京都新聞取材班のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
前回、朝日新聞社発行の京アニ放火殺人のルポを読んだ
死刑という形で着地した直後に発行された書籍という事もあり、目線は記者と遺族と専門家が主であった
全て非常に興味深い話だったのだが、青葉真司本人の言葉は被告人質問での記録された言葉のみ
肉声とはややかけ離れていると感じた
言葉は悪いが、我々部外者はどうしても被害者側に感情移入してしまう
犯罪心理学に興味がある身として、犯罪者の目線で事件を俯瞰したい気持ちが抑えられなかった
果たして「死刑」はこの事件のピリオド(。)なのか、コンマ(、)なのか
深追いオカワリ読書を決行
本書は地元の京都新聞が2025年7月に発行している
事件から7年が経った、死刑囚 青葉真司 の現在の心境はどうなっている?事件と向き合い反省しているのか、はたまた妄想を切り離せず怒りと憎しみに日々を捧げ続けているのだろうか
...結論から言うと、残念ながら彼の肉声はほぼほぼ世に出ていない
ただ、汲み取れる物は多かった。ネガティブなものしか産まれなかったが...。
死刑確定→控訴→控訴取下
となり死刑確定となったが、取り下げたのは青葉真司本人の意思だったらしい
理由は簡潔に言えば
「妄想って言われるのが許せないから」だそう
裁判の論点は
「青葉真司に責任能力があるか否か」であった
弁護士が弁護の為に揃えた複数のカードは家庭環境や貧困、犯罪歴..と様々ではあるが
その中に「妄想」のワードがよく見られた
弁護士は責任能力が無かった事を証明する為に
「現実の世界と、青葉さんの見てる世界で起きている出来事は違う」と主張するが
青葉真司はそれに対して
「あ、やられたな 手のひらを返されたな」 と思い
「控訴しても弁護士が妄想と主張するのは不満」
と、述べたと記録されている
これが2019〜2024年の間に21回もの公判を経て、自身を振り返り、遺族の声を聞き、自らの罪を見つめ直すはずの5年間を過ごした男の
死刑判決後に残された言葉であり、私が求めていた「加害者側の言葉」に一番近い部分であった
何を求めていた訳では無いが、何故か残念な気持ち(これは私が青葉の反省を求めていたからなのなろうか)と、
同時にとてつもない怒りが湧いて出た
「京アニが小説をパクったのは事実であり、だが放火したのはやり過ぎたごめんなさい」と言っているのだ
主張したい事だけ主張して、あとは殻に籠っている状態
どこまでも「逃げ」の精神がこびりついている
「逃げ」たいし、「責任」は負いたくない
けど「主張」はしたい。「反論」は怖いから言ったら即、「隠れる」
....あれ?
なんか急に身近な、友人とのランチで仕事の愚痴を話す時の私と同じワードが出てきてビックリしている
...あれ?
私の日々のストレス社会やら鬱憤やらが混ざった非常に偏った解釈ではあるのだが、
青葉真司マインドの人って実は多数派なのやもしれない
言うだけ言うけどその先考えていない... ったく。不満と改善策はセットで提出しなさい
未来が見えなかった分、嫌な固定概念がより強固になっちゃった気がするなぁ...鬱
現在の最新のロードマップは
25.01.30「弁護人は本人による控訴取り下げを無効とする申し入れ書を提出」で止まっている
面会時、唯一面会していた被害者遺族(寺脇護さん)に
「事件に向き合う、再発防止に協力する」と言っていたが控訴を取り消してからは全て面会拒否をしている
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前作との内容の違いとして
死刑制度についての様々な視点 が大きい
国際的に死刑は廃止の傾向にある
2024年末時点で死刑を廃止、長期間執行していない国、地域は145に及ぶ
一方、死刑制度を維持しているのは日本や米国を含む54の国だという
日本が珍しく少数派である死刑制度を維持する理由として挙げるのが 「国民世論」である
2024年、内閣府実施の世論調査では83%以上が「死刑もやむを得ない」と回答
だが、今回の事件の被害者遺族の言葉を見ると
やはり複雑な心中ゆえの矛盾が生じているように感じた。決して否定的な意味ではない。「死」の重みと「失」の悲しみを天秤にかけているのだ、至極当然だろう
「36人の命を、1人の命で償えるのか」
「死刑で償いが終わるのか」
「死刑は反省の時間を奪っている」
だが極刑(死刑)を望む遺族の声も8割を超える現実
青葉真司が死刑囚となった当時で確定死刑囚は107人
過去の事件では遺族と対話を重ねた者もおり
その中でひたすら祈る者、憎悪を放ち続けた者もいたらしい
その中でも印象的なエピソードは1983年に弟(明男さん)を殺された原田正治さんの話
明男を雇っていた元運送会社の長谷川俊彦は他二人をも殺めており、後に死刑判決が言い渡された
長谷川との面会で謝罪の言葉、反省の表情に圧倒された原田さんは長谷川への刑の執行中止を求め、法務大臣に上申書を提出
原田さんは「死刑で得られるものはない」と主張したが、その年の12月に刑は執行された
長谷川が原田さんに宛てた遺書には「生きて罪を償うことを切にお望みくださった正治様には 〜中略〜 本当に残念で申し訳なくてなりません」と記されていた
原田さんは長谷川の葬儀に参列した
後に原田さんは
「彼にとって、生きる事が最大の償いだった」と言葉を残している
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何が知りたくてこの題材を手に取ったのか、根本的なものが色々ぐっしゃぐしゃになってしまい
総合的に気持ちの良い読書ではない
極端な答えを出すなら、青葉真司に
お前の妄想恥ずかし〜!と死にたくなる程心の底からバカにしたいし
罪を認めさせた上で更にボロッボロに責め立てたいし
一回精神ぶっ壊してから死刑にしたいし、
とことん苦しんでこの世から消えて欲しい
って思っちゃいましたね...
凶悪事件のルポは精神衛生上ホント良くない
ちょっと癒 優 甘 三銃士呼んで下さる? -
Posted by ブクログ
京都アニメーション放火殺人事件を、地元紙による6年にわたる取材から書き記した一冊です。なぜ事件に至ったのかから、死刑が確定するまでを、様々な立場の人への取材を通して、克明に記しています。
重い一冊でした。亡くなった36名の一人一人に、家族がいて、生活があって、夢もあって。そんな当たり前のことに思いを馳せ、改めて、その被害の大きさを思い知りました。
青葉真司は、無敵の人だったのだと思います。その最後の歯止めとなっていたのが、訪問看護師だったのかもしれない、とありました。そんなギリギリの状態を、どうにか持ち堪えられるように、良い方向に向くように、今日もどこかで、危険を承知で支えている人がいると思うと、敬服いたします。 -
Posted by ブクログ
京アニ放火殺人事件を追ったルポ。
こう言う本は、本当にやるせなくなる。泣いたわ。夢を追っていた人たちを無意味に殺し、夢に救われていた人たちを無惨に殺した。
生い立ち、色々あるし、自分の創作が客観的に見れない気持ちもわかるが、そんなの、世界中の何十億人が何十億の何乗も経験している。
精神疾患の診断もあったようだが、疾患があったから歪んだのか、歪むほどのことがあったから疾患を発症したのかはわからない。
人は、壊れる。
案外簡単に壊れる。
壊れたら元には戻らない。その先があるだけで、壊れたままなのか、再生できるのかそのほかなのかは、いろいろだと思う。
みんなそれぞれだ。
壊れたことには同情する。
だが、壊れた結果何をするかには、一片の同情もない。
社会はことを起こさないようにサポートするべきではあるが、起きてしまったことは冷静に判断すべきだと思う。
刑法、と言うもの、あくまで罪の主体がその意味と結果を理解出来ることが前提なのだ。それが矛盾を生むことはある。正解は多分ない。どこかで線引きをしなければならないから、冷静なうちにルールを決める必要があって、そのルールにキチンと理屈の裏付けが必要なのだ。
立場とか状況、環境によって人の評価は変化する。
もちろん丁寧にそれに寄り添う必要もあるが、社会が罰を与えることの公平感、結果の予見性も蔑ろには出来ない。
本書でも触れているが、死刑とは何か。
正義なのか、そうでないのか。
この本ではあまり深く踏み込まない。それで良かったと思う。そんなことを、あの事件から考えたくはない。
ただ、何があっても、心神耗弱だ、心神喪失だと、死刑制度を骨抜きにしようとする主張は吐きそうになる。
人を殺すなんて言う精神状況がまともなわけはない。
快楽殺人犯くらいしか罪に問えないじゃないか、と考えたが、快楽殺人を犯すような精神状態は、真っ当でないと言う理屈すら成り立つのではないか。
詰まるところ、死刑の否定である。
本筋ではないが、卑怯だと思っている。
弁護が仕事とはいえ。
しかも本件では、本人が控訴しないと言ってるのに、それを無効にしようすらしてると言う、もはや誰にとっての正義かすらわからない。 -
Posted by ブクログ
絶対に許せない事件だけども、自分の周りの世界がどうにもこうにもいかないで、自暴自棄になった人は何を起こすかわからなくて怖さを感じた。
犯人の生い立ちを考えると、生活保護や福祉施設などのセーフティネットは絶対になくてはならないと再認識されられた。それがないと、同じような自暴自棄な人が増えて、犯罪率が上がっていき、治安が悪化すると感じた。
親ガチャという言葉が一時期話題になったが、親がどんなに悪くても、踏ん張って社会で成功している人はいる。そうではない人との差は何か、親からの支援なし、ましては暴力を振るわれるなどの劣悪な家庭環境の下で育ってもぐれずに大人になれるのか。難しさを感じた。 -
Posted by ブクログ
京都アニメーション放火殺人事件について、被害者、その遺族、犯人である青葉真司、メディアスクラムや死刑制度、事件から裁判、そして判決に至るまでを追ったルポ。250頁ほどだが、丁寧にまとまっている。
読んでいて心痛いのは、やはり被害者らの人生とその遺族たちについての箇所。本書は多角的に検証しているとはいえ、力点として置かれているのは被害者遺族の部分のように思われる。いちばん取材がしやすいというのもあるだろう。
本事件の報道においては被害者らの名前が公表されたり匿名であったり、統一がされていなかった。これは本書内でも説明されているが、匿名は遺族の希望によるものであり、報道だけでなく裁判においてもそれが守られていた。これはかなり例外的な措置らしい(性犯罪においてはその事件の特性上、この措置は多いよう)。
青葉真司に関しては、本書内でも指摘されているように、きわめて幼稚で短絡的な人間である。彼に対していろいろ考えをめぐらせたところで徒労に終わる。当の青葉が特になにも考えていないからだ。せいぜい考えているのは自分のことだけである。
この事件においては、そして本書でも書かれているが、青葉の境遇と時代的な背景、かんたんにいえばロスジェネ世代であることも関連付けて語られがちである。
しかし、少なくともそれが直接的な原因とは到底いえないだろう。
そもそも青葉の人生を読んでいると、彼の人生は高校時代はかなり充実していて、転落していくのは専門学校の中退以後である。その中退も明確に本人の側に理由がある。これは不況や労働環境とは一切関係がない。
専門学校を中退したくらいでまともな働き先もないこと自体に問題があるのだ、といえるのかもしれないが、そのあとに性的暴行を目的とした犯罪もしているわけで、やはり世代問題に収斂するのは無理筋だと思う。