フェミニズム/ジェンダー理論家であるジュディス・バトラーとその著作『ジェンダー・トラブル』(1990年)についての解説本。
SNSで面白いと言ってる人がいたので読んでみたが、この分野は全く予備知識がなく、用語や文脈を含めて、読むのにかなり苦労した。(Wikipediaなどを適宜参照しながら読んだ)
なお、著者曰く「非公式ファンブック」とのことで、この分野の入門書という訳ではない。
内容を要約すると、
『ジェンダー・トラブル』は、今ではジェンダー論の古典として認識されている。でも、元々はフェミニズム文脈の本。当時のフェミニズムにおいて「女性」という枠に捉えられていなかったレズビアンをはじめとする性的マイノリティも、きちんと考えないといけないよ、というフェミニズム内での問題提起として書かれた。当時の時代背景や、同時代のフェミニズム論者の主張を織り交ぜつつ、『ジェンダー・トラブル』の成り立ちや、誤解されがちな点を解きほぐしている。
門外漢なので内容の良し悪しを論じることはできないけど、いろんな疑問が湧いてきて、良い意味で刺激があった。あと、著者のバトラーとその思想に対する愛は、確かに感じた。
ただし、文体は基本「である」調なのに、唐突に「〜なんだ。」みたいな口語調の文が挟まれるのには、最後まで慣れなかった。これに関しては、違和感しかなかった。
感想は以上。以下は蛇足。
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この分野の本を今後読むかは分からないけど、その時のために、以下、個人的なメモを残しておく。
●用語がわからない
知識がない中で読み終えた感想としては、用語にピンと来なくて入りづらいというのが、第一印象。本書で扱うフェミニズム自体が欧米の社会運動の輸入なので、日本では社会背景から違っているし、用語は日本に合うようにした方がいいと感じる。
例えば、ブッチ/フェム(男性的なレズビアン/女性的なレズビアン)、ヘテロセクシャル(異性愛者)、ホモフォビア(同性愛嫌悪)など、日本語でも通じる言葉があるのに、わざわざ分かりにくい英語を使ってるのは、一般人の理解のハードルを上げているように思える。
逆に「家父長制」なんかは、日本語訳に失敗していると思う。家父長制という言葉で思い出すのって、サザエさんで波平が食卓の中心に座ってご飯を配膳されたりビールを注がれたり、みたいなイメージになる。でもフェミニズムにおいては、社会全般のあらゆる男性特権を総称する言葉らしい。
うーん、この用語で本当に議論が噛み合うのか?
●クィア理論
あと、用語でいうと「クィア理論」。理論というからには、現状の何かを説明するための体系であり、インプットがあるとアウトプットとして何かしらの予測を出すものだろう。(相対性理論を使うと、天体の軌道を説明/予測できるみたいな。)でも、本書を読んでも、ネットを検索(軽くだけど)しても、クィア理論が何を説明していて、何を予測できるのか、初心者に分かる説明は見つけられなかった。
まあ、自然科学とは違うのかもしれないが、思想なのか理論なのか、もう少し明確にならないものか、と思ってしまう。現時点で判断は保留だけど、何となく理論というより、思想の集合体を表しているように思える。
●ジェンダー論の方向性
本書でも書かれているとおり、フェミニズムの基盤としての「女たち」が多種多様なので括れない、という指摘はそうなのかもしれない。でも、それを推し進めて、あらゆる人の権利を守ろうと手を広げていくと、一人一理論みたいになってしまい、収集つかなくなるように思える。(現にLGBTは後ろにどんどん追加されてるし、ジェンダーレストイレやトランス選手のオリンピック参加みたいなのは、フェミニズムとガッツリぶつかっている)
だから、今後必要になるのは、広がったジェンダー論を集約していく理論なのでは?という気がした。(門外漢の霊感なので、根拠はない。)
●個人的な意見
個人的な認識としては、近代までのあらゆる社会で男性優位(に見える)の構造が形成されてきたのだとしたら、そこには何らかの必然性がある(あった)のだと考えられる。それが現代に至り、社会が豊かになることで必然ではなくなり、誰もが自由に生きられる可能性が開かれてきた。それ自体は良いことだと思う。
ただ、多様性の無限のパターンを社会が包摂しようとすると、莫大なコストとなる。このままジェンダーを広げる方向では、いずれ社会がそれを支えきれなくなる。今、社会で起きている軋轢は、その端緒に過ぎない。
だから、ジェンダーを広げることについて、逆に収集をつける方向の理論が必要とされているのでは?という感じ。(門外漢なので、的外れかも知らんけど。)