恥がどんな風に作り出され利用されるのかについて書いた本。すごく勉強になったし自分の行動を振り返るきっかけにもなり良かった。
恥の最大の目的は「服従」を強いることだという。恥は弾圧、利益、支配の道具として利用されている。
恥につけ込んで莫大な利益をあげるダイエットビジネスや、貧困・薬物依存などを本人の落ち度として責めたり福祉手当てを支給しないとか刑務所送りにするような弱者を追い込む社会は恥を利用した仕組みである。
だが、恐怖や恥は生存のためのスキルとして私たちの遠い祖先から人類が持っている感情であり、恥ずかしいという思いを消すことは不可能だ。また、恥を根絶すべきだとも著者は主張していない。場合によっては、恥ずかしいという感情が不正に対抗する唯一の手段になることもあるからだ。
SNSで広がった#Metoo運動のように弱者が強者を社会的に糾弾する際、正義を推し進める上で有効な手段である。
また、社会規範を守る上でも恥は有効だ。
例えばコロナ禍にソーシャルディスタンスを無視する人を私たちは恥ずべきものとみなす。「恥」を利用することで公衆衛生の観念を植え付けることもできる。
一方で、反マスク、反ワクチン派の人々への非難の態度が逆効果になるという意見にはハッとした。「科学を擁護する人たちは往々にして傲慢に見えてしまう。疑いを抱く人や反対意見をもつ人を無知な者だとはねつけたり、愚かな陰謀論を軽率に信じる者だとみなしたりするせいだ」というのはその通りだな、と。
アフリカ系アメリカ人がワクチンに懐疑的だとする調査結果があるが、黒人男性を対象に人体実験が行われたり、アフリカ系アメリカ人女性が病院で同意なく体内のがん細胞を採取されたり…これまで科学の発展という名の元に差別的な扱いを受けてきた歴史があるのだ。
非難されて恥ずかしい思いをすると、人は逆方向へ向かってしまうことがある、と筆者はいう。
「自分が失敗したときに他の人にどう扱ってもらいたいかを考え、そのように彼らを扱い、相手の人間としての尊厳を尊重しなければいけない」というのが大事なことだと思う。
また、「恥に関しては、私たちは同時に寛大にも無慈悲にもなるし、ある差別と戦いながら別の差別を擁護することもある」
ということを忘れないようにしたい。