタピラーとコマツ 第二幕
攻防の全体像

戦略とは何か102P
演繹的マクロ戦略論28P
競争の経済分析
費用構造の影響
戦略論への含意
機能的ミクロ戦略論40P
マッチングペア分析
企業業績の二重螺旋
例外企業の事例研究
大局的判断の戦略論34P
経営戦略とは何か
企業戦略論の系譜
事業戦略論の系譜

戦略不全の背景と処方箋108P
経営戦略の3要件32P
非合理性
非可分性
非可逆性
日本企業の経営者46P
社長在任期間の漸次的短縮化傾向
事業経営責任者の管理職化傾向
日本型キャリアシステムの陰
戦略不全の処方箋30P
リーダーシップ論を超えて
経営人材の基本動機の形成
経営人材の基本辞書の形成

全部の章が3部構成なのは、
わかりやすいからかな?

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2013年01月05日

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・一般に企業は市場経済の供給を担う部品とみなされるが、市場と企業は実は同じ機能を司る代替的な組織であるという事をコースは看破した。大企業は市場を侵食しているというのである。
何が違うのか。大企業の中では、指揮を受ける側も指揮を発動する側も、市場経済の原動力たる利己心を少なくとも一時的にサスペンド、または保留しているのである。かくして大企業は利害を一にしない多数の人の間の、利己心を保留した継続的な協業の上に初めて成立する。そうであるがゆえに、ここには宿命的な問題がついてまわる。端的に言えば、「人を動かす上で何が利己心にとって代わるのか」という問題がそれである。「利害を一にしない構成員をいかに動機づけ、共通の目標に導くのか」と言い換えてもよい。この二重の問題の前半部分が企業のモーティベーション問題、後半部分が企業のコーディネーション問題である。
企業はこういうモーティベーション問題とコーディネーション問題を同時に解く事を迫られている。ところが、これが簡単にはいかない。なぜならば、コーディネーションは一般に指揮官が持つ権限とともに強化されるが、モーティベーションは各構成員が持つ権限と共に強化されるからである。

・本来ならば規模は福音のはずである。規模の経済という概念が存在するのはまさにそのためである。しかし、規模自体は両刃の剣である。1つの市場を制覇した企業が規模を拡大するためには、企業の活動範囲を水平的に拡大するか(多角化)、垂直的に拡大するか(垂直統合)、地理的に拡大するか(国際化)のいずれかしかない。どの道を選んでも企業の経営は複雑さに格段に増していく。
規模の不経済は主に企業の間接部門で問題となる。直接部門で規模の経済が働くのとは好対照と言えよう。およそ企業という存在は、その効率を業務プロセスの定型化に負っている。定型化するがゆえに企業は経済性を発揮すると言ってもよい。この定型化をするときに、企業は一定の範囲の企業活動を想定して最適化を図るが、規模の拡大はこの想定範囲を結果的に無効にし、定型化のやり直しを多くの間接部門分野に要求する。グローバリゼーションに伴う人事制度や経理制度の改訂はその良い例であろう。
規模の壁がどこに位置するのかは、企業ごとに差を見て取る事が出来る。これは、それぞれの企業に存在するインフラストラクチャーの優劣を反映するものであろう。日本の電機業界には円高と、それから派生するグローバリゼーションが鬼門となっていることが明白である。AV家電の場合には、それに加えて高度成長の終焉と、それに促された製品ラインの多様化がもっと早い時点から鬼門となっていた。いずれも随所で再定型化を必要とする変化である。これに的確に対処することなくいたずらに規模の拡大を指向したことが、劇的と言って良いほどの規模の不経済を生んでいるのではなかろうか。
企業は成長を指向するが、一般的傾向として収穫逓減の法則にさらされている。したがって、創業以来時が経過すると共に規模は拡大すれども利益率は低下する。ただし、これは不可抗力というものではなく、むしろ無為無策のなせる業である。100年以上の歴史を持ちながらも驚異的な成長率と利益率を維持する米国のGEやIBMの事例を引くまでもなく、一般的傾向に打ち克つ企業は現に日本にも存在する。
この「傾向に打ち克つ」ということこそが、戦略の本質と考えるべきであろう。伝統ある大企業が慢性的な低収益に甘んじるとすれば、それは戦略不全の反映にすぎない。

・ドメインの機能的定義という概念を初めて唱えたレビットは言う。「鉄道業」という物理的な自己認識の下では、自らを機関車とレールに縛りつけることになる。そこには地理的な拡大しかありえない。ところが、これを「輸送サービス業」という機能で読みかえると、トラックとの競争や顧客が視野に入ってくる。そうなれば、自社の本文から大きく逸脱することなく、将来に向けての広がりを持たせる事ができるであろう。この議論の本質は、自らが従事するところの業で自己を定義するのか、または顧客に提供する価値で自己を定義するのかという点にある。レビットの言い方を借りれば、業は不要になっても、顧客のニーズは永遠であり、衰退産業など存在しない。それでも衰退が起こるとすれば、責めるべきは人間の硬直的な発想と言うことになる。
余談になるが、日本の企業は必ずしも構想の戦略論に従う訳では無い。むしろ、深みのある技術でドメインを定義して、その結果として企業の発展性を確保しようとする。フェライトのTDK、セラミックスの村田製作所、C&CのNECあたりがよく引用される成功例であろう。これは顧客から見た機能に注目するドメイン論とは対極に位置する発想と言って良い。

・アダム・スミスの国富論は以下の観察から始まっている。ピンの製造には18の分離可能な工程があり、それを1人で全部こなすと1日でピンを20本完成させるのが限界である。ところが当時出現しつつあった工場の一つでは、同じ工程を10人の作業員で分担しており、1人1日当たり4800本という驚異的な生産量を誇っていた。この工場見学の体験に基づいて、労働生産性の史上最高の飛躍が分業によってもたらされた、とスミスは断じたのである。
分業はなぜここまで大きな威力を発揮するのであろうか。アダム・スミスは次の3つを理由として上げている。
①作業の単純化が手先の習熟を促す
②作業から作業へと移るたびに段取りを良くする
③作業の単純化と専業化が作業の機械化を後押しする
この理由は確かにその通りである。ただしそれだけでは、生産力の爆発的な増大を説明する事はできない。我々は、1万5000年が130年に短縮されるという桁違いの効果を説明しなければならないのである。分業の威力の最大の源泉は、実はそれが許容する知識の多様化にあると私は考えている。例えば、100年前1人1人は生活の関わる豊かな知識を持っていたが、みんな持っている知識は同じであった。対して現代は、社会に存在する知識の総体が当時とは比較にならないほど豊かなのである。かくして衣食住を超えて、われわれはインターネットで病院を探しだし、携帯電話で予約をし、CTスキャンによる内臓の診断を受けて、保険で支払いを済ませるのである。どれ1つとして、個人でそれを作る事のできる人間はまずいないにも関わらずである。
企業の巨大化を支えるのは実はこの知識の分業にほかならない。しかし、それは良いこと尽くしではない。現代の大企業は、研究、開発、生技、品質、購買、製造、物流、営業、情報、人事、経理、法務といった機能部門にあたかも当然のごとく分かれている。すると視野が限定される。内と外では入ってくる情報量に圧倒的な差が出来るため、非対称性がそこに生まれるのである。判断材料がある事については慎重に考える事ができるが、ないことに逡巡していても意味が無い。自分の下す判断が視野の外で何らかの影響を持つことは分かっていても、その影響に関する情報が入ってこなければ、あたかも視野の外は存在しないがごとくに振舞うしかない。人は決して馬鹿では無い。しかし、分業が人を馬鹿にする。職務が単純化されるとその成果をもっともらしく測る指標が明示的に定義されるようになる。稼働率などはその最たる例と言えよう。何が合理的かという基準が目の前にぶら下がると人は「合理的」に行動するよう迫られるのである。かくして部分最適化は加速される。巨大企業は、その巨体のゆえに強大に見える一方で、時として小さな頭脳しか持たない大型恐竜のように見えるのはそのためである。
分業はそれを生かすためには、他方で統合を必要とする。統合、またはコーディネーションによって部分最適の弊害を抑制しないと、分業の利を害が上回る事になりかねない。戦略の存在理由は、ここにあると言って良い。経営は分業するものであるが、戦略を分業するということは原理的にありえない。

・リーダーシップ論に従うならば、どうしても人間(精神)を鍛えることに関心が向かうので、組織だったプログラムというよりは、ある種の体験をさせるという発想になりがちである。しかしながら、人を根底から揺り動かすような体験を与えれば、それで戦闘機を操縦できるようになるものであろうか。どんなに衝撃的な体験であっても、それは無理であろう。戦略のできる経営者は時間をかけて組織的に作りこむ必要がある。

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2013年12月29日

Posted by ブクログ

 戦略は社長の才覚だ、おしまい。という本だ。要は「事業観」(p.155)とある。「完成度の高い事業観、その一点である」(p.276)。

 「それじゃあ、自分は社長じゃないしなあ。しょうがないよなあ」、となってはつまらない。実は面白い本だ。著者の文章、言葉使いが魅力的だ。

 文章スタイルとしては、先にまとめを書いて、それから説明するというスタイルです。この順番の妙が好きです。

 言葉は実に達者だ。「人は決して馬鹿でない。しかし、分業が人を馬鹿にする」(p.210)なんてにくいですよね。

 「事業システム」(p.188)という言葉が出てきます。これは「意外と模倣されにくい」(p.188)しかも「構図を生かすチャンスは、事業をこれから立ち上げようという一瞬にしかない」(p.188)。昔はこの「一瞬」が何度もあったんですよね。
 
 「パッケージをオペレーションとして根づかせるためには、経営者が絶えず現場に関与して全体の視点から誤りを正すと同時に、現場から生じる部分の問題に応じてパッケージそのものを修正するプロセスが不可欠となる。このプロセスに、10年を優に超える歳月が必要となるのである」(p.213)

 一番魅力的なのは「大企業が組織的な確信命題の形成を必要とする」というくだり。MBAのような外部スペシャリストの効用を説きつつも、「確信命題となると一般論では済まされない。それこと特定の事業体の、特定の事業における、特定のタイミングでの戦略にかかわるからである。これを議論するとなれば、コンテクストを共有する社内で行うほかはない」(p.299)
 
 インサイドのやることはあるのだ、と意を強くする。




 

 

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2010年01月05日

Posted by ブクログ

受講している研修で、一読を薦められた「推奨本」。筆者は、神戸大学大学院経営学研究科での経営学の教授である。世の中には、経営戦略と呼ばれるものを解説するビジネス書があふれている。この本も、大きな意味では経営戦略・企業戦略を扱う本であるが、その内容は非常にユニークだ。一般の戦略書は、経営の指針となる戦略をどう設計すれば良いのか、という戦略設計の方法論を解説するのが一般的なのであるが、この本はそういうことを扱わない。むしろ、そういうものがあったとしても、それはなかなか明示的・事前的に設計できるものではなく、むしろ、経営者がひとつひとつの経営判断やアクションを通じて実現すべきものであり、それは事後的にしか分からないとする、というか、少なくとも戦略の巧拙みたいものは全く論じていない。ひとつひとつの経営判断の集積を戦略とするとして、それが効果を発揮し、徹底されるには、相当に時間がかかるということが、この本の主題のひとつだ。少なくとも10年、と筆者は考えている。その間、一貫した戦略(経営者の判断の集積)に従った経営がなされる必要があるわけで、従って、社長には最低10年くらいの任期が必要なのである、というのが結論のひとつである。いきおい、社長就任時点の年齢は若くないといけないわけで、それくらい若い、経営を任せられる社長を輩出するために、企業がなすべきことを論じているのが、この本のメインの主張部分にあたる。筆者は、この本を研究論文のひとつとしてまとめているので、学問的というか、論文的精緻さやデータ整理など、かなり丁寧に行っていて、論にそれなりの説得力があるし、論理の展開がユニークな視点によりなされていて、ビジネス書としては、かなり面白い本である。

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2011年07月25日

Posted by ブクログ

戦略の定義、戦略の必要性を説く前半は面白かったが、最後の提言で一気に減速という感じ。結局アメリカになれと言ってるとしか思えない。前半が面白かったので残念。

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2012年05月25日

Posted by ブクログ

戦略の不全が、日本企業について起こりやすいのは何故か。そして、それに対する打ち手とは。

について書いてある本。
気に入った部分、そうでない部分もろもろあるが、後で記述。

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2011年01月02日

「ビジネス・経済」ランキング