吉田徹のレビュー一覧
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21世紀初頭の先進資本主義国における右派ポピュリズムの躍進や関連するオルタナ右翼の人種差別主義、歴史認識の政治化、過激なイスラーム主義によるテロリズム、me too運動などは、すべて1968年革命でリベラリズムが「個人」を解放した結果として生じている(本書の言葉で言えば「ウーバー化」)ということを論じている。
“ 政治は作用と反作用からなる。作用する主体や次元が変転すれば、それに呼応する反作用も新たな性質を帯びる。既存の政治がリベラルという価値に軸足を置けば、それへの対抗軸は非リベラル、反リベラルなものとなる。その事実を認めないかぎり、次の時代の政治は見えてこない。権威主義的なニューライト、保革政党によるリベラル・コンセンサス、歴史認識問題、宗教的ラディカリズムやヘイトはともに、リベラリズムと呼ばれる潮流が内在させてきた本質の副作用とみることができる。つまり、リベラリズムは、自らの(←288頁289頁→)勝利によって、自らの敵を作り上げてしまったのだ。”(本書288-289頁より引用)
1968年新左翼革命の個人優先主義が、実は1980年代のレーガンらネオリベラリズムとその支持層の保守主義者の間で通底していたという議論は、ポリティカル・コレクトネスの誕生を巡る論説でよく目にするが、本書全体から、今現在我々が立ち会っている社会の崩壊は、68年的なものの結果であり、そしてその終わりなのだということを感じた。本書で示されるように、個人の尊重というリベラリズムの原理が勝利したからこそ、今日にあってリベラリズムを擁護するのは困難なのであろう。その点では特に、本書で示されたウエルベックの『服従』(2015年)の読み解き(231-236頁)は非常に興味深かった。
“ 女性にもてないことをこじらせた中年男性を主題にした彼の代表作『素粒子』に典型だが、ウエルベックは人間を解放することはすなわち、その人間は自らの能力だけしか頼るものがなくなることを意味するから、結果として夥しい不平等を生むことにもつながると、あるインタビューで答えている。人間の責任は、社会にも家庭にも伝統にも歴史にも負わ(←234頁235頁→)せることができず、自分で負うしかなくなるからだ。そして、その負える責任の範囲は、個々人の能力や資本によって異なってくるゆえ、行き着く先は人生のあらゆる側面での不平等でしかない。
だから、『服従』が告発するのはイスラム原理主義ではなく、人間精神を救済できない現代社会であり、それに宗教が利用されるという「ポスト世俗化」のロジックを描くものなのだ。
ここで出てくるのが信仰の問題だ。小説後半、主人公フランソワは、文学大全の編纂とイスラムへの改宗を承諾して大学への復職を決心する。主人公は過去にカトリックとして育てられた記憶もあって、カトリック修道院に救いを求めて修行するのだが、結局、自分の役に立たない宗教には意味がないということをその過程で悟る局面がある。自分の人生にとって使えるか、使えないかが、信仰心を持つか持たないかの基準なのだ。だから主人公フランソワは、自らの出世と性的願望(一夫多妻制!)のため、なんとなくムスリムになることを、あっさりと決めてしまう。
現代社会では、宗教こそが個人の欲望に服従することになる。個人の自己決定権が当たり前となった政治的リベラリズム優位の社会で、宗教への「服従」はあくまでも主体的に、自主的になされるという逆説が、小説のタイトル『服従』の意味なのだ。ちなみに「イス(←235頁236頁→)ラム」とはアラビア語で「服従」の意味だ。”(本書234-236頁より引用)
本書が見通す世界がそうであるからこそ、本書の特徴としては、個人に終始する発想の否定が挙げられるかもしれない。21世紀に入ってからのポスト・マルクス主義やアナキズムがコミュニタリアニズム志向なのはよく知られているが、リベラリズムもまた、共同体を重視する方向に向かうことで、リバタリアニズム的潮流との差異化を図るのかもしれない。 -
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前回読み終えた「世論の曲解」に続き、政党や選挙に絡む本として読みました。
以前、メディアで、二大政党制についての言及があり、時代は二大政党制というような感がありましたが、私は、正直二大政党制については疑問がありました。その疑問について、疑問が晴れるというよりも、やっぱりそうだ。二大政党制がいいのではないという確信に至った1冊です。
55年体制が崩れるまでは、自民党の中で、派閥による政権交代がなされてきました。その中において、野党はその自民党政権を批判するための組織として機能するも、政権を担えるような形ではありませんでした。確かに派閥内での政権交代を行ってきたとはいえ、それでは、パラダイムチェンジ的な意味での対応は難しいのだと思います(大きな部分では同じなため)。
どのように選挙そして政党政治を変えていくのかという政治改革論議や、諸外国の政党政治との比較の中で、二大政党制も一つのデモクラシーであること、というよりも実はかなり特殊な条件がそろわないとできないということがわかります。
二大政党制ということは、少なくとも国民を二分するだけの断層(たとえば、大きな政府 VS 小さな政府 や、自由 VS 平等)というような形でなければなりません。
私は、日本はそういった二分は難しい。それは日本だけでなく世界においても、生物多様性という言葉があるように、本当に多様であり、二大政党制では、正直本当にその多様さにこたえることができるのかといったら疑問です。また、この本の指摘にある通り、二大政党制だと、どちらも勝つために、一番有権者層の多い中道によることになり、あまり違いが判らなくなってしまうという可能性もあります(1対1で確実に勝つためには、ニッチではなく王道でなければならないため)。
やはり、多様性ということから、多様な民意を反映させるということから考えると多党制がよりましだと私は思います。
政党は、世界史レベルで確認すると、社会の断層において、その両側のそれぞれが組織化されることで形成されてきました。
貴族 VS 資本家(中産階級)
資本家 VS 労働者
経済活動 VS 環境
この断層を考えた場合、今の日本の政党がそういった意味での断層で構成されているのかというと疑問がわきます。実際に、自民党・民主党・みんなの党のキーパーソンは、自民党出身です。正直そういった意味では何が断層なのかわかりづらい。むしろ権力闘争の面で、その組織を飛び出して形成されているというほうが妥当するのではないでしょうか?この本を読むと改めて、日本の国政を中心とした政党の在り方について疑問を抱きます。
私自身、今の地方政治との関係でみると、ある意味断層を見出すとしたら、中央重視型(中央統率型) VS 地方重視型(地方アメーバ型)なんだと思います。だからこそ、大阪での大阪維新の会や、名古屋の減税日本という地域政党が誕生するんだと思います。そして神奈川もやはりどの中央政党に対しても、是々非々でつきあう地域政党が求められているんだと改めて思いました。
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この本の前半(第三章まで)は二大政党制がすぐれた制度ではないことを論証しています。政治理論あるいは選挙制度理論を懇切丁寧に解説しており、政治学初心者の私にもなんなく理解できました。
90年代から日本経済の低迷が続いていますが、それと並行して政治の低迷(混乱)も90年代から今まで続いていることを示唆しています。
第五章では今後のデモクラシーのあり方についていくつかの理論が照会されていますが、抽象的すぎて素人には理解できなかったこと、また結論が「外国の物まねではなく、日本に即した政治制度を健闘する必要がある」という普通の内容だったことが残念。(当たり前のことをあえて主張しないといけないところが、日本の現状であることがさらに残念)。 -
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政治不信の高まりは、代表民主制への不信でもある。これを補完する方法の一つとしてのくじ引き民主主義。フランスの黄色いベスト運動のような選挙によらない政治参加が増えている国もあるが、日本に関しては投票率もデモ参加も双方が減っている。だからこそ、くじ引き民主主義の手法がより必要とされているかもしれない。
代表民主制の時間的限界は、選挙という差し迫ったゴールをめざして、誰もが短期的に達成できるテーマしか見なくなり、環境問題など長期的な課題に取り組む余裕がなくなること。空間的限界は、その非対称性。国会議員は国民の代表だが、その属性は国民の属性の「縮図」にはなっていない。くじ引き議員ならこの限界を補完できる。選挙で選ばれる必要がないから、目先の分かりやすい公約をかかげる必要はないし、一定の母集団から一定の方法でくじ引きすれば、属性の対称性を保つこともできる。
アイスランドではすでにリーマンショック後の憲法改正について、結果的に否決されたもののこの方法を採用。市民会議や市民パネル、ドイツの計画細胞など、すでにくじ引きの要素を生かしたさまざまな民主主義的手法が取り入れられている。特に、地方自治体レベルの問題についての議論では取り入れやすい。投票による決定は、結果的に多数決だから、少数派の不満が必ず残る。くじ引きの偶然性を意思決定の手段として採用することで、「なぜ自分だけが」という理不尽さを多少解消できる。たまたま、という感覚を取り戻すことで他人(自分と違う意見)への想像力を持つことができる。
くじ引き民主主義の問題点として理解できたのは、話し合わねばならない課題が明確になっている場合に限られるかもしれないこと。広く市民の同意や意見が必要になる場合だ。皆に関わる問題として認識されている必要がある。換言すれば、どのような目的を達成するのかを決める場合には向いていない。その目的に反対するような意見を排除してしまう危険があるからだ。つまり、民主主義での合意を目指す、という機能しか果たせない。
導入できるケースは限られるかもしれないが、試してみる価値はあるかも、というのが率直な感想。 -
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「くじ引き」で選ばれた人々が、話し合い、公的な意思決定を行う。近年、世界で広がりつつある「くじ引き民主主義」の動き、考え方を解説する書籍。
主権者が代表者たる政治家を選挙で選ぶ民主主義のことを「代表制民主主義」という。
代表制民主主義において政治への信頼は不可欠な要素だが、21世紀に入り、「議会を信頼しない」とする各国市民の割合は増加傾向にある。
今日、政治家や政党は信頼されていない。
しかしこれは、代表制民主主義を問題視するものであり、民主主義の理念そのものを否定するものではない。ほとんどの先進民主主義国において、「民主主義が大事だ」とする意見は多数を占めている。
「くじ引き民主主義」とは、地域の市民や住民、国民から無作為抽出で選ばれた代議員や委員が、特定の課題や目的について話し合い、その上で意思決定をする仕組みのことである。
2020年のOECD(経済協力開発機構)の報告書によると、くじ引き民主主義は、2010年頃から急速に広がっている。
くじ引き民主主義は、政治を刷新すべきだという人々の意識が高まって生じた点で、ポピュリズムと同じ発生源を持つ。
しかし、ポピュリズム政治がアウトサイダー的な政治家によるトップダウンでの刷新を目指す運動であるのに対し、くじ引き民主主義はボトムアップ的な民意形成で政治の刷新を試みるものである。
個人の能力に応じてモノや地位が与えられるべき、という考え方は、新自由主義などと相性がよい。しかし、人の能力は、資質だけでなく、受け継いだ様々な資本に大きく左右される。「機会の平等」さえもが不均等な現代において、この平等を人智でもって取り戻すのが、くじ引きの役割である。 -
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社会の分断がトランプを生んだ
くじ引き民主主義ロトクラシー
第三極化 デジタル・レーニン主義
P23 議会を信頼してないとする市民の割合
P.25 日本のどの機関を信頼しているか
→代表になってない作動しない代表制民主主義
政治不信
・市民の批判意識の高まり
・政治のパフォーマンスの悪さ
・社会関係資本がなくなった社会への変化
アメリカの分断←多様性と党の戦略
しかしヨーロッパでも分極化・部族化
限界
①時間的
頻繁な選挙という短いサイクル→政策の射程が短期的になり、長期的な政策に取り組めない
②空間的
グローバル化という大きな空間での問題と小さな空間でおこる個人の実存的な問題
③非対称性
P.44 議員と市民の所属の非対称性
情報の非対称性 選挙時と当選後
選挙によらない政治参加
インターネットを活用した政治運動
M15@マドリード オキュパイ運動@ニューヨーク BLM運動@米 黄色いベスト運動@仏 平和安全法制反対デモ
代表制が機能するためには
・共同体を有効に統治
・人々が代表されていると感じている
・国民が代表制を機能させている
代表制の幻滅、民主主義への期待
日本国憲法の権威→権力→福祉のサイクルのフィクション化
ドイツ 計画細胞
アイスランド アンティルによる憲法会議 憲法を決めるためのマクロレベルのくじ引き
アイルランド 憲法改正
フランス 気候市民会議
ミニ・パブリックス
くじ引き民主主義
・政策について熟議による市民による決議・市民への諮問
・政策についての市民の意見表明
・特定の政策・法律についての市民の意見表明
・常設の諮問評議会
必要条件
・統計的代表性
・情報提供
・市民による討議
・公開性と匿名性
・目的
⇔熟議民主主義、参加民主主義
P.137 民主主義のカルテット
ベックの「再帰的近代化」
P.166 柄谷
設計
①アジェンダの設定(目的)
②くじ引き(抽出)
③情報の提供(input)
④熟議(検討)
⑤投票・意見提出(output)