先日なんの知識もなく、中国の冒険歴史ミステリー『両京十五日(Ⅰ)』を読みました。とてもおもしろかったです。そこで、続編『両京十五日(Ⅱ)』を読む前に、そのころの歴史について学習しました。
この本は、「宋(そう)王朝」から「清(しん)王朝」の前期まで、907年から1796年までの890年間の中国史がまとめてあります。
学習まんがといえども、知らないことを学ぶのは、それなりに時間がかかるものですね。
でも、この本で『両京十五日』は、バッチしですよ〜\(^o^)/
『両京』気分、あげあげです!
以下はわたしの、『両京的』調べ学習?探究?のざっくり成果物です!ご興味があれば、お読みください。
ポイントは、モンゴルのような中央ユーラシアのいろんな勢力と中国の歴代王朝の関係がどうだったかみたい。北側と南側のせめぎ合いです。
いろんな国が建国して、時がたてば滅亡していきます。まるで蛍の明滅のようです。国が滅亡といっても、関係者は大変ですけど、権力者がチェンジするだけみたいに思いました。
『両京十五日』で重要なのが宋です。建国906年です。何が重要か?それは宋の三大発明品です。火薬、羅針盤、木版印刷、明(みん)になるまでにあったんですね。
直接的ではないけれど、大切なポイントが中央ユーラシアのモンゴル帝国、1206年建国です。1271年、国号を「元(げん)」として、大都(北京)に都をおきました。モンゴルの人たちは、宗教とかに寛容だったみたい。
そして、物語に直接関係するのが、「白蓮教徒」を中心とした「紅巾(こうきん)の乱」、1351年です。このとき、のちに明(みん)を建国する「朱元璋(しゅげんしょう)」は23歳、農民だった人で、いろいろやったみたい。
いよいよ「明(みん)」の時代です。1368年建国、朱元璋は「洪武帝(こうぶてい)」となります。都は南京です。
勢いで大都(北京)にも侵攻、でも「元」は戦わず大都を捨ててモンゴル高原に帰っていきました。だから、滅亡はしてない!その後も万里の長城をはさんで、両勢力はやり合います。
洪武帝はいろいろな政策をやりました。そのひとつが、宦官の「鄭和(ていわ)」に命じて、大船団をインド洋に派遣!そこで使った船が、例のバカでかい「宝船(ほうせん)」です。
1398年洪武帝が亡くなり、孫の建文帝が即位します。これに対して、建文帝のおじさん、洪武帝第四子の燕王(えんおう/北京あたりを治める王)の朱棣(しゅてい)が北京で挙兵。これが「靖難(せいなん)の役」です。でてきましたね!
朱棣(しゅてい)は1402年南京を占領、そのとき建文帝は行方不明?に・・・
そして朱棣(しゅてい)は明の第三代皇帝「永楽帝」になります。『両京十五日』で活躍する朱瞻基(しゅせんき)のお祖父ちゃんです。1421年北京に紫禁城を造り、都としますが、1424年に永楽帝は亡くなります。
それからいよいよ、1425年『両京十五日』の日々がはじまっちゃうのです!