この本については、1979年の初版に入っていたであろう第1章から第6章までと、改訂版にリアルタイムで増補された7章以降についてだいぶ読み味が異なりました。
前半についてはいわゆる「美術史」的な記述になっていて、未来派やバウハウスといった美術界の流れの中にパフォーマンス・アートを位置づけており、また歴史のつながりという面でもかなり意識された内容になっています。そして、マチューナスのフルクサスやヨーゼフ・ボイスの社会彫刻など戦後までいかにして到達したかというのが概観されていて、書籍タイトルから当初期待した内容をフォローしている形になっています。
一方で7章以降については、パフォーマンス・アートが絶えず社会の中に配置され、そして社会に対してどのような働きかけを行ってきたかという視点で描かれています。そのため、パフォーマンス相互の影響の記述が薄くなり、羅列的になっていきます。これはメディウムの多様化や美術館・美術評論といった制度の変容、なにより美術家として登場してくる人物の出自の多様性について、「美術史」の中におさめる試みが途上なんだろうなと言うのを感じさせます。とくに第9章、2010年代についての記述は多くがニューヨークのアフリカ系アーティストと性的少数者のアーティストに対する記述に割かれていて、なるほどこれがアメリカの分断か。。。となった内容でした。第一次トランプ政権についての記述はなかったですが、第10章の追加があるときには流石に無視することができない要素として入ってきそうです。
また、日本のパフォーマンス・アートについての記述はほぼなく、同時代の日本について記述するのは、日本人が主体となった書籍でないとなかなかという感じでしょうか。