門脇陽子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
・ナルシズムは大小関わらず恥に根ざしている。
・ヴァルネラビリティとは、「不確実性、リスク、生身を晒すこと」
・生きるとは、傷つく可能性があるということ。
・関わろうとしなくなる裏切り
・自分の価値を他人の価値に依存した瞬間、恥は人生を乗っ取る。
・恥=私は悪い人間である
罪悪感=私は悪いことをした
・自分を慈しむことができる時、自分の殻から一歩踏み出し、人と繋がり、共感を味わえる。
・共感は、あなただけではないという素朴な承認のメッセージをあたえる。
・競技場に出てきて戦い、ときには自分も傷つく覚悟のない人の発言など、耳を傾けるに値しない。
・私達は、自分自身が恥を感じやすい領域で自分より劣ったものを批判しがちだ。
・喧嘩をしても相手の恥に付け込まない。
・自分の行動の背景に何があるのか内省する。
・人をモノのように扱うことは、その人の人間性を否定すること。
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ネタバレ 購入済み
武器を捨てるということの意味
普段は目を向けないような、感情の深い部分に優しい口調で語りかけてくれ、とても心に響きます。
涙なしでは読めませんでした。
知らず知らずのうちに傷付かないように生きてしまっていたこと、それで得られるものは何もないこと、たとえ傷付いたとしても大切な人には丸腰でいたいと思えました。 -
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TEDでのスピーチをきっかけにこの本を読んだ。
誰かの目を気にしたり、批判非難されるのを恐れて完璧主義になってしまう自分に気が付いた。どんな自分でも受け入れる強さがあれば、自分の弱さと向き合い、受け入れることができるのではないか。批判や非難があった時に、自分自身の価値まで問われるものではなく、その行動に焦点かあったっているということ、人の価値と成果は結びつかないことは自分に対しても他人に接す時も意識したい。
・自分の価値を他人の評価にゆだねたとき、恥はあなたの人生をのっとり支配するようになる。
・完璧にやり完璧なように見えれば、非難、批判、恥による痛みを最小限に抑え、あるいは回避できるという思い込みなのである。
・恥や批判や非難を受けたとき、自分が完璧でなかったせいだと思い、完璧主義の論理に疑問を抱くことなくいっそう完璧を追求するうちに、深みにはまっていく。
・豊かなつながりのある人生を送るとは、煎じ詰めると、境界線を引くことだ。どうでもいい他人の関心を得るために駆けずり回る時間とエネルギーを減らし、家族や親しい友人とのつながりを豊かにすることなのである。 -
Posted by ブクログ
この本では恥やヴァルネラビリティが重要な概念として紹介されている。
恥はあまり欧米で詳しく取り上げられるイメージがなかった。また、筆者のヴァルネラビリティの定義、不確実性、リスク、生身をさらすこと、は以外にもタレブの著書『身銭を切れ』にも通じるように感じた。
偽りのない生き方をしている人の特徴として、以下の3つも紹介されていた。
⒈ 自分の本当の気持ちを感じる
⒉ 感覚をマヒさせる行動に注意する
⒊ つらい感情にともなう不快感を前向きに受け入れる
また、以下の点は心理的安全性の概念と共通するものがある。
きついことを話すのに「不快感を覚えなくなる」ことではなく「不快感がふつうのことになる」ことを目指す文化ではフィードバックが盛んになる。もしリーダーが真の意味での学習、批判的思考、変化を望むなら、それにともなう不快感を当たり前のことにしていかなければならない。
最後にこの言葉がとても響いた。
希望とは、目標を設定し、目標を追いかける根気と忍耐をもち、自分の能力を信じること。 -
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今年1番心に響いた本。
TEDで有名なブレネー・ブラウン。兄に教えてもらい衝撃を受け、本を買って読んだ。
ヴァルネラビリティとは、もろさや傷つく可能性のある状態。
私がずっと鎧、と呼んでいたものは、このヴァルネラビリティを覆い隠すためのものだったのだと気付いた。生身をさらすことは、勇気がいる。
悲しい出来事があると、つい「やはり信頼できるのは自分だけ」という言葉が頭に浮かぶ。生身をさらして人と向き合うことから逃げ、そうして、どんどん鎧を強固にして生きてきた。
鎧によってガードされた自分だけの世界は、それはそれは安全で、周りに干渉されなくて、自由で…そして、ぽっかりがらんどうだ。傷つくリスクがあるとしても、人やモノゴトと正面から向かい合い、喜びも悲しみも共に感じ、人間らしく生きる方がきもちよい。
自分ひとりの殻に閉じこもりそうになったときは、鎧を脱いで、生身をさらして、競技場に立つんだ、と自分に言い聞かせようと思う。
何度でも読み返したい本。
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自分の弱さやもろい部分を認め、傷つく可能性と向き合おうとするかどうかで、どれだけ勇気があるか、どれだけ明確な目的をもっているかがわかる。
完璧で誰にも批判されない自分になってから競技場に立とうと思っていると、結局、人間関係を損ない、チャンスを逃して取り返しのつかない事態を招き、貴重な時間を無駄にし、自分の才能や自分だからこそできる貢献を捨てることになりかねない。
観客席やサイドラインの外側から批判を浴びせ口出しするのではなく、勇気をもって存在を示し、生身の自分をさらすこと。それがヴァルネラビリティであり、果敢なる挑戦なのだ。
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私を愛してくれる人々、私が心から信頼する人々は、私がつまずき転ぶときに、後ろ指を指して批判したりしない。彼らは観客席にいるのではなく、一緒に競技場に立ち、私のために、共に戦ってくれる。私たちは決して自分の力だけでは、生身をさらし勇気をもって歩みだすことはできない。最初の、そして最大の果敢なる挑戦とは、助けを求めることなのかもしれない。 -
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ネタバレチェック項目11箇所。欠乏感に対抗できるのは、豊かさではない、むしろ豊かさと欠乏はコインの裏と表だ、「足ることを知らない」欠乏感の対極にあるのは、充足感であり、、「偽りのない心」なのだ、偽りのない心の中心には、ヴァルネラビリティと自己肯定感がある、確実なものがなく、もろさをさらし、感情的リスクを負いながらも、私はこれでよいと思えることである。ヴァルネラビリティとは、「不確実性、リスク、生身をさらすことである」と、私は定義している。人生の大切な感情的側面を取り戻し、情熱と目的意識をふたたび燃え立たせたいのなら、傷つく可能性と向き合い、それにともなう感情を感じられるようになる必要がある。つらい境遇の人に寄り添おうとすることや、責任を引き受けようとすることや、三振の後にバッターボックスに向かうことは弱さの表れではない、そこには真実の響きがあり、勇気を感じさせる、真実や勇気は必ずしも心地よいものではないけれど、弱さとはまったく別物だ。私たちは他人がありのままの真実の姿をさらすことは歓迎するが、自分がそうすることは不安なのだ。信頼は生身をさらすことによって生まれ、時間をかけ、手間をかけ、気にかけ、関わることによって育っていく、信頼は大掛かりなことをやってみせることではなく、ビー玉を1個ずつ貯めていくようなものなのである。私たちは決して自分の力だけでは、生身をさらし勇気をもって歩みだすことはできない、最初の、そして最大の果敢なる挑戦とは、助けを求めることなのかもしれない。勇気ある挑戦をするには、傷つく可能性を受け入れなければならない、だが恥に怯え、人にどう思われるかを気に病んでいては、生身をさらせない。成功するまで何度でもやり直す、熱意ある粘り強い人、革新的で創造的な仕事をする人が、成長する人なのである。女性は、話を聞いてもらえない、認めてもらえないと思ったとき、恥を感じ、批判したり挑発したりする(「どうしていつも、ちゃんとできないの」「ちっとも、わかってくれないんだから」)、一方、男性は無能さを責められたと思うと、恥を感じ、自分の殻にこもるか(すると女性はますますつっついて挑発する)、キレて反撃する。子育てはこの上なく不確実なものなので、確実なものが欲しくなる、だから、ハウツー式の育児法がいかにも魅力的に見えてくるが、それは危険でもある。子どもの自己肯定感をはぐくみたいなら、子どもは家族に所属しており、それには何の条件も必要ないのだということを、しっかりと伝えなくてはならない、私たちは、自分にないものを子どもに与えることはできない。
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研修の課題で、ブレネーさんのTED動画を見た。
混乱した。
心のもろさ(ヴァルネラビリティ)を扱っているにも関わらず、言ってること、やってることはメンタル強い人のそれで、いやそれ弱さちゃうやん!どこが弱いねん、それ心が鋼の人ができることやろ。と、思ってしまったのだ。
本当にそういうことを言っているのか知りたくて(ある意味ワラにも縋るような気持ちで)、もう少し自分のペースで向き合える「本」を読むことにした。それで手に取ったのがこの本。TEDで彼女が語っていたことが、より実感を持って具体的に紐解かれている。
紐解いてみたら、やっぱり強かった笑。
自分の心の弱さを受け入れるということは、私は弱い、だからこのままでいいんですということではなくて、私は弱い、それはわかってる、でも、それでもやるんだ。という態度のことで、やっぱり鋼かよと思った。
でもこのヴァルネラビリティを受け入れてそれでもなお、やる。ということは、自分にとってすごく大事なことだということは分かって、だからこそどうかそうでなければいいのに、という気持ちだったのだと思う(だって辛いじゃん笑!)。 -
Posted by ブクログ
「恥をかんじることは不要」
こんなタイトルが似合う本だと思った。
起業準備をしてるものの実際に踏み切れない今の自分には役立った。あと子育ての点でも。
以下心に残ったフレーズ
・子供にこんな大人になってほしいと思える大人であるかる努力しているか?
・子供を叱るとき、行為と子供の人格を切り離す。
・あなたのアイデアや挑戦に対する非難や冷笑や失敗はあなたの人格の非難や欠落ではない。
・本当に勇気のいる大切なことが、ただそこに立つだけだということもあるわよ。
・文化とはその場所のやり方のことである。
・抱負としての価値感と実践している価値感にギャップがないか?
・関わるとはテーブルの同じ側に立つこと。時間と関心を注ぐこと。 -
Posted by ブクログ
「恥」に打ち勝ち自分らしく生きるにはヴァルネラビリティが大切だと言うことを説いている本。
ヴァルネラビリティ=「不確実な状況の中で、傷つくリスクを負って、本当の自分を人にさらけ出すこと」
日本語訳とはニュアンスが異なるのでこの概念を理解するのに少し時間がかかる。
「恥」は「ナルシズム」や「完璧主義」など様々な特性に根ざしている。
私達は「恥」によって自分を傷つくことから守ろうと、自分に嘘をついたり攻撃的になったり自分の殻に閉じこもったりする。だけどそれに打ち勝つにはヴァルネラビリティの生き方を実践していくことで本当の人生の充足感を得られるというのだ。
〜以下感想〜
ヴァルネラビリティの意味が単純な日本語訳の意味とは異なるのでまずこれを理解するのが少し難しい
読んでみたら思いの外スケールの大きい話で全ては理解できなかった。
個人が感じる「恥」に対するアプローチだけでなく、社会構造、企業の在り方、子育てなどかなり高い視点から大枠で捉えた内容もかなりもりこまれている。
だから自分は1〜3章を中心に個人の「恥」に対してアプローチするという文脈で読んだ。