野口恵子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
目次を見ただけで、いつもの自分の言葉遣いに思い当たるところが多々あり、どんな問題があるのかワクワクしながら読み進めた(ワクワクするところじゃないかもしれないけれど...)。
この本は、敬語の誤用例について、敬語の本来の使い方や意味を示しながら、どこがなぜ誤っているのかを教えてくれる。
面白いのは、どうしてそのような誤りをしてしまうのかという分析もなされているところだ。
言葉を使う人の心理だ。
だから、単純に言葉遣いの正誤に関する知識が得られるのにとどまらず、自分自身のコミュニケーションのあり方、他者に対する向き合い方も考えさせられた。
「よろしくお願いします」や「〜ればと思います」が丁寧な形をとっているようで、場合によっては相手に自分の意見を押し付けたり、自分の意思を察することを求めるものになりうること。
もう一歩言葉を選んで使う努力をすべきなのに、なんとなく通じるだろうと思って手を抜いてしまう自分のあり方を反省した。
「意味を無視する癖がつくと、心にもないことを平気で言うようになる。」という著者の言葉にヒヤリとした。
他方、今までの言葉遣いでは現在のコミュニケーションのあり方に合ってないのではないかと思えるものもあった。
「いいえ」という意味の「大丈夫です。」については、たしかに紛らわしい。しかし、「結構です。」というのは語気が強く感じる。もう少し優しく言いたいという話し手の思いに合う言葉はないのだろうか。
人との距離のとり方が「結構です。」が使われていたときとは変化していると思う。
著者はもちろん、言葉が社会とともに変化しうるものであることは念頭に置いている。
その上で、敬語が誤った方向に急激に変化していくことに危機感を抱いている。
なぜ急激に敬誤が出てきたのか、敬誤が増えればどうなるのか、考えてみようと思う。 -
Posted by ブクログ
先週、首相が「さ入れ」で答弁しているのを聞きました。映画の舞台挨拶付き上映会に行けば、壇上の大半の俳優が「○○役を演じさせていただきました」と言う。「させていただく」の多用が大嫌いな私はいつも、「“させていただく”言うとったらええっちゅうもんちゃうで」と怒りをおぼえていますが、これは文としては間違っているわけではない。呆れるのは「○○役をやらさせていただきました」というヤツです。
成人している著名人が公の場で「お母さんに教えていただきました」、あるいは親である有名人が自分の子どもの話をするときに「○○ちゃんに買ってあげた」などと言うのにも違和感があります。家柄もよろしいようなのに言葉遣いの教育は受けてこられなかったのですかと嫌みのひとつも言いたくなる。
携帯電話の普及で、話したい相手の親を経由することがなくなり、プチ敬語すら使う機会がありません。付け焼き刃では無理だから、社会に出て取引先などと話をしなければならなくなったとき、自分が敬語を使えないことに初めて気づく。でも本当に気づくでしょうか。今や正しくない日本語が普通で、銀行に行っても妙な敬語で応対されたりする。周囲がみんな妙な敬語を使っているなら、自分が気にする必要もないということになるのでは。
本書にある「挨拶の言葉にはそれぞれ意味がある。意味を無視する癖がつくと、心にもないことを平気で言うようになる」。「便利だからと言って使いすぎると、言葉はすり切れる」。これがすべてだと思います。しかし、この本を手に取るのは、「正しい日本語を使いたい」と常日頃から思っている人のはず。「さ入れ」、「れ足す」を使い(「ら抜き」はもうあきらめました(笑))、何でもかんでも「~させていただく」と言って自分は丁寧な日本語を喋っているつもりになっている人は、悲しいかな、この本を読まないのではないでしょうかね。
あぁ、なんだか上から目線のレビューになってしまった。すみません。(^^; -
Posted by ブクログ
日本語教師による、敬語を中心とした「おかしな日本語」とコミュニケーションについての考察。
「〜させていただく」という言葉、自分でも結構使っている気がする。しかし、その言葉の意味をきちんと考えたことはなかった。「さ入れ言葉」は自分ではあまり使っておらず、人の「さ入れ言葉」には違和感を感じていたが、その理由まで考えたことはなかった。正しい敬語を使うためには、きちんと意味を理解することが重要だと感じた。
敬語については、学生のときに国語の授業で多少教わるが、実際に使う機会はそれほど多くはない。それ以上に聞く機会は少ない。こうした中では、影響力があるところで使われた誤った敬語が蔓延してしまうことは避けられないだろう。誤った敬語が蔓延すると、それを使わないことの方が、礼を失していることになりかねない。
この本は、こうした日常何気なく使っている言葉にさまざまな〈気づき〉を与えてくれ、なんとなく感じている違和感を解説してくれる。敬語という形に捉われることなく、コミュニケーションの問題として取り扱っていることろが、本質を突いている。面白い。 -
Posted by ブクログ
著者は日本語・フランス語の教師
シンプルで正しい日本語とは何か。日本語教員として、初級から中級レベルの外国人学習者に教えるべき日本語がそれだという。
学習者はできるだけ正確に聞き取り、正確に読み取り、正確に話し、正確に書けるようになりたいのだと、あとがきで触れている。
日本語教員はそれに応えるべく知恵を絞り、何を教えるか教えないかを決めているそうだ。
そういう教師の書いた敬語に関する本は、日本人である自分にも耳が痛かった。
誤用の敬語が一般化している昨今。
バイト用語と言われる接客用語も、今や若い人だけでなく中年以上の人も使っているのに遭遇する。
「~で、よろしかったでしょうか」
「こちら、〇〇になります」
「千円からお預かりします」
私には鳥肌が立つくらい嫌いな言い方だ。
このことも本書では解説されている。
気持ち悪さが、ここにあるのかと、なんとなくわかる気がした。
再読して、もう少し勉強したいと思った。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「~させていただく」という言葉に象徴されるように、現在、日本語の丁寧化という波が押し寄せている。
丁寧化はなぜ進んだのか。
時代や社会の動きとともに変化する日本語は、これからどう変化するのか。
日本語教師として、外国人の日本語学習者に、日本の大学生に日々接する著者が、敬語を中心とした“おかしな日本語”に着目し、日本語の本来の使い方、そして私たちのコミュニケーションのあり方を考える。
[ 目次 ]
第1章 させていただきたがる人々(「させていただく」は耳障りか 「させていただく」はだれに対して謙遜し感謝の意を表しているのか ほか)
第2章 現代敬語考-尊敬表現を中心に(私たちは八五郎の敬語を笑えるか 敬語の不統一とは何か ほか)
第3章 現代謙譲語考(謙遜するとはどういうことか 目上の人に向かって「ご紹介してください」と言うのはなぜおかしいのか ほか)
第4章 敬語使用と想像力(デジタル的、アナログ的言語コミュニケーションとは何か マニュアルどおりに応対する従業員に合わせて、客のほうも、想定される「客のためのマニュアル」に沿った受け答えをせざるを得ないのか ほか)
第5章 変わるコミュニケーション(周りを観察しない人、自分を客観視できない人に、他者への敬意を行動で示すことができるか 「させていただきたがる人々」は、実は「させていただきたがらない人々」だったのか ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
最後の方は、著者の現状への不満が書かれているようにも思いますが、前半の誤用については、日常で気になることがたくさんあり、よく書いてくださったと思いました。
時代によって言葉は変化し、自身も今風の言葉をその時々で使うことはあります。
一方で、敬語は年齢などの属性が異なる幅広い人に向けてのものであることから、「正しさ」に関して簡単に変わって良いとは思えません。
筆者が前半で指摘している「させていただく」の乱用は、なぜそう言う言い方が一般化したのか考察してみると面白そうです。ひとつは「自身の行動すべてに許可が求められる、周囲の不寛容性」、ひとつは「自身の行動への自信の無さ」、もうひとつは「自身の行動の影響性を、まずは多くの人に配慮する傾向」だと思われますが、個と多数との関係性に変化が起きているものと思ったりします。
ともかく、発表会だとかで「発表させていただきます」「調べさせていただきました」と言われると「許可を求められた覚えは無いし」と思ってしまいます。 -
Posted by ブクログ
『かなり気がかりな日本語』が有名な野口恵子さんの本、が、なぜか古い本置き場から出て来た。
仕事で必要があって買ったのか、母に借りたものなのか判然としないのだけど、敬語について思い当たる節があったので改めて読んでみた。
さて、まず「させていただく」の多用から。
「お訴えさせていただく」に疑問を呈しながら、なんにでも「させていただく」を使うことを挙げる。
胸が痛い。
けれど、確かに他の使い方はないのか、もっとシンプルな言い方は出来ないかを考えると、させていただく回数は減るなあと感心した。
続いて、「様」と「さん」(そして「方」)の使用例や、距離感も面白い。
大体、どこのお店も最近は「様」付けで呼ばれることが多いけど、昔はそうではなかったらしい。
今は、まず病院は「さん」だなあ。
お客様というより、患者さん、だからなのかな。
美容院も慣れると「さん」に変わる。
これは、距離感だよね。
町の八百屋さんとかお魚屋さんなんかも、「さん」って感じがするなあ。
それから、「〜してもらってもいいですか」は、相手に尋ねながら、ある種の紛らわしさや断らせない傲慢さを含んでいたと筆者は言う。
許可を取るという形にしなければ、相手にものを頼めなくなったということだ、と書かれていて、なるほどと思う。
少なくとも違和感のある使用例だということか。
敬語が距離感を表すとすると、例えば目上の方々に敬語を使わない若者たちは、一種の親しさをそこに込めているのだとも言える。
タレントで、大御所に向かって溌剌とタメ口で話しかけられるのも、無知だけでなく、度胸試しみたいな部分はきっとある。
そういう、ある種の演劇を見ている分には笑って済ませられるけれど、やっぱり現実世界で、距離をズカズカ踏み込まれる方はたまったものではない。
敬語は、想像力でありコミュニケーションだ、と結んでいるけれど、当然そうで、使う側が想像出来なければならない。
とは言え、正しい敬語をと思いすぎると、過剰になってしまったり、口がモニャモニャする。
んー。まだまだ、練習不足である。
美しい言葉は、シンプルだ。
サラリと気持ちを現わせるような、そんな言葉の選び方が出来るようになりたいなあ。