「AIの奴隷」になるかのような煽り方だが、書かれている事はそこまで大袈裟ではない。『ゴーストワーク』という著書もあったが、ギグワークとも呼ばれる、AIやテック企業の補完要素として人間の労働市場が生まれている。例えば、音声文字起こしの校正、名刺OCRの誤記訂正、不正画像の検出や削除など。それらは今までみたいに工場に集まって行う作業ではなく、自宅の隙間時間でも可能。これは新時代のブルーワーカーであり、我々は機械の手足になるのだというが、そうかな。
ー 本書では、工場のように見えないかもしれないが、かつての工場に存在していた論理や労働が今なお存続し、さらにはそれが、デジタル技術の普及によって加速している現場を取り上げている。グーグルのカリフォルニア本社で働くスキャン作業員、ドイツやオーストラリアのクラウドワーカーや倉庫作業員、中国やフィリピンのゲーム労働者やコンテンツ・モデレーター、イギリスや香港のデリバルーのドライバーや検索エンジンのレイター(評価者)、ベルリンやナイロビのビデオゲームテスターやウーバーのドライバーなどーそれが今日の「デジタルエ場」の労働者たちなのである。その仕事は反復的でありながらストレスがたまり、退屈でありながら感情面で負担が多く、正式な資格はほとんど必要としないが、しばしば高度な技術と知識が求められ、アルゴリズム・アーキテクチャーに組み込まれていながら(少なくとも今のところは)自動化できていない。
スーパーでレジを打つ人も似たようなものだ。いや、この問題提起に寄せるなら、「セルフレジを監視する人」の方が近いか。焦点に違和感を感じるのは、労働なんてこうした必要な局所に発生するもので、テクノロジーの届かぬ所に昔からあるもの。だから、今が脅威だというなら昔から脅威だと言える。
だが、真に恐れなければいけないのは①ビッグテックの支配力は国家を操作するレベル②人間の投票行動や意思決定にも作用できる③テックのための労働は、将来その労働を不要化するための機械学習の養分となる という点のはずだ。
確かにマルクスの「疎外」を考えれば、つまらぬ仕事に人間の労働が堕ちていくことは悲劇だ。だが本書が煽るそれ以上に悲しむべき構図は、ギグワークは自分たちを支配するパノプティコンを増強するための搾取になっていて、それを変えられないという事だ。
ギグワークに関わらず、我々は資本家によるパノプティコンやピラミッドを作るために日々働いている部分もあるので、今更という意見もあるのだろうか。労働の切り売りがギグであり、人間をより無力化し、しかもそれが露骨であるという点がこれまでと異なる点か。
(経営者の報酬が労働者よりも高額である、という図式も極めて露骨だが、馴染んでしまった)
テックを補完するワーカーだけではなく、プラットフォーム利用者もそこに含まれる。信じるか信じないか…だが。