烏谷昌幸のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
誰もが陰謀論の信者となる素質を備えているとした上で、米大統領選や議会襲撃などを主に据えつつ、ナチスドイツも利用したユダヤ人陰謀論などにも触れている。まさに「となりの」陰謀論を語りながらもその恐ろしさを矮小化することなく的確に分析している。本書の中ではフィリピンのドゥテルテ政権を批判したジャーナリストが、犯してもいない政権側だけでなくインフルエンサーや民衆からも、犯してもいない罪を犯した犯罪者として扱われ、あらぬ誹謗中傷を受けたという話が載っており、日本についても同様の事例があるなと考えさせられた。またこういった問題では対処法などが提示できない場合が多いが(それらを馬鹿にする訳ではなく難しい問題であることの証左であろうとは思う)、本書ではフィリピンの例からファクトファーストピラミッドを例示しており、これからの「陰謀論」時代を生きるヒントとなりそうである。
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Posted by ブクログ
リアル本にて。
「となりの」とあるように、想像以上に身近なものとなっている、「陰謀論」について、その定義と「陰謀論」が世界に与える影響について考察している。
まず「陰謀」は実際に存在する(実例としては北朝鮮による拉致など)前提として、「陰謀論」は充分な根拠無く信奉されている(つまり信憑性の低い)「陰謀」としている。
その上で、SNS及びネットサービスのリコメンドによるエコーチェンバーによって、「陰謀論」の生成・発展がより簡単に、「陰謀論」を知ること・何度も触れ続ける確率がより高くなっている。
さらに、ドナルド・トランプのように、「陰謀論」を利用して政治活動を行う人物も現れ、これまでは一部の人々の趣味的な側面の強い仮想的なパラレルワールドだった「陰謀論」が、議事堂襲撃事件やリベラルと保守の強い分断のように現実世界に大きな影響を及ぼすようになっている。
ではどうすればいいのだろうか?実際、今の世界でエコーチェンバーを避け、ファクトチェックを都度行うことはとても難しい。自分に対して行うことも難しいのに、自分以外の大切な人が取り込まれそうになっている場合、なにかできることはあるのだろうか?
この本では対策についてはほとんど論じていないが、「陰謀論からの救出法」という書籍を紹介している。こちらも読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ社会学的な観点からの陰謀論について、とても興味深く読み進めました。
陰謀論を生み出し増殖させるのは、人間の中にある「この世界をシンプルに把握したい」という欲望と、何か大事なものが「奪われる」という感覚だと論じる。そして、これらの欲望や感覚は、社会状況に応じて人の中に芽生えるもの。
陰謀論的な思考は古今東西どこにでもある。
陰謀論的思考は、人々の自尊心を支え、公共の秩序を底支えする積極的な役割を果たしてきたとさえいえる。
偉い人間はみんな悪党ばかり、でも自分はまっとうに生きてきた、という自負心が市井の人々を支える力になってきた側面もある。
しかし、ここ10年ほどのあいだに、陰謀論が現実社会に及ぼす影響がどんどん無視できないものになってきた。
インターネットとソーシャルメディアなどのネット上のコミュニティなどで肥大化し、ビジネスあ政治の道具として利用され始めた。一方で、自己充実のために物語として消費する人もいる。
遂には陰謀論が現実を凌駕するようなケースさえ生まれている状況。
後半、著者が陰謀論に関心を高めたきっかけであるアメリカの政治分断を中心に書かれていました。知らないことだらけでしたが興味深いです。 -
Posted by ブクログ
本書は、陰謀論を単なる「突飛でばかばかしい話」として切り捨てるのではなく、それがなぜ生まれ、どのように社会を分断し、政治や暴力へと結びついていくのかを、冷静かつ多角的に分析した一冊である。
陰謀論は「世界を単純化したい欲望」から生まれる
第一章では、陰謀論の定義が丁寧に整理される。人間は偶然の一致に過剰な意味を見出し、複雑な世界を「誰かの陰謀」という分かりやすい物語で理解したくなる。ケネディ暗殺陰謀論やトランプ大統領の「奇跡の一枚」に象徴されるように、そこには不安や喪失感、そして「大事なものを奪われた」という感覚が色濃く反映されている。
陰謀論は娯楽として消費される一方で、支配の道具としても機能しうる──この二面性の指摘は、本書全体を貫く重要な視点だ。
パラレルワールドとしての陰謀論
第二章では、Qアノンを例に、陰謀論が現実とは異なる「パラレルワールド」を形成し、人間関係や社会そのものを分断していく過程が描かれる。エコーチェンバーによって増幅される犬笛、妥協困難な争点、政党間の断絶。
特に印象的なのは、陰謀論が家族や友人との関係すら引き裂いていく点であり、もはやこれは思想の問題ではなく、日常生活を侵食する社会現象であることが強く実感される。
ポピュリズムと陰謀論政治
第三章では、陰謀論とポピュリズム政治の結びつきが歴史的・社会的文脈から論じられる。ナチス・ドイツの事例や「シオン賢者のプロトコル」に象徴される全体主義と恐怖政治、そして現代の希望格差社会。
皮肉にも、衣食住や生活満足度が一定程度向上する一方で、人々はバーチャルな充足や「推し活」などに生きがいを求める。こうした状況下で、トランプのような存在が「民衆の心の叫び」を代弁する構図は、陰謀論政治が決して他人事ではないことを示している。
第四章が突きつける最も重い現実
本書で最も重く、現実的な警鐘を鳴らしているのが第四章だろう。
意図的に偽情報を拡散し、それを信じた人々が自発的に他者を糾弾する社会──ドゥテルテ政権下の事例は、その恐ろしさを生々しく伝えている。
正直に言えば、
「第4章の意図的に偽情報を拡散するのが最もひどい話と思いましたが、某C国は日常的にそれをやってますね。」
という感想が頭をよぎった読者も少なくないだろう。陰謀論の怖さは、その荒唐無稽さではなく、国家や権力が意図的に利用したとき、社会の自浄作用そのものを破壊してしまう点にあるのだと、本章は強く訴える。
おわりに
『となりの陰謀論』は、陰謀論者を嘲笑するための本ではない。むしろ、「自分は大丈夫」と思っている側にこそ、静かに突きつけられる警告の書である。
陰謀論を過小評価せず、しかし感情的に断罪もしない。その姿勢こそが、陰謀論に支配されない社会を守るための、最も現実的な出発点なのだと感じさせられた。 -
Posted by ブクログ
陰謀論ってほんとに一部の人達が信じている、何処か遠いものだと思っていたし、しかしそういう無関心が無意識的に間違った方向に向かってしまうことが自分にも有り得るという危機感もあり、この本を手に取った。
内容としては、アメリカにおける政治においての陰謀論が主で、他には世界大戦におけるユダヤ陰謀論なども取り扱われていた。陰謀論の入門書としてとても最適だと思う。筆者が繰り返し、「陰謀論が一部の人から生まれるのではなくSNSが普及し誰でもどのような考えにも触れることが出来るこの社会で、誰しもがその発信者になり得る」と強調していたのがすごく印象的で、根本的な陰謀論に対する考え方として絶対に忘れては行けないなと思った。これからの陰謀論研究への期待も述べていたが、日本におけるより身近な例や調査研究がより進んだり、メディアに関わる人の陰謀論への関心が高まればいいなと思う。そしてなによりSNSに日常で触れる私たちがこの陰謀論に対する危機感を忘れてはならないなと思う。 -
Posted by ブクログ
陰謀論は、特別な人だけが信じるものではない。不安や怒り、社会への不信が重なったとき、人は複雑な現実よりも、分かりやすい物語に心を引き寄せられる。身近な人との会話やSNSにも、その入り口は静かに広がっている。情報があふれる時代だからこそ、真実と憶測は容易に混ざり合う。一部の事実に大胆な解釈が加わることで、もっともらしい物語が生まれ、多くの人の共感を集める。しかし、共感の多さが事実を保証するわけではない。大切なのは、すぐに信じることでも、頭から否定することでもない。情報の出どころを確かめ、異なる意見にも耳を傾けながら、自ら考える姿勢を持つことである。冷静な問いを重ねる習慣こそが、混迷する時代を見失わずに歩むための、確かな道しるべとなる。
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Posted by ブクログ
トランプやQアノンなど最近話題の陰謀論についての話。勉強になったのは、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺は人々の熱狂によって暴走したとばかり思っていたけど、どちらかというと陰謀論と恐怖政治が結びつき、人々がその陰謀論(この場合だとユダヤ人に対する陰謀論)を否定すれば殺されるという恐怖感からどんどん無関心になっていったという話。確かに陰謀論だけだと馬鹿げているで終わるけど、それが恐怖政治と結びつくことによって一気に政治に影響を及ぼすというのは考えたことがなかった。トランプも、不正選挙陰謀論に反対した共和党議員には、あえて賛成の議員を同じ選挙区にぶつけるなどしたらしいし、甘く見ていると危険かもしれない。昔は陰謀論は一部の人たちによるもので、情報を取りに行くにも雑誌などが必要な非常にクローズドなものだったけど、現代ではすぐに情報をキャッチでき、また発信できる時代なので陰謀論はどんどん広がりを見せている。そういうことも踏まえて注視していきたい。
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Posted by ブクログ
●陰謀論を、社会構造が生んだ「心の防衛反応」と捉え直し、剥奪感を抱える人々の怒りが政治的に利用される危うさを論じた本。
●陰謀論から悪影響を受けないために、その危うさに自覚的になる。
●本書では、陰謀論の本質を「複雑な世界をシンプルに把握したい」という欲望と、何かが不当に「奪われている」という切実な剥奪感の結合であると分析する。陰謀論に共通しているのは「諸悪の根源を叩けば救われる」という勧善懲悪の物語への依存なのだと指摘する。本書は、以前読んだ『カウンターエリート』と重なる部分が多くあると感じた。両者に共通するのは、既存のエリートへの激しい不信感と、強烈な剥奪感を持つ人々の反発だ。大学が格差の装置と見なされ、メディアが信用を失う中で、陰謀論は「無視された人々」の怒りを組織化する強力な武器(陰謀論政治)へと変貌していく。本書の最も重要なメッセージは、「陰謀論を過小評価してはならない」という点に集約される。著者は、陰謀論の誤った主張自体は厳しく批判すべきとしつつも、「陰謀論的なデモを生み出している参加者たちの剥奪感を放置しておくべきではない」と強く警告する。この根っこの部分、つまり人々がなぜそこまで追い詰められたのかという背景を無視し続けてしまえば、社会の分断は修復不可能なまでに進み、敵対感情が激化するばかりであろう。「正論」で突き放すだけでは解決できない、現代社会の歪みそのものを直視させる一冊。