星覚のレビュー一覧

  • 禅の言うとおりにやってみよう

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    ネタバレ

    自分が無理なく提供できそうなこと・ものを
    惜しみなく与える。

    お金を使ってモノを交換するのは
    仕方なく用いる最終手段。

    うむ、そういう考え方もあるのか。

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    2023年01月14日
  • 坐ればわかる 大安心の禅入門

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    日々、物思いに囚われている自分を改めて感じました。
    また、そんなときに読んだ本でもあるので心に沁みました。
    心が整体マッサージを受けたような、整心とでもいうべき処方を受けたような気がします。
    とても分かりやすい、分かるというよりも、共感を伴って心に落ちてくる、そんな気がしました。
    これから手元を置いておいて、すぐに手に取れるようにして、どこでもいいからページを開いてそのページを読む、というようにしておきたいと思います。
    どのページにも、何かしらの実践を促すものがありました。
    久しぶりに本に感謝しました。

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    2017年10月15日
  • 坐ればわかる 大安心の禅入門

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    寺の座禅会に参加したので、座禅についてより知りたくなって読む。ここ数年、瞑想は続けているし、合気道も始めたので基本的な呼吸や意識の保ち方などは共通するものがある。姿勢などの技術的なことが具体的にされているので実践に役に立つのがありがたい。気軽に座禅をはじめ、不安をふっと取り払うのにはとてもよいと思う。

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    2013年11月07日
  • 坐ればわかる 大安心の禅入門

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    永平寺で修業をして、今はベルリンで全を広める活動をしている雲水さんの書いた本。
    お寺に生まれたわけではなく、俳優になろうとしてきた人らしい。
    体のバランスを整える、疲れにくい、自然な体の使い方に興味があって、本書を手にした。

    力を抜いて、頭の重さを感じ、骨など、体の部分があるべき位置にくるように、体の声を聴きながら、整えていく。
    自分も体をゆすってみた。
    体得するのは難しいのかもしれないけれど、ここに力が入ってたのか、と気づけたりする。
    なんかいいかも。

    子どものころ、地元の有名な禅寺のサマーキャンプに行ったことがある。
    きっと大したことではなかったのだろうけれど、過保護に育てられ、神経質

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    2017年01月24日
  • 坐ればわかる 大安心の禅入門

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    永平寺の修行のツラさ、しかしそれでもいつも寄り添うように座禅というものがある日常をわかりやすい文体で初心者にもわかりやすく書かれている本である。

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    2016年11月24日
  • 坐ればわかる 大安心の禅入門

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    ネタバレ

    永平寺で修行体験をした後だったので、疑問に思ったことがいろいろ書いてあり納得した。修行体験したことの追体験にもなった。とかく僧侶というと人間臭いところがないイメージがあったが、そういう欲望についても包み隠さず書かれていて、親しみが沸いた。永平寺の修行体験のせいか、はたまたこの本のせいか、掃除が無性にやりたくなった。

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    2016年06月25日
  • 坐ればわかる 大安心の禅入門

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    雲水としてベルリンを拠点に活動する著者による禅の入門書。著者の経験や実感をベースに書かれており、エッセイを読むように、禅の入り口に触れることができる。「禅とは何か?」という大上段なアプローチではなく、若い禅宗の僧侶の生き方そのものが、都会でシンプルに暮らすヒントになり得ることが示されている。著者の人柄によるものだろう、読後感はとても爽やかだ。

    本書は、「一、身体をととのえる」、「二、暮らしをととのえる」、「三、心をととのえる」という三つの章で構成されている。入門書ではあるが、「How」が記述されているというよりは、永平寺での修行時代を振り返りながら「What」と「Why」が、そして論理的にと

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    2015年01月18日
  • お坊さんにまなぶ こころが調う食の作法

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    本文より
    「たとえ全く意識していなくても作法を実践することで、心が洗われるような気持ちになることを知りました」。

    永平寺の先代住職、故宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師
    (NHKスペシャル「永平寺104歳の禅師」2004年6月放送)

    「学ぶということはまねをするというところから出ておる
    一日まねをしたら一日のまねや、それで済んでしもうたら
    二日まねして、それであと真似せなんだら、それは二日のまね。
    ところが一生まねしておったら、
    まねがホンマもんや」

    (禅について)
    「道元禅師様の坐禅ということはすべてがみな禅だ
    禅というたら何か殊更にあるように思っておる
    そうではなくて そのものと一つ

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    2018年01月18日