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現代のジェンダーとセクシュアリティ研究の方向性を決定づけたとされるジュディス・バトラーの主著『ジェンダー・トラブル』は、その難解さでも名高い。実は、バトラーの理論を理解する鍵は、当時のフェミニストやセクシュアル・マイノリティが置かれていた現場――社会と歴史と思想の文脈にある。クィア理論って何? ブッチ/フェムやドラァグ論はどこから来たの? パフォーマティブってつまりどういうこと? バトラーの主著『ジェンダー・トラブル』を時代ごと理解する。
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Posted by ブクログ
語り口がとても面白くて読みやすいのだけど、やっぱり内容は濃いので読むのに時間がかかった!きっと何度も読み返すと思います。
書き方がまずクィアすぎて、読んでてすごい惹き込まれる。バトラーの解説書は何冊か出ていると思うが、まずはこの本から読むのがオススメだと個人的には感じた。バトラーの理論の解説書というよりは、バトラーがジェンダートラブルなどを執筆する際の前後の社会的文脈も丁寧に説明されており、そこらの周辺知識がある人もな...続きを読むい人も、より詳しく理解することができると思うような書きっぷり。藤高さん、流石です。
ジュディス・バトラーの入門書ということだ。 今や高校の倫理の資料集なんかに出てくるこの思想家、あの難解な思想家の、と思えば、たしかに、それは画期的な本のはず。 ところが、著者は本書をバトラーの代表作「ジェンダー・トラブル」の「ファンブック」だという。 バトラーならまずヘーゲル、そしてデリダあたりを...続きを読む読んでから…という「哲学」の流れの中にバトラーを置こうとしない。 むしろ、当時のフェミニズムの文脈を参照して、それとの関係を丁寧に見ていっているという印象を受けた。 「文脈」として取り上げられるのは、エスター・ニュートン、ボーヴォワール、ウィティグ、クレンショー、スピヴァク、ライリー、ラウレティス。 80年代のアメリカ。 ラディカル・フェミニズムレズビアン・フェミニズムにより、男性支配的な関係を批判しようとするあまり、現実のレズビアンたちを排斥してしまうという状況ができていたという。 そんな中でバトラーが取り組んだのは、性とジェンダー、ジェンダー表現の非連続性(男性・あるいは女性の体に生まれたからといって、その性に同一化するわけでもなく、さらにその性としてふるまうわけでもない)を指摘し、一人一人が日々経験している「多様なジェンダー」への理解可能性を広げていこうとしたことだった、ということだ。 「ジェンダー・トラブル」といえば、「パフォーマティヴィティ」。 筆者は「演技」を例に説明している。 役者は台本に沿って演技する。 台本から全く離れることはできないが、アドリブなど逸脱することは可能だ。 演じている役のアイデンティティなど役者の中にはないが、演技やセリフ、衣装などを通してアイデンティティを作り上げる。 観客はそこに登場人物のアイデンティティを読みこむ。 ジェンダーもこれと同じだという。 ジェンダーは社会規範として働くが、それは台本のようなものだ。 その中で生きている個人は、行為=パフォーマンスを積み重ねてアイデンティティを作り上げていく。 社会規範に完全に規定されるのではないし、かといって自由自在にジェンダーを選んだりできるわけでもない、ということになる。 昔「ジェンダー・トラブル」を読んだとき、今一つよくわからなかったパフォーマティヴィティの話が、初めてわかった(ような気がした)。 後半はインターセクショナリティ(交差性)の話。 一人の人間にはジェンダーだけでなく、人種、社会階層、その他の属性が絡み合っている。 フェミニズムが運動の主体として女性を立ち上げると、例えば人種の問題が周縁化してしまう(もちろん、人種を問題にするとき、逆に女性が周縁化することもある)。 このこと自体はスピヴァクやライリーなどが取り組んできたことだったそうだ(こういうことに目を向けていくところが本書らしいやり方だ)。 「ジェンダー・トラブル」はこうした既存のアイデンティティを批判的に問い直し、不安定化させるのだが、他の形態を開く希望となるという。 ずっと問い続けるしんどさも感じるけれど、こんな前向きなメッセージがあったとは。 昔読んでわからなかったなーと思うだけだった「ジェンダー・トラブル」。 本書はもう一度手に取ってみようかと思わせてくれた。
『ジェンダー・トラブル』は読んでいたが、本書によって一つの入口を見出すことができた。元本は栄養価が高くて、消化不良だったようだ。 本書は冒頭のブッチ・フェム論から凄すぎ。レズビアンだから必ずしもうまく行くわけではない。不連続であり、多様なんだな。 ポストモダンの意義を初めて実感することもできた新...続きを読む書だった。
「ジェンダー」という言葉の意味は、生物学的に見て分かる男女の差である「セックス」に対して、文化的社会的に作られた男女に対する男/女らしさのイメージであるということくらいは知っている人も多かろうと思う。というより、自分は、その程度の認識しかなく、そうした概念設定を乗り越えるための概念として、「セクシュ...続きを読むアリティ」や「クィア」といった言葉が出てきたのだと思っていた。しかし、この本を読んでいると、決してそういうわけではないことが分かる。 この本は、著者自身が、『ジェンダー・トラブル』の非公式ファンブックだと言っている。けれども、その内容は、『ジェンダー・トラブル』の内容を紹介するというよりは、『ジェンダー・トラブル』の周辺に、その発想の萌芽となる理論や出来事、当事者たちによる経験や運動が、すでにたくさんあったかを記述する本だった。「セクシュアリティ」や「クィア」といった概念を出すまでもなく、社会的に男女で二分にされる「ジェンダー」では、捉えきれない性の多様性があることは、すでに多くの先行論者たちによって、気がつかれつつあった。 そのため、この本の最初は、(というより、最後の方まで、)『ジェンダー・トラブル』の本文よりも、その注に着目する。注につけられた多くの先人の流れの中で、一つの形になったのが『ジェンダー・トラブル』だったのだということが、よく分かる本だというのが、この本に対する、まず最初の印象だった。 結果的に、『ジェンダー・トラブル』には、のちのフェミニズムといった思潮や性理論で問題にされる論点が、おおよそ出揃っているような側面があり、バトラー自身、「セクシュアリティ」や「クィア」といった用語を用いていないのにも関わらず、そうした概念の古典としても読めてしまうということが起きる。こうしたよみを、著者は、それ自体「クィアな読み」だとしているが、バトラーの本が、古典となったことには、そのような解釈まで許されるほどの射程があったということだろう。 実際、第四章「『ジェンダーをなくすんじゃなくて増やそう』って話」のところを読むと、バトラーの試みが、ジェンダーは、社会的に構築されたものだからなくしましょう、と言っているわけではなく、社会的に認知されるジェンダーのあり方を、もっと広くしようと言っていると解釈できることが分かる。例えば、レズビアンである「女性」が、アイデンティティとするジェンダーは、「女性」なのか、という風に問いかけられる。 よく、ぼくたちは、レズビアンを指して「女性」を恋愛対象にする「女性」という形で理解する。けれども、そもそも「女性」を恋愛対象にしている「女性」というのは、社会的なジェンダー規範の中で言われている「女性」という言葉で括ってしまっていいものなのか。レズビアンというのは、やはり、レズビアンという一つのジェンダー・アイデンティティなのではないか、という問題が出てくる。 つまり、「男性」「女性」というジェンダーは、「男性」「女性」と言ってしまった時点で、すでに「異性愛の」男性/女性という規範を、含み込んでしまっているということだ。だからこそ、性の多様性をとらえるためには、ジェンダーそのものを男女の二分法で考えるのではなく、もっと多数のジェンダーの存在を認識する必要がある、という話になってくる。 だとすると、のちに出てくる「セクシュアリティ」とか「クィア」とかっていう概念はどうして出てきたのか、という疑問が出てくるように思う。この本は、最後に「クィア理論」について解説してくれる。 「クィア理論」が出てきた背景には、エイズ危機とエイズ・アクティヴィズムがあったというのが、基本的な考え方だ。性的弱者が連帯して、自分たちの存在や権利を訴える運動といえば、フェミニズムや、レズビアン、ゲイといった人たちの運動がそうであるように、同じ性的アイデンティティ、性的指向を持った人たちで連帯することが、普通だった。けれども、エイズ危機に際しては、エイズというものが「ゲイの間で伝染する病」という形で、性的な言説に結びつけられる一方で、現実としては、性的要因とは無関係に多くの人にうつるものだった。そのため、エイズ患者たちは、多様なセクシュアリティを持った人たちの間で、連帯をする必要があり、そうしたあらゆる性のあり方の間で連帯する言葉として彼らが自称したのが、「クィア」だったというわけである。 このように見てくると、バトラーが、ジェンダーというもので拡張しようとしていた性のあり方の実態と、クィアという言葉によって表象しようとしていたものに重なりがあることが分かる。だからこそ、『ジェンダー・トラブル』は、バトラー本人の意図に反して、「クィア理論」の古典としても、後世読まれるようになった。 この文脈の中で、自分の中でまだうまく消化できていないことに、「インターセクショナリティ」がある。この本だと主に第五章「『私たち』って誰!?」で扱われる内容になる。例えば、フェミニズム運動をしている女性たちが、「私たち女性は、抑圧されている」と言うとき、この「私たち」には、誰が含まれていて、誰が含まれていないのか、という問題である。 当然の感覚としては、いや、女性全員でしょ、となりそうだが、実は、そうではないということを言おうとしたのが「インターセクショナリティ」という概念である。なぜなら、差別というのは、女性と男性の間だけではなく、別の要素によって、女性の内部でも起こるものだからだ。例えば、白人女性たちが、自分たちの権利を訴えるとき、そこには、黒人女性は含まれていない、というようにして。 このように、差別というのは、人種や国籍、ジェンダー、経済力、社会的地位など、さまざまな要因からされるものであって、このなかから特定の要素だけを取り出して、単体で差別について論じることはできないことを指摘したのが、「インターセクショナリティ」である。この話は、よく分かる。ただ、自分が性理論を使って、何かを分析したりするときには、まだまだ、使いこなせてない理論だなというのが、正直なところである。 最後に、この本を読んだ第一印象として、『ジェンダー・トラブル』の話が、まず第一に、レズビアンの観点から述べられはじめていることに、最初、驚いてしまった。それこそ、この本を読み進めれば進めるほどに、その驚き自体が、自分のジェンダー観の偏りなのだったと分かるわけだが、ジェンダーの話をするときに、まず最初に「男/女らしさ」の話から入ること自体、世の中の性的アイデンティティに対する偏見が混ざっているのだなとかんがえるようになった。なぜ、ジェンダーの説明は、「男/女らしさ」の話からはじまるのか。それは、まず第一に、目の前の人たちが、男女の区分で社会を見ているのだろうと想定しているからに他ならない。 そうしたわけで、内容面からも、叙述面からも、自分のジェンダー理解の浅さをものすごく突きつけられる本であった。それでいて、文章は非常に易しく書かれているので、入門書として最適だと思う。バトラーや性に関わる理論に興味がある人は、ぜひ。
ジュディス・バトラーの難解な主著『ジェンダー・トラブル』を、社会的背景や思想的文脈とともにわかりやすく解説し、クィア理論やドラァグ論、パフォーマティビティの核心に迫る一冊。 おもしろかった。偏見がなくならないという現実があるからこそ「自己や他者に倫理的に生きることに駆り立てることができる」という一...続きを読む文には痺れた。そうあろうとすることは正直しんどい日もあるけれど、力強く言葉にしてくれることが支えになる。 また、家父長制についてのバトラーの考察には膝を打った。フェミニズムの前に立ちはだかる大きな岩といえば家父長制だが、それについて「家父長制は歴史的に必然でも、絶対的でも、自然なものでもない」という指摘があった。 家父長制を歴史の一部として認め、「家父長制前/後」と分けてしまうことが、むしろその存在を歴史的に必然化してしまう。つまり、解放のための思考が現在ある抑圧を知らず知らずのうちに正当化してしまう危うさについても語られていた。 さらに、連帯と対話の困難さについてもバトラーは論じている。団結の裏にある排除の危険や周縁化される人々へのまなざしも忘れず、フェミニストやリベラルのなかにも環境や意見の相違を受け入れられない人は多いという現実を見ている。SNSでもよく見かけるその構図についてもバトラーは考えを巡らせており、それでもなお「対話を諦めない」という希望を示してくれている。 正直、難しい部分も多かったが、読んでいてバトラーの考えに少しでも触れられたことが嬉しい。もっとバトラーについて知りたいし、途中で挫折する可能性はめちゃめちゃあるけど『ジェンダー・トラブル』も読んでみたい。
バトラーの思想を、その源流ないし周辺からたどる形で丁寧に紐解いていく 『ジェンダー・トラブル』に挑戦したくなる素敵な入門書 「「社会的世界のなかで「不可能な」もの、意味不明なもの、実現不可能なもの、非現実的なもの、おかしなものとみなされながら生きる」人たちにとって、「可能性」は「パン」と同じくらい...続きを読む決定的に重要なものだ。」p.265
バトラーの『ジェンダー・トラブル』のテクストを、背景にある文化や議論も含め丹念に読み解くクィアな入門書 「真っ当な人間」を規定するジェンダー規範、「多様性/クィア」と一括りにされる人々の間の差異なども見つめ直す良書
フェミニズム/ジェンダー理論家であるジュディス・バトラーとその著作『ジェンダー・トラブル』(1990年)についての解説本。 SNSで面白いと言ってる人がいたので読んでみたが、この分野は全く予備知識がなく、用語や文脈を含めて、読むのにかなり苦労した。(Wikipediaなどを適宜参照しながら読んだ) ...続きを読むなお、著者曰く「非公式ファンブック」とのことで、この分野の入門書という訳ではない。 内容を要約すると、 『ジェンダー・トラブル』は、今ではジェンダー論の古典として認識されている。でも、元々はフェミニズム文脈の本。当時のフェミニズムにおいて「女性」という枠に捉えられていなかったレズビアンをはじめとする性的マイノリティも、きちんと考えないといけないよ、というフェミニズム内での問題提起として書かれた。当時の時代背景や、同時代のフェミニズム論者の主張を織り交ぜつつ、『ジェンダー・トラブル』の成り立ちや、誤解されがちな点を解きほぐしている。 門外漢なので内容の良し悪しを論じることはできないけど、いろんな疑問が湧いてきて、良い意味で刺激があった。あと、著者のバトラーとその思想に対する愛は、確かに感じた。 ただし、文体は基本「である」調なのに、唐突に「〜なんだ。」みたいな口語調の文が挟まれるのには、最後まで慣れなかった。これに関しては、違和感しかなかった。 感想は以上。以下は蛇足。 ---------- この分野の本を今後読むかは分からないけど、その時のために、以下、個人的なメモを残しておく。 ●用語がわからない 知識がない中で読み終えた感想としては、用語にピンと来なくて入りづらいというのが、第一印象。本書で扱うフェミニズム自体が欧米の社会運動の輸入なので、日本では社会背景から違っているし、用語は日本に合うようにした方がいいと感じる。 例えば、ブッチ/フェム(男性的なレズビアン/女性的なレズビアン)、ヘテロセクシャル(異性愛者)、ホモフォビア(同性愛嫌悪)など、日本語でも通じる言葉があるのに、わざわざ分かりにくい英語を使ってるのは、一般人の理解のハードルを上げているように思える。 逆に「家父長制」なんかは、日本語訳に失敗していると思う。家父長制という言葉で思い出すのって、サザエさんで波平が食卓の中心に座ってご飯を配膳されたりビールを注がれたり、みたいなイメージになる。でもフェミニズムにおいては、社会全般のあらゆる男性特権を総称する言葉らしい。 うーん、この用語で本当に議論が噛み合うのか? ●クィア理論 あと、用語でいうと「クィア理論」。理論というからには、現状の何かを説明するための体系であり、インプットがあるとアウトプットとして何かしらの予測を出すものだろう。(相対性理論を使うと、天体の軌道を説明/予測できるみたいな。)でも、本書を読んでも、ネットを検索(軽くだけど)しても、クィア理論が何を説明していて、何を予測できるのか、初心者に分かる説明は見つけられなかった。 まあ、自然科学とは違うのかもしれないが、思想なのか理論なのか、もう少し明確にならないものか、と思ってしまう。現時点で判断は保留だけど、何となく理論というより、思想の集合体を表しているように思える。 ●ジェンダー論の方向性 本書でも書かれているとおり、フェミニズムの基盤としての「女たち」が多種多様なので括れない、という指摘はそうなのかもしれない。でも、それを推し進めて、あらゆる人の権利を守ろうと手を広げていくと、一人一理論みたいになってしまい、収集つかなくなるように思える。(現にLGBTは後ろにどんどん追加されてるし、ジェンダーレストイレやトランス選手のオリンピック参加みたいなのは、フェミニズムとガッツリぶつかっている) だから、今後必要になるのは、広がったジェンダー論を集約していく理論なのでは?という気がした。(門外漢の霊感なので、根拠はない。) ●個人的な意見 個人的な認識としては、近代までのあらゆる社会で男性優位(に見える)の構造が形成されてきたのだとしたら、そこには何らかの必然性がある(あった)のだと考えられる。それが現代に至り、社会が豊かになることで必然ではなくなり、誰もが自由に生きられる可能性が開かれてきた。それ自体は良いことだと思う。 ただ、多様性の無限のパターンを社会が包摂しようとすると、莫大なコストとなる。このままジェンダーを広げる方向では、いずれ社会がそれを支えきれなくなる。今、社会で起きている軋轢は、その端緒に過ぎない。 だから、ジェンダーを広げることについて、逆に収集をつける方向の理論が必要とされているのでは?という感じ。(門外漢なので、的外れかも知らんけど。)
イベントにも行ったし注目してた一冊。 フーコーやヘーゲルといった男性哲学者を援用しての解説書ではなく、あくまでも『ジェンダー・トラブル』と同時代に生きた人々が置かれていた社会的環境・歴史に重きを置いて書いていた印象。 ところどころラップっぽいが、この文体個人的にはバトラーの魅力を損なわせる感じがして...続きを読む好みではなかった。 パロディ概念があらゆるジェンダーに適用され、自分のジェンダーを真正に生きる人々からは批判されてしまうことや、『ジェンダー・トラブル』は二元体の超越ではなく、二元論が意味をなさなくなるくらいまでジェンダーを増殖させ、撹乱することを目的としていることとかは、パッと読んだら勘違いすることなのでいい確認になった。また理解不能な存在が抑圧されるのでなく非現実化されることなんかも、フーコーとは少し違った形で抑圧理論批判をしていてふむふむと。 とにかくトラブルを共鳴させることなんだけど、そこでのお作法がこれからの左翼の課題かなとも思います。
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