この本の存在を知ったのは学生時代だった。恩師の文学の講義でたまたま取り上げられていたのだ。
どんな苦労や不幸をも幸せに変える宇野千代の生き方を、先生は惜しみなく称賛していた。
先生の人生にも様々な障害や苦労あり、しかし、それを全く感じさせない人だった。いつも太陽のような天真爛漫な明るさと笑
...続きを読む顔とユーモアで、講義の間中笑いが絶えることはなかった。そんな先生と「生きていく私」は何度も私の心の中でリンクしたものだった。
「生きていく私」は、宇野千代の自叙伝である。
何度もの結婚と離婚、戦争、経営していた会社の倒産。波乱の人生に翻弄されながらもこの本に悲壮感はない。
宇野千代は、どんなに艱難辛苦に見舞われても、自分は苦労したと感じることがなかったという。
幸せとはその時の状況ではなく、心の持ちようなのではないかと彼女は伝えたかったのではないか。
頭ではそうと分かっていても、なかなかこういう思考には辿り着けないものである。
やはり、多くの人にとって不幸は不幸でしかない。過去のトラウマや、今を生きる悲しみに胸の中が濁り、常に息も絶え絶えだ。
しかし、最近この本を読み返してみると、宇野千代が根っから前向きで過去に後悔せず、くよくよしない性格だったとは思えない。最初の夫を捨て、他の男性の元へ走った負い目を、一生引きずって生きていたように思う。
男から捨てられた心の傷は忘れられても、傷つけた痛みから一生逃れられなかったのではないか。彼女はそういう人だと思う。
人は人知れず痛みを引きずりながら生きていく。冥き道から冥き道へ身を落とすこともある。
幸せになるのも一種の才能である。しかしその才能と文学を生み出す才能は本来相いれないものなのではないか。
宇野千代の遺した作品を読むたびに、そんな感慨に浸ってしまうのである。