土井健司のレビュー一覧
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キリスト教に対して人びとが抱く素朴な疑問を手がかりとして、著者の考えるキリスト教の根幹的な発想が、わかりやすく解説されています。
著者はまず、平和を説くキリスト教がなぜ十字軍などの戦争を起こしてきたのかという疑問をとりあげます。そして、社会を特定の教義によってまとめあげる力ではなく、社会をまとめるために引かれた境界線を乗り越えることこそが、キリスト教を特徴づけていると論じています。またこれに続いて、「善きサマリア人」のたとえを参照し、キリスト教の説く「愛」についての考察も展開されています。
さらに著者は、一神教とは何かという疑問を取り上げ、一神教と多神教を対立させる見方に疑問を投げかけます -
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ネタバレキリスト教は、「何者か」であることでなく「人間同士の出逢い」として向き合うこと。
上記の表現について、しっくりきた。
どうしても「何者か」「肩書きは何か」というところで人を判断する場合が多く、その場合にはやっぱり個別性というところは欠落してしまう。
しかしその個別性のなかにこそ「その人」たらしめるものがあり、そのゾーンに入っていくことがキリストの行った隣人愛である。
こうして人間が「わたしーあなた」の関係を作る場を提供するのが、「神」である。それを可視化したのがイエスだ、という説明にも納得がいった。
一応、ミッション系の大学だったので講義はあったが、個別の教義をどう解釈して何を伝えてい -
Posted by ブクログ
キリスト教への疑問を真正面から受け止め、誠実に答えようとしてその姿勢は高く評価せねばならない。
例えば、十字軍のようにキリスト教の名前で幾多の戦争や残虐行為がなされたのはなぜか?
神の説く愛とは何か?
善人なのに不幸になるのは何故か?
祈っても通じないのはどうしてか?
一神教はどうして他の宗教に対して不寛容なのか?
何で神は見えないのか?
などなど・・・
これらの疑問に対して、聖書からはもちろんのこと、古今の書物を参照して説明している。
だけれども、説明すればするほど、こういう説明が必要なこと自体おかしいことに気付く。
そもそも宗教なんて、理屈じゃないんだ。
疑問を挟まず頭から信じてりゃいい -
Posted by ブクログ
キリスト教徒でない人が理解の及ばない(認識しにくい)点を、キリスト教徒として真面目に論じた好著。
主体性をもたずには、隣人愛も神も祈りも理解出来ない。だからこれまで私にはキリスト教を知ろうとしても常にいいようのない違和感(気持ち悪さといってもいいかもしれない)が付き纏っていた。おそらくこれからもそうなのだろう。
でも、主体的でない立場にいるという事を自覚したのは、大事な一歩だったように思う。「あなたーわたし」のまさに主体的な関係から隣人愛、神、祈りが機能し、領域を超越する。そのことを認識することができたから。
しかしながら、一般論で語る以上、あるキリスト教徒個人の問題をすべて議論できないこ -
Posted by ブクログ
思い返せば園児の時分から成人後まで教会に連れてかれる事が多かったが、キリスト教を信じることは一瞬もなかった。創造論、処女懐胎、審判の日、復活といった伝説は反証不可能だし、全知全能の神、救世主キリスト、愛、救済みたいな概念は理解し難く、免罪符、魔女裁判、十字軍などの黒歴史は言い訳すらされないから意味がわからない。どうしてこんなにも謎が多いものを信じられるのか疑問だが、恐らく信者になるために必要なのは全体と詳細の理解ではなく、ただ1つの感情的な根拠なのだろう。これは昨今ハヤりのネットバトルにつきものの、論者を無批判に擁護する信者達と変わる所は1つもない。
とすると信者でありながらその対象の全体と詳 -
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[ 内容 ]
平和を説くキリスト教が、なぜ十字軍など戦争を起こしてきたのか?
キリスト教信者には偽善者が多いのではないか?
信仰心に篤い人が、不幸な目に遭ったりするのはなぜか?
キリスト教に対し、このような疑念を抱く人は少なくない。
本書は、こうした問いに真正面から取り組み、キリスト教の本質に鋭く迫っていく。
キリスト教徒によるユダヤ人迫害などの事例から、神とは何かを真摯に問い、隣人愛とは何か、祈りとは何かを追究した本書は、これまでにないラディカルなキリスト教思想の入門書である。
[ 目次 ]
第1章 平和を説くキリスト教が、なぜ戦争を引き起こすのか(イエスは戦争を肯定していない 大義から外