「距離の単位は短里」、「上陸地は洞海湾」、「不彌国分岐説」――生命科学者である著者が、科学的アプローチで「魏志倭人伝」の著作郎・陳寿が遺した“暗号”を解いた結論は……。幾多の知の巨人たちが挑んできた日本史史上最大のミステリーを完全解読。
高木彬光の『邪馬台国の秘密』を読んで邪馬台国に興味を持つようなった著者。『邪馬台国の秘密』と同じく「地名の類似」よりも「距離と方位」に重点を置いているが、上陸地点については高木説の宗像市神湊よりもさらに東の洞海湾としている。したがって、邪馬台国の位置も大分県の宇佐よりも先に進んだ大分県別府市と導き出せる。しかし邪馬台国と宇佐の関係には注目していて、宇佐神宮とその東南に位置する御許山にはそれぞれ台与と卑弥呼が祀られていると想像する。
さて、本書によると伊都国は瀬戸内海に面する福岡県築上町にあたる。しかし、伊都国には帯方郡の使者が常駐していたというので、築上町では奥にありすぎるように思える。高木説では対抗勢力のいる本州をにらむ位置にある門司を伊都国と比定していたが、どちらかといえばそちらのほうが納得できる。
「魏志倭人伝」の収録された『三国志』は執筆の時点では私撰(個人が編纂した文献)の扱いで、正史(国家が正当と認めた歴史書)とされたのは陳寿の死後300年以上もたった唐の太宗の時代のだった。したがって、陳寿としては権力におもねることなく、歴史家としての良心に従って正確な記述を心がけたはずで、『三国志』は実直で信頼性の高い史書と考えられるという。
また、「奴国」「對海国」「一支国」「伊都国」といった倭人伝に出てくる国名は従来音訳だと解釈されているが、後半には侏儒国、裸国、黒歯国という名前が出てくるので、これらの国名も中国側から見た意味にもとづいて名づけられた可能性を指摘している。