早島大祐のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
○目次
まえがき
序章:新時代の子供たち
第一部 明智光秀の原点
第1章:足利義昭の足軽衆となる
第2章:称念寺門前の牢人医師
第3章:行政官として頭角を現す
第4章:延暦寺焼き討ちと坂本城
第二部 文官から武官へ
第5章:織田家中における活躍
第6章:信長の推挙で惟任日向守へ
第7章:丹波攻めでの挫折
第8章:興福寺僧が見た光秀
第三部 謀反人への道
第9章:丹波制圧で期待に応える
第10章:領国統治レースの実態
第11章:本能寺の変へ
終章:明智光秀と豊臣秀吉
あとがき
○感想
明智光秀を史料を通して見たとき、様々な側面で、光秀個人や織田政権の構造の実態を垣間見ることができた。
-
Posted by ブクログ
麒麟がくるがものすごく面白いので、関連本を読んでいるうちにたどり着いた本の一冊。
ミーハーなもので、中高の知識もすっかり抜け落ちた上に、これまで戦国時代にさして興味もなかったうえに、最近読んだ戦国ものがへうげものだったおかげで、大した印象もなかった光秀のことが、帯にある通り、まさに「勝者が作る」歴史書や伝記などではなく、当時の書簡や存在にびっくりした「裁判記録」などによって実証的に光秀像を浮かび上がらせてくれた。
ドラマや最近の各局の関連番組で作り上げられる「心優しき名君」とか、ちらっとみたルイスフロイスの「腹黒い謀略家」とも違う、生々しい光秀像を得られた気がする。
何より驚いたんは、「 -
Posted by ブクログ
【徳政令が出たという情報は、共同体の利益以上に個人の利益追求衝動を刺激した。私利私欲が仲間同士の信頼を侵害しはじめ、その結果、利息附替銭という便利な経済慣行を混乱させるに至ったのだ】(文中より引用)
中世日本における劇薬とも言える「徳政令」。大規模な徳政一揆の内幕を探りながら、徳政令とその需要の変容に迫った作品です。著者は、京都女子大学の教授を務める早島大祐。
徳政令という劇薬の副作用が社会の信用や信頼を食い破っていく様が描かれてお見事。特定の政策というのはその前後の流れに置いてみないと効果の評価が難しいんだなと感じました。
思った以上にスリリングな結末でした☆5つ -
Posted by ブクログ
「今から600年ほど前の京都に100メートルを超える塔が建っていた」、この掴みで興味関心が一気に呼び起こされる。それは七重の塔で、高さ約110メートルにおよび、中世で最大の高さを有した塔であった、と始まる。
この巨大な塔を建てた人物は、足利義満。最初に落成したのは応永6年(1399)、場所は賀茂川と高野川が合流して鴨川となる地点、糺の森よりやや西の地点。
院政期が六勝寺などの大規模造営時代であるのと同様、著者はこの大塔や金閣寺、天龍寺、相国寺等の建造物が相次いで建てられたこの時代にも着目すべきとする。
最近、室町時代の研究が盛り上がっているが、本書もそのような一冊である。本書では、室 -
Posted by ブクログ
鎌倉末期から戦国末期にかけて出された徳政令だが、その中身と受容状況は時代を反映して変わっていった。当初は純粋に徳のあるものと思われていたが、最終的には忌み嫌われるものになった。
元々は農家の季節性、種籾と収穫の時期的量的な差異を埋める地方的なものであったが、室町の京都の中国の銅銭を用いた貨幣経済の発達と、放埓な政権を支えるために金融的要素が増してくる。延暦寺の息のかかった土倉が京では過半を閉めるようになる。また足利義持以降は政権基盤が弱くなり、各地で騒乱が勃発するようになると軍事的基盤を支えるため、牢人たちの略奪を追認する形の徳政令が生まれる。そうなると人々の信任は崩れ、経済の循環が阻害される -
Posted by ブクログ
室町幕府草創期の義詮から、権力を掌握した義満、そして幕府体制が完成した義持の3代にわたる最新の室町幕府論を提起。
実は内容の要約として本書の最後の「おわりに」に数ページ亘って記されているので、お急ぎの方はそちらをどうぞ。著者さん僭越でごめんなさい。(笑)
手っ取り早く言えば、世の中、お金が全てさということである。南北朝の動乱を経て、税の収取体系を再構築した室町幕府。朝廷儀礼との接し方からはじまって、その金の捻出方法から辿る各ネットワーク。極端に上前をはねるやり方がその後の禍根を残したのですね。(笑)
余談だが、メチエ選書では東大系?の日本中世史シリーズが刊行中であるが、京大系?として研究史の総 -
Posted by ブクログ
室町幕府論今はやりなんですか?将軍の京都行政を中心に幕府の主体性を論じる。しかし、これを見ていると、「如何に地方の富を京都に効率よく分配するか」という問題が時の行政府の課題だったかがわかる。というか、この時代なんてほぼ完全地方分権だから、訴訟整理と都市機能維持くらいしか中央政府のすることはないのかも。そうすると、室町幕府は応仁の乱で機能停止したってのは疑わしいのかもなあ、と思う。では、逆になぜ日本を統一政権にしようとする人たちが出てきたんだろうとも思う。その意味で、この本に書かれていた「主体的な室町幕府」はいつから制度疲労したんだろう。その辺が知りたかったかな・・。