フィギュアスケートの吉田陽菜が鶴をテーマにしたプログラムを演じていましたが、そもそも海外で鶴ってどこまで知られているのだろう(吉田陽菜の衣装は白と黒、赤のポイントというタンチョウヅルのイメージ)、『鶴の恩返し』ってめちゃくちゃ日本的な話だけどこういう異類婚姻譚って海外にもあるのかなと調べたところちょうどいい本がありました。
日本の昔話を中心に「動物との婚姻」、「異界の者との婚姻」、「異形の者との婚姻」の類型を紹介、ヨーロッパや中国・韓国、アイヌなどの伝承と比較しながら日本の異類婚姻譚の特徴を分析しています。
・動物との婚姻
動物の女房『鶴女房』
動物の夫『猿聟』『オシラサマ』『蛙の王さま』
・異界の者との婚姻
『浦島太郎』『天人女房』
・異形の者との婚姻
異形の女房『雪女』『食わず女房』『鉢かづき』『人魚姫』
異形の夫『一寸法師』『美女と野獣』『鬼聟』『片側人間』
日本の異類婚姻譚(特に異類女房譚)では、「動物救済→押しかけ女房→報恩」という形で話が展開し、「見るなの禁止」というタブーを破ったことで女性の本性が露呈すると例外なく離婚。
ヨーロッパの伝承はこれと逆で異類が人間の女性と結婚することによって人間の姿に戻る。
『蛙の王さま』や『美女と野獣』に見られるように、ヨーロッパの伝承では本来は人間である存在が魔法によって異類の姿になっているので実際には異類婚姻ではなく人間どうしの婚姻です。
日本の異類が男性の場合、婚姻が成立する前に人間に殺されたりして異類が排除されるパターンが多い。
『一寸法師』はハッピーエンドですが、最終的に打ち出の小槌により一寸法師は成人男性になるのでヨーロッパ伝承に近い。
鬼と結婚する話では「体の右半分は鬼、左半分は人間」という「片側人間」の子供が生まれるというホラーな展開に。これ、なんのモチーフなのか考えると非常に怖い。
「片側人間」の民話はヨーロッパにもあり、カルヴィーノはこれをもとに『まっぷたつの子爵』という話を書いている。
ルッキズムの問題
蛙も野獣も最終的には美しい男性へと戻りますが、これが醜い姿だったらどうなるのか。
イヌイットの『かにと結婚した女』ではカニが醜いまま幸せな結婚が成就していて、これは「人間か動物か」ではなく「婿としての役割をはたすかどうか」(イヌイットでは漁をして獲物を捕ることが婿の役割)が問題とされている。
「美しく悲しい別れ」という日本昔話の特徴は、ケルトの伝承とも共通する。
などなど、いろいろとおもしろい分析がされているのですが、タイトルに『異類婚姻譚案内』とあるように、類型と先行する研究が広く紹介されているにとどまりまり、もう少し深いツッコミがほしかったところ。ただ異類婚姻譚入門としては十分なので、河合隼雄をはじめ紹介されているほかの書籍も読んでみたいです。
装丁はHON DESIGN。表紙だけでなく、章ごとに異なるページの飾りもかわいいです。
研究書らしくない軽めのタイトルも読者の間口が広くていいなと思います。
以下、引用。
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このタイプの異類女房譚は日本列島以外にはほとんどみられないことに注意する必要があります。つまり、日本人の好みにあった話だと考えられるわけです。そして、このような話をくり返し聞くことが、日本人のパーソナリティ形成に影響を与えたと考えられます。
まず「動物救済→押しかけ女房→報恩(機織り)」という形で話が展開します。そして、後半の話の枠組みとなっているのが、決して見てはならないと禁じられたにもかかわらず、そのタブーを破ってしまう「見るなの禁止」と呼ばれるモチーフです。「禁止→違反」という形で話が進み、動物女房の正体が露見して別れにいたります。別れは女房のほうから切り出され、男は呆然として立ちつくすという展開になります。
47
我が国の異類婚姻譚をヨーロッパの同種の昔話と比較すると、我が国の伝承はほとんど人間の形態をとって婚姻関係を結ぶが、ほとんど人間によって両者の間で守られねばならない規範が破られ、破局に終わる。異類の姿に還って去って行く。ヨーロッパの伝承はほぼこれと逆の形式をとっている。田螺聟は最初動物として人間の女性と結婚するが、結婚することによって人間の姿に還る。ヨーロッパの伝承と共通する例である。(関敬吾『日本昔話大成3』)
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「かにと結婚した女」(イヌイット)
かにの夫が醜い姿のままで、幸せな結婚を成就していることが印象的です。この点においては、グリム童話の「蛙の王さま」と対照的と言えます。小澤俊夫は、この話全体の基調として「人間か動物かの区別が問題なのではなく、婿としての役割をはたすかどうか、が問題なのである」という価値観の存在を指摘しています。
99
臨床心理学者の河合隼雄は、キリスト教以前のヨーロッパにも日本と同じように幸福な結婚で終わりにならない展開を持つ話があるのではないか、という関心から、ケルトの伝承に注目しています。そしてケルトの文化が色濃く残るアイルランドにおいては、現世と異なる「異界」が存在するという感覚が身近なところに存在していて、語りにおいても「常若の国」のリアリティが生み出されていることを指摘しています。(河合隼雄『ケルトを巡る旅』)
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このような「美しく悲しい別れ」を小澤俊夫は日本昔話の特徴として指摘していますが、河合隼雄は、それをケルトと日本の伝承に共通するものとして捉え、アイルランド人の父を持つ(ラフカディオ)ハーンは、それゆえに「悲しみをたたえた」日本の伝承説話に惹きつけられたのだろうと推定しています。
128
「雪女」の話は日本の村落社会で幅広く伝承されていたわけではありません。しかし、次に取りあげる「食わず女房」の話は、日本全国に数多くの類話があります。
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本来は人間である存在が、魔女に魔法をかけられたために異類の姿になっているという設定は、ヨーロッパの伝承に共通する枠組みです。
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池上嘉彦は、「鶴女房」、「天人女房」、「浦島太郎」の三つの昔話を分析し、物語の枠組みとして「〈出会い〉と〈別れ〉のサイクル」が共通して存在することを示しています。そして、その〈出会い/別れ〉のサイクルの中でも「人間である主人公と超自然的な女性との〈出会い/別れ〉がもっとも重要であることを指摘しています。
池上は「主人公は、超自然的女性と共にいる間は幸福です。超自然的女性との〈出会い/別れ〉のサイクルを経験するのと平行して、主人公は幸福との〈出会い/別れ〉を経験します」というように、日本の「異類女房譚」の構造を分析しています。
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そしてまた、池上は小澤と同じく、「主人公は話の結末において、もとの状態に戻る」という物語の構造が存在することを指摘しています。
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「蛙の王さま」の蛙や「美女と野獣」の野獣は、魔女の魔法で蛙や野獣の姿にさせられていたのであって、本来は人間であり、最後に人間の姿に戻ります。ですので、最後の場面から振り返ると、人間の女と人間の男の結婚という物語の形になります。
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話が中断されたという印象をヨーロッパの研究者は持つようです。「女房が鶴になって飛び去ったのに、夫はなぜそれを追っていかないのか。日本の夫はなにをしてるんだ」と。
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日本の異類婚姻譚においては「見るなの禁止」が破られて女性の本性が露呈すると、例外なく離婚がおこなわれるわけですが、その際、「ほとんどの話で、こうなったからには別れるより仕方がないと切り出すのは女性である」と河合は指摘し、「結婚、仕事、離婚、とすべてについて能動的なのは女性であり、男性は常に受身である」と総括しています。(河合隼雄『昔話と日本人の心』)
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最後に、もう一つ現代におけるジェンダーに関わる日本の昔話の特徴をあげておきましょう。それは、女性の主人公が積極的に活躍するという特徴です。この点は、グリム童話をはじめとするヨーロッパの昔話における女性が受け身的であり、男性主導で物語が展開していくのと対照的です。
多和田葉子『犬婿入り』
小澤俊夫『昔話のコスモロジー─ひとと動物との婚姻譚─』
カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』