トマ・ピケティによる「格差の傾向」について、違った角度で捉え直そうとする本。『21世紀の資本』でトマ・ピケティは、資本を持つ者は、労働に依存する者より速く富を増やし、結果として、資本主義は放置すると格差を拡大する構造をもつと指摘した。著者は、ピケティのナラティブを「これまでのナラティブ」とよぶ。富の歴史に関する調査はつねに成長を続けていて、新しい洞察や見直しが絶え間なく登場しているのだと豪語する。
つまり、格差は広がっていない!と。
ー かつては最も富裕な1パーセントが最も貧しい90パーセントの4倍の富を保有していたが、その流れはすっかり変わった。2010年時点で、底辺の90パーセントはトップ1パーセントの2倍の富を保有している。とくに最も貧しい層の実質純資産の成長率は、最富裕層を大きく上回っている。
底辺がグイグイ追い上げてますよ、という内容。ピケティに真っ向から反論し挑むというスタンスどはないが、私はどちらかというとピケティの主張を援護したくなる。ともに統計データを分析したもので、強い主張があるわけではないが。
平たくいうと、ローンを組んで住宅を所有できるようになったし、退職貯蓄も大幅増。どちらも教育的達成の拡大や労働所得の向上、金融の発達によって可能となったものであり、これによって社会の底辺や中間層の財産が引き上げられ、富の不平等の縮小に大きく寄与した、という。
先ず思いつきそうなのは、人口増。上位1%の富豪に対し、残りの人口は過去より今が増えており、密度が増している。底辺軍団の軍隊が増えたので追い上げているのでは、という事。もう一つは、特に先進国での高齢化。データ採取年齢層により、底辺軍団の資産は偏りが出る…だが、極力その辺のノイズは除去した分析だ。
だが、結局基礎には教育の普及があるという事にはなるが、底辺(著者がそういう言い方だったので便宜的に頻用している)が資本ゲームに参加し、住宅所有者というだけではなく株主にもなっているのだから、ピケティのいう「資本を持つ者は、労働に依存する者より速く富を増やす」という、“資本を持つ者“に変容してきているという事情もあるだろう。
本書では富の固定についての“相続の役割“についても考察するが、誰かが生まれながらに富豪であるという事を、我々は許容し続けて良いのかという問題はこれからも付き纏う。競争の働かない富裕層の存在(ビジネスでの成功と関係なく、生まれながらの金持ち)は、身分制度のようなもので、社会に好影響を与えるだろうか。また、傾向はどうあれ格差はあるという点では誰もが認めざるを得ないのが実態で、それをどうこうできるか、どうこうすべきかは哲学の範疇だという気もする。