マルクス・アウレーリウスのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
孤独な皇帝の葛藤
本書にある「君は…せよ」「君は…するな」という言葉は、すべて自分自身(TA EIS HEAUTON:本書原題)にも向けられた言葉。それを支える思想は「ストア哲学」と呼ばれ、古代ギリシアで生まれた一大潮流でした。その思想にしたがって文字通り「ストイック」に生きようとした皇帝の手記。
ただその思想を何度も何度もおもい巡らせて実践している様子が見られるからこそ、かえって彼の葛藤=自省が想起されます。自制心のあらわれといってもよいでしょう。そこに胸を打たれ、何世紀も読み継がれることになったことがよくわかります。数々の修羅場をくぐり抜けた彼の言葉には重みがあります。
10-16「善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ」というふうなピシャリと言い放つ物言いには、実践ではなく理論を優先する人々に対して釘をさす力があります。その力は随所に込められていますが、それは当時の戦争の日々によって実践を余儀なくされたからかもしれない…とも考えさせられます。
読み物としては、ソクラテス以前の哲学者たちの思想や世界観を少しでも知っておくと読みやすいです。その手間も惜しまれるという方は、訳者解説から読み始めるとよいでしょう。訳も洗練されていて注解も多くあります。……まず第一に、読書を始めてみよ!
4-16, 6-3, 7-59, 9-29, 12-5 -
Posted by ブクログ
ローマ皇帝で賢帝と評されるマルクス・アウレーリウスが書いた日記みたいなものです。タイトルのとおり自分を省みている本で、本人は出版することを前提に書いていないので、自分だけがわかっているような文章もあります。それでも、ローマ皇帝という権力の頂点に立つ人物が、自分を省みているところが貴重であり、すごいと思います。ストア哲学を基盤に、他人を怒らず、自分のできることをして受け入れる精神が書かれて書だと感じました。この本がどのようなものであるかは、解説を読んでもらうの一番早いと思います。すべてをまねることはできませんが、リーダーとしてどのような心構えが必要か、自分を省みることの大切さを感じました。
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Posted by ブクログ
『生きがいについて』を書いた神谷恵美子が翻訳しているので、そのうち読もうと思って買っておいたものだ。まさに彼女の言葉で綴られている。
祖父からは清廉と温和
父からは慎ましさと雄々しさ
母からは神を畏れること惜しみなくあたえること
を教えられた・・・という文章で始まる。
マルクス・アウレーリウスが二千年前、生きていくうえで心しておかなければならないこと、人としてのありようを自省したものを短文で紡いだものだ。
エッセイのような形式だが、二千年の風雪に耐えた
古今東西人類共通の箴言集だ。
ローマ五賢帝時代最後の皇帝が執務中や激戦の闘いのなかで覚書のようにその時々の思いを書きとめた。
『ローマ帝国衰亡史』で史家ギボンは父アントーニヌスとマルクスの治世を評して「二人は42年間ローマ帝国をたゆみなき叡智と仁徳とをもって治めた。‥‥彼らの御代こそ大民族の幸福を統治の唯一の目標とせる歴史上唯一の時期であろう」といった。マルクスは
正義、博愛、社会連帯感情等が特徴の統治であった。
今も昔も、ローマ皇帝ほどの権力者であっても、人間として心すべきことは何も変わらない。
宇宙のことや自然、時間の概念などスコラ哲学の影響ともいわれるが、時代がかった不自然さはなく、当たり前の人間のあるべき姿が語られる。
限られた時間を大切に生きるということも繰り返されている。
「評議の際、ものを徹底的に検討しようとする態度。粘り強さ。安易な印象で満足し、いい加減のところで詮議を切り上げてしまうようなことを決してせぬこと。」などの言葉はリアルである。
この作品は生きていくうえでの定規か尺度のようなもので、読む毎に感じる「共感か違和感」の反応で自分の心の居場所を教えてくれる。
精神の形成期、中学生や高校生の時に教科として脳を通過させるといいと思う。そうすれば一生機能する“良識の錘”を持つことになる。 -
Posted by ブクログ
全て思うことは、特に悲観することについては自分の内側で起きているということを理解することが大事であり、つまりそのような出来事は全て自分次第で思い通りにできるということなので、苦しみたくないなら苦しまないように容易にできるだろう。また、悪いことを企む人間に対して、自分が被害を被った時に悪いことをされたことに憎むことは大変愚かなことであり、それは被害を受ける方が予め認識予測できたことであろうことだからだ。世の中には、悪いものがあるからその反射として良いものたろうものが現れる。良くも悪くも、全て自然の摂理であるということなのだから、全く悪い人に何かされた方が悲劇的であるとは言うことは難しいだろう。