Youtubeの本質を理解している人がどれだけいるだろうか。すでにYoutubeの存在は我々の子供時代のテレビと同義なのだ。
ここにきてYuotubeの進化が目覚ましい。
「そんなの何年も前からじゃないか」という人はまだその本質を理解していないと思う。
Youtuberが「小学生の『将来なりたい職業』ランキング」で話題になったのも何年も前の話。
当然にYoutubeは技術的に日々進化を繰り返している。
しかしながら本書で説いているのは技術の話ではない。
完全に「我々」という「ユーザー側」の話だ。
つまり「利用する側」「動画を投稿する側」の意識が大きく変わったのではないか?ということだ。
厳密に言えば、意識が変わったという話よりは、「世代が進んだ」というべきか。
Youtuberも10年経てば10歳年齢を重ねる。
Youtubeに触れる人々も、10年間で世代ごと10年分上に上がる。
これは当然のことだ。
子供の頃からYoutubeに親しんでいた人は、その当時からYoutubeだけを見て育ち、テレビは全く見ないで育ったのだ。
そんな人たちが10年経って子供ではなく、大人になったという訳だ。
そのYoutuber世代の人たちは、大人になったからと言って急にテレビを見る訳ではない。
もちろん、Youtubeをそのまま見続ける。
そして、何なら「配信する側」に変化していく。
そんな世代がどんどんと年を重ねる訳だから、当然にテレビ視聴は減り続け、Youtube視聴は増え続けるのだ。
かつて娯楽の王様であった「映画」という産業は「テレビ」というイノベーションによって駆逐された。
(しかし現実的には、2022年の今でも映画産業は細々ながら残っている)
これと同じ事が起こるということなのだ。
すでに「テレビ」という産業は「Youtube」に駆逐され始めている。
人々が触れるエンタテインメントは、テレビでなく、確実にYoutubeに変化している。
今の30代以上は子供の頃からテレビを見て、テレビが生活の一部だった時代を知っている。
しかし、今の20代は子供の頃からYoutubeを見て育っている。
Youtuberをカリスマのように感じて育っているのだ。
だから「YouTubeが(かつての)テレビになる」ということなのだ。
2022年夏に報道されたが「前年日本でのYoutube経済効果は3,500億円以上」とのことだ。
ちなみに2020年は2,390億円らしいので、1年間で1,000億円以上も拡大したという計算となる。
「経済効果」ということだから、単純にYoutubeの売上とは言えないだろうが、考えた方としては近いのかもしれない。
単純比較はできないが、東京キー局の1局の売上規模は大体2,000億~3,000億円だ。
もはやテレビ局1局と同等の影響力を持っていると言っても過言ではないような気がする。
さて、ここまできたらテレビ局への問いは1つだ。
「敵対するのか?・協調するのか?どっちだ?」ということ。
個人的には敵対してもここはもはや勝ち目がないように思う。
協調路線を張ることが正しい戦略と思うのだが、話はそんなに単純じゃない。
何を譲って、何を守るのか?
どこを協調し、どこを敵対するのか?
単純な白黒でなく、グレーゾーン(グラデーションと言ってもいい)の階層を非常に細かく見ていく必要があると思うのだ。
Youtube(=Google)はあらゆるデータを解析して、高度なテクノロジーで最適解を導き出す。
今までのような「ざっくりとした視聴率」「ヒットコンテンツを生み出すのは制作者の長年の勘」というのも限界が来ているのは確かだろう。
我々が生き残るためにはYoutubeを使いこなさなければいけない。
もちろんあらゆる視聴情報はYoutube側が持っている。
我々に開示してもらっているのは、その一部だけかもしれない。
そういう不利な状況下でも、我々はYoutubeを逆に分析し、使い倒すつもりで協調路線を組むことが今はよいような気がする。
もちろん異論を持つ人は多いだろうし、そういう意味でも様々な人と議論をしてみたい。
テレビとは何なのか?
そして、Youtubeとは何なのか?
時間はかけたくないが、今はそういう時なのかもしれないと感じた。
(2022/9/3)