関谷直也のレビュー一覧
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東日本大震災の記憶も生々しい2011年5月に書かれた本。過去の風評被害や、その言葉が使われ始めた事例などを紹介。「人間が不安を感じる生き物である以上、風評被害は無くならない」という前提の下、冷静に過去の事例を分析している。
メディアや通信が発達しても風評が広がる手段とスピードが変化するだけで、人々の不安(分からないこと、に対する)からそのパターンは昔も今も変わらないことがよく分かる。観光地や食べ物に対する根拠のない不安も、結局「代替えがある」ために他へ移ってしまう。そして「事実かどうかより、人々が不安を感じればそうした行動に走るのは自然なこと」という言葉が何回も出てくる。
世間の誤った風評 -
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東日本大震災が起きた直後の5月に出版されているが、震災の話はむしろ少なく、日本における「風評被害」の歴史を丁寧に綴っていて、読みやすい。
風評被害とは「ある社会問題が報道されることによって、本来「安全」とされるものを人々が危険視し、消費、観光、取引をやめることなどによって引き起こされる経済的被害のこと」。
いくつか論点があって、情報過多社会における「報道」による影響や、うわさとは違うという話があるが、興味深いのは「本来「安全」とされるもの」の部分が、主体によって曖昧になるということ。これは私も前から思っていて、本当にリスクがあるから経済活動を忌避する場合それは「風評被害」ではないのではないかと -
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ネタバレよく、耳にする「風評被害」この言葉の定義を知っていますか?
風評被害という語句は、国語辞典などにはなく、現代用語の基礎知識、イミダス、知恵蔵などに代表される現代用語辞典の中にとりあげられており、学術的用語でも公的に定義された用語でもない。つまりマスコミ用語である。よって、この言葉がコンセンサスのないまま社会に定着している(本著より引用)
では、その風評被害はどのようにして起こるのか?第五福龍丸事件から福島第一原発事故までの間に起きた様々な事件を通して。風評被害がどのように起きてきたかを書いている。そこには、我々の絶対神話とゼロリスクを他者に求める心理・行動と、マスコミによるキャスティングされた -
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すべからく、情報をどう出すか、どう受けるか、の問題だと受け止めた。
まず、「風評被害」とはなにか。著者によれば、安全なものについて、根拠のない風評によって危険視され、敬遠される状態をいう。つまり情報を出す側としては、懸念されることに対して、安全を証明して対抗すればよい。情報を受ける側としては、風評に惑わされなければよい。
では、今回の放射能汚染で見受けられるように、安全が証明できない場合はどうするか。情報を出す側は、できうるかぎり、誠実に、安全を証明するべく努める。受け手としては、「許容できる基準」を設定するしかない。例えば、自分で安全かどうか見て、大丈夫なようなら安全とするわけだ。リ -
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風評被害を研究する筆者がまとめた、風評被害の本。
風評被害がどんなものか、どんな事例が今まで起こったのか、を知るにはとてもいい本。
章の立て方にしても、章はじめの概説にしても、この本の構成がとてもわかりやすい作りになっている。
でも、そこにどんなプラスがあるのかっていうとうーん、です。
風評被害を防ぐために必要なこと「風評被害を正しく理解する」は達成されるかもしれないけど、現実に何かいかせるかといえば、どうだろう。
風評被害は皆が当然の行動をした結果生じてしまうものなんで、それをどうこうできるのだろうか。
まあとりあえず、リテラシーを持って安全を判断して、「ふつうの購買行動を保つ」こと -
Posted by ブクログ
この本の定義によると,風評被害とは,事件・事故・災害等の問題が報道されることで,本来「安全」とされるものを人々が危険視し,消費・観光・取引をやめること等によって引き起こされる経済的被害。
ただ難しいのは本当に「安全」かどうかというのが必ずしもはっきりしないということ。立場によっても違うし,すぐにはわからなくても,後になって実は安全だったと確認されることもある。そもそも「安全」でないならば,経済的被害が起きてもそれは風評被害ではない。
日本における風評被害のはしりは,第五福竜丸の被曝事件。「放射能パニック」が起こり,被曝とは無関係の魚まで売れなくなったり安く買いたたかれたりした。その後も原