早島大祐のレビュー一覧

  • 明智光秀 牢人医師はなぜ謀反人となったか

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    ○目次
    まえがき
    序章:新時代の子供たち
    第一部 明智光秀の原点
    第1章:足利義昭の足軽衆となる
    第2章:称念寺門前の牢人医師
    第3章:行政官として頭角を現す
    第4章:延暦寺焼き討ちと坂本城
    第二部 文官から武官へ
    第5章:織田家中における活躍
    第6章:信長の推挙で惟任日向守へ
    第7章:丹波攻めでの挫折
    第8章:興福寺僧が見た光秀
    第三部 謀反人への道
    第9章:丹波制圧で期待に応える
    第10章:領国統治レースの実態
    第11章:本能寺の変へ
    終章:明智光秀と豊臣秀吉
    あとがき

    ○感想
    明智光秀を史料を通して見たとき、様々な側面で、光秀個人や織田政権の構造の実態を垣間見ることができた。

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    2020年05月15日
  • 明智光秀 牢人医師はなぜ謀反人となったか

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    麒麟がくるがものすごく面白いので、関連本を読んでいるうちにたどり着いた本の一冊。

    ミーハーなもので、中高の知識もすっかり抜け落ちた上に、これまで戦国時代にさして興味もなかったうえに、最近読んだ戦国ものがへうげものだったおかげで、大した印象もなかった光秀のことが、帯にある通り、まさに「勝者が作る」歴史書や伝記などではなく、当時の書簡や存在にびっくりした「裁判記録」などによって実証的に光秀像を浮かび上がらせてくれた。

    ドラマや最近の各局の関連番組で作り上げられる「心優しき名君」とか、ちらっとみたルイスフロイスの「腹黒い謀略家」とも違う、生々しい光秀像を得られた気がする。

    何より驚いたんは、「

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    2020年05月07日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    【徳政令が出たという情報は、共同体の利益以上に個人の利益追求衝動を刺激した。私利私欲が仲間同士の信頼を侵害しはじめ、その結果、利息附替銭という便利な経済慣行を混乱させるに至ったのだ】(文中より引用)

    中世日本における劇薬とも言える「徳政令」。大規模な徳政一揆の内幕を探りながら、徳政令とその需要の変容に迫った作品です。著者は、京都女子大学の教授を務める早島大祐。

    徳政令という劇薬の副作用が社会の信用や信頼を食い破っていく様が描かれてお見事。特定の政策というのはその前後の流れに置いてみないと効果の評価が難しいんだなと感じました。

    思った以上にスリリングな結末でした☆5つ

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    2020年03月18日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    当初は求められていた徳政令が、やがて忌避されるようになっていく――つまり借金は返さなければならないというのが常識になるまでの過程が描かれている。徳政令は次第にその性格が変容し、世の中の諸関係において「信頼関係」を崩壊させて、社会を混乱に陥れていく――中世から近世への移り変わりを徳政令をテーマに描いた目から鱗の一冊。

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    2020年01月18日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    これ面白いです。
    徳政令を中心に、日本の社会の変遷;特に政治と経済について説き明かす。金融システムや契約制度の萌芽も中世(室町期)だったことがよく分かる。
    人間が自然をコントロールできないからこそ、徳政令だったわけだけど、社会が進展し経済システムや金融制度を確立していこうって時にシステムを壊すような借金棒引き=徳政令はまずいわな。一方で徳政令があるせいで、それを回避するための複雑な契約制度が生まれたってのには笑っちゃう。昔も今も人間の考えることは変わらないね。

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    2018年10月20日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    中世全般の金融、財政、社会構造、政治を丁寧に紐解いていて、しかも具体的な事例が挙げられているので抽象論で迷子にならず、読み応えがあるのに最後までわかりやすかった。

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    2018年09月03日
  • 室町幕府論

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    室町幕府を経済の側面から考えたことがなかった
    比叡山・・・南都・・・朝廷
    さまざまな特権を求めて権力にすり寄る
    実態の中から朝廷・幕府の機能具合もわかる
    (難しいです)

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    2015年07月25日
  • 室町幕府論

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    足利政権が「権力」と「権威」を掌握してゆく過程を義満時代を中心にまとめた本になります。
    「今から600年ほど前の京都に100メートルを超える塔が建っていた」というのは非常に興味深い内容でした。

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    2023年09月17日
  • 室町幕府論

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     「今から600年ほど前の京都に100メートルを超える塔が建っていた」、この掴みで興味関心が一気に呼び起こされる。それは七重の塔で、高さ約110メートルにおよび、中世で最大の高さを有した塔であった、と始まる。
     この巨大な塔を建てた人物は、足利義満。最初に落成したのは応永6年(1399)、場所は賀茂川と高野川が合流して鴨川となる地点、糺の森よりやや西の地点。
     院政期が六勝寺などの大規模造営時代であるのと同様、著者はこの大塔や金閣寺、天龍寺、相国寺等の建造物が相次いで建てられたこの時代にも着目すべきとする。

     最近、室町時代の研究が盛り上がっているが、本書もそのような一冊である。本書では、室

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    2023年05月25日
  • 足軽の誕生

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    応仁の乱にて活躍した「足軽」について、その構成要素や歴史的背景を追う事で、室町時代における京都近郊社会の一側面を明らかにする内容。守護による幕府運営が機能不全に陥る過程や、牢人に注目した人的ネットワークの実態などが分かりやすい。

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    2023年01月07日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    室町から戦国時代にかけて社会に大きな影響を与えた債務破棄としての徳政を扱い、政治と経済の変化によってその性格が変貌していく過程を追う内容。徳政を通して見る社会思想の転換に関する考察が興味深い。

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    2022年04月30日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    室町幕府がいかにして崩壊に向ったか、徳政令の背景となる社会情勢を通じて理解が深まった。現代の常識では理解しづらい徳政令だが、多元的な法が存在した中世だからこそ生まれた。徳政令が忌避されるようになるとともに法が一元化したのが近世であり、現代につながる変革の時期が戦国時代だった。

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    2020年09月27日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    鎌倉末期から戦国末期にかけて出された徳政令だが、その中身と受容状況は時代を反映して変わっていった。当初は純粋に徳のあるものと思われていたが、最終的には忌み嫌われるものになった。
    元々は農家の季節性、種籾と収穫の時期的量的な差異を埋める地方的なものであったが、室町の京都の中国の銅銭を用いた貨幣経済の発達と、放埓な政権を支えるために金融的要素が増してくる。延暦寺の息のかかった土倉が京では過半を閉めるようになる。また足利義持以降は政権基盤が弱くなり、各地で騒乱が勃発するようになると軍事的基盤を支えるため、牢人たちの略奪を追認する形の徳政令が生まれる。そうなると人々の信任は崩れ、経済の循環が阻害される

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    2019年02月08日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    徳政令という中世の「野蛮な」債務者救済方法が、金融事情や政治情勢に変遷に伴って、意義も救済者も変化していき、次第に地域の絆も蝕んでいき、忌み嫌われる対象になっていく過程を描いています。
    室町時代から戦国時代の、経済、財政に関して、全く知らなかったので、興味深く読ませていただきました。

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    2019年01月06日
  • 徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか

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    徳政令が、鎌倉時代の武士の借金を免除するものから
    農民が一揆で借金をなくすために要求するものになり
    最終的に兵士の略奪を追認するものになる過程を追った本

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    2018年11月01日
  • 足軽の誕生

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    牢人・足軽の存在を手掛かりに史料を読み解き、応仁の乱前夜の京都とその近郊の荘園の状況を生き生きと描く。貴族・寺社のものだった京都や荘園に武士たちが様々なネットワークを張り巡らし、その中で無数の連携や敵対を繰り広げていく。没落した守護などの家臣は牢人となって、京都南部に滞留し、戦乱や一揆が起こればそれに乗じて失地回復や再起をかけてそれらの争いに参入していく。朝廷や幕府上層部の動きを追うだけでは感じられない歴史のダイナミックな動きを味わうことができる。昔読んだ石母田正『中世的世界の形成』と雰囲気が似ていると思った。

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    2013年02月08日
  • 室町幕府論

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    室町幕府草創期の義詮から、権力を掌握した義満、そして幕府体制が完成した義持の3代にわたる最新の室町幕府論を提起。
    実は内容の要約として本書の最後の「おわりに」に数ページ亘って記されているので、お急ぎの方はそちらをどうぞ。著者さん僭越でごめんなさい。(笑)
    手っ取り早く言えば、世の中、お金が全てさということである。南北朝の動乱を経て、税の収取体系を再構築した室町幕府。朝廷儀礼との接し方からはじまって、その金の捻出方法から辿る各ネットワーク。極端に上前をはねるやり方がその後の禍根を残したのですね。(笑)
    余談だが、メチエ選書では東大系?の日本中世史シリーズが刊行中であるが、京大系?として研究史の総

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    2011年04月21日
  • 室町幕府論

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    室町幕府論今はやりなんですか?将軍の京都行政を中心に幕府の主体性を論じる。しかし、これを見ていると、「如何に地方の富を京都に効率よく分配するか」という問題が時の行政府の課題だったかがわかる。というか、この時代なんてほぼ完全地方分権だから、訴訟整理と都市機能維持くらいしか中央政府のすることはないのかも。そうすると、室町幕府は応仁の乱で機能停止したってのは疑わしいのかもなあ、と思う。では、逆になぜ日本を統一政権にしようとする人たちが出てきたんだろうとも思う。その意味で、この本に書かれていた「主体的な室町幕府」はいつから制度疲労したんだろう。その辺が知りたかったかな・・。

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    2011年05月03日
  • 明智光秀 牢人医師はなぜ謀反人となったか

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    光秀が謀反に至るまでの経緯が整理されており、また理解しやすい内容だった。また、その背景には現代の職場環境との共通点が見られる。特に以下の3点が顕著である。

    1. 人材不足に伴う一人ひとりへの業務過多
    2. 成果に対する過剰な質とスピードの要求
    3. 一部人材の優遇に起因する立ち位置への不安・不信感

    これらは現在の組織においても課題となり得る要素であり、光秀の事例は「過度な負担や不公平感が組織全体に及ぼす影響」を考えるうえで示唆的である。

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    2025年09月05日
  • 足軽の誕生

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    室町時代後期(特に応仁の乱以降)に出現した足軽がどこからやって来たのかについて、当時の一次資料(日記とか)を参考にしながら探究してゆくという内容。

    社会の変化は様々な要因が複合的に絡み合った結果起こるのが世の常であり、その意味でこの本の著者も幕府側の事情のみならず地方の荘園システムの変容、国人レベルの武士の活動等を追いながら分析している。

    室町時代ってカオスやなぁとしみじみ思う(笑)

    惣村や一味といった百姓サイドからの記述が少なく、もう少し多角的視点が欲しかったのが玉に瑕。

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    2023年08月30日