第1章 数字の歴史
第2章 数字と体
1 人は数字の動物で、自覚しているかどうかに関係なく、数字の影響を受けるのを避けることはできない。だから、自分のためにも他人のためにも、数字には気をつけること。
2 数字に本能的に反応する前に、一瞬立ち止まって考えること。その数字のほんとうの意味は何だろうか??(今の世の中では、生き残り、その日食べるもの、または友か敵かの問題であることはほとんどない)
3 魔法の境界など、ほんとうは存在しないと自覚すること。39と40の差は、380と39 の差、3と34の差と、まったく同じだ。
4 自分の年齢、強さ、また自分が何者かを、数字に決めさせないこと――自由にさせれば、数字が決めてしまう。自分の数字は自分で決めること。
5 次にバスケットボールをすることがあれば、できるだけ小さい数字の背番号を選ぶこと。そうすれば敵チームの選手は本能的に少しだけ左に寄ってから、右にドリブルをしかけてくるだろう。きっと効果がある。
第3章 数字とセルフイメージ
では、同僚の収入がどれくらいかを知ったとき、その人の意欲と充足感に何が起きると思うだろうか? そのような人たちは、人生における新しい不満の種を見つけてしまう。いつだって、不釣り合いだと思えるほど高い収入を得ている同僚がひとりくらいはいるものだ。イギリスの5000人の被雇用者を対象とした調査では、同僚の収入が自分に比べて高ければ高いほど、自分は不幸だと思う度合いが高まることがわかった。また、高名なハーバード大学に在籍する学生とスタッフを対象とした別の調査では、同僚の収入が25万ドルで自分が10万ドルの収入を得るより、同僚の収入が2万5000ドルで自分が5万ドルの収入を得るほうがよいと言った回答者が半数にのぼった。自分の収入が最低賃金の半分に減るほうがよいと考えたのには、ほんとうに驚かされる。
1 数字とお金にはたくさんの共通点があるという事実に注意すること。数字の影響を受けて、人はより計算高く、自己中心的になり、自分のことばかりに夢中になってしまう場合がある。誰もそんなことを望んではいないだろう。
2 低い数字と高い数字は、両方とも自分のセルフイメージを崩壊させる可能性があるのを忘れないこと。低い数字は自信を失わせる可能性があり、高い数字は自己陶酔を引き起こす可能性がある。
3 数字は、特にソーシャルメディアでは、依存性をもつ場合がある。ときどき解毒するのを忘れないこと。
4 経験は主観的なものだと肝に銘じること。2つのマラソン、2つの休暇、2つの食事を、比較することはできない。
5 自分の人格を数字に支配させてはいけない。自分を、あるべき姿、なりたい姿から遠ざけるような種類の数字を、画面から消去すること。
第4章 数字と実績
そうなる理由を考えてみよう。計測していると、私たちは自分が計測していることに、 より大きな注意を向けるようになる。歩数を数えているなら歩数が気になる。ページ数を数えているなら何ページ読んだかを確かめる。そして自分ではもっと遠くまで、あるいはもっと速く歩きたいと意識しなくても、調査の結果からは計測によって成績があがることがわかっている。ジョギング中に心拍数、 ジョギング中に心拍数、速度、距離を計測していると、最初にジョギングをしたいと思った理由よりも、少しずつそれらの数字に注目するようになっていく。計測値および外発的動機付けに注目が移っていくために、かつては前向きな楽しい活動としてはじめたのに、楽しさより役に立つからという気持ちが強まる。新鮮な空気を吸い、好きな音楽を聴きながら自然を体で感じるのが好きでジョギングをはじめた人も、フィットピットやストラバにつながったとたん、その内発的動機付けは少しずつ実績、効果、外発的動機付けに置き換わってしまう。
計測と定量化がもつその他の――何と言うのが正しいかはわからないが、あえて言うなら――「予期せぬ副作用」をいくつか挙げていくのは、それほど難しいことではない。自分自身を自主的に計測して監視する場合にも、他者によって定量化され計測される場合にも、同じように当てはまる。まずエトキンは簡潔に、自己定量化は実績を短期間だけ伸ばす場合があるとしても、計測によってやる気と意志がまたたく間に薄れていく可能性があることを指摘した。またもうひとつの明確な副作用として、過度に自己執着的になり、場合によっては自己陶酔と言えるほどになる場合もある。この章の冒頭に登場したティモシー・フェリスは、その好例だろう。
3つ目の予期せぬ副作用は、計測が可能なものに自分の行動を合わせてしまうことだ。たとえば、自分がもっているアプリが特定のエクササイズについてはカロリーや歩数をカウントできないと、ただそのエクササイズをやらずにすませてしまう。さもなければ、計算の結果が間違ったものや不完全なものになるだろう。これは企業や組織ではよく知られた問題で、中でも報酬制度と主要指標についてはそう言える。従業員は自主的に、計測されて報酬の対象となるものを優先させて行動し、その他の、たいていの場合はとても重要な任務については、優先順位を低くしてしまう。関連する副作用として、計測は不正行為と自己欺瞞を引き起こすこともある。たとえば、アプリでカウントされる歩数を増やすためにスマートフォンを手で振ったり、カロリーを計算するときにケチャップを野菜としてカウントしたりと、あらゆる場面が考えられるだろう。ケチャップはどっちみち、ほとんどトマトでできているというわけだ。
計測によるとても一般的な、また別の副作用は、数字の間違いや不正確さを疑うべきときにも数字に頼ってしまうことだ。その結果、実績を伸ばすはずのものが、まったく反対になる。たとえば、使用している睡眠アプリの数値が睡眠不足を示していると、疲労感が増し、日中の気分が悪化してしまう―――アプリの数値に誤りがあり、実際にはぐっすり眠っていたとしても関係ない。
計測が引き起こす可能性のある意図せざる副作用として、自分が選んで計測している点について、結果を少しでもよくしようと夢中になりすぎることがあげられる。もし自分の体重とカロリー摂取量をチェックしているなら、過剰なダイエットのリスクがあるだけでなく、人生の喜びがカロリーとともに消えていくという残念な可能性もある。
では、こうしたことすべてから、どんな数字ワクチンのアドバイスを見出すことができるだろうか?
1 一流アスリート、または健康上の理由がある場合を除いて、ときには計測機器を手放すこと。
2 朝食では内発的動機付けを外発的動機付けより優先させるのを忘れないこと。瘦せるためにニンジンを食べると、おいしさが半減する。
3 計測することによって意欲が低下し、自己欺瞞に陥ることがある。自分の気持ちに正直になること。
4 ヒューゴ・キャンポスと除細動器の話を忘れないこと。自分の数字は自分自身のものだ。見返りとして何を得るかを知らないまま、フィットビット、グーグル、 その他の企業に数字を渡さないこと。
5 数字と計測には予期しない大きな副作用があるのを忘れないこと。
第5章 数字と経験
それが数字の働きだからだ。数字はものごとを要約し、切り詰める。数字は繊細で豊かなものすべてを、単純で正確なものに変える。経験は多様だが、数字は正確だ(数字には独自のニューロンまである)。
私たちの経験は山ほどの異なる印象から成り立ち、印象には複数の感覚が関わっている ――私たちは、感じて、聞いて、見て、嗅いで、味わう。こうしたすべての印象の組み合わせが、経験をユニークなものにするわけだ。だからこそ、経験はすばらしいものになる。 ところがそのために、経験を解釈して説明するのが、自分自身に対してさえ難しくなってしまうこともある。そのうえ私たちの経験は、想像できるあらゆるものに影響される可能性がある。自分で経験するはずだと思っていることにかぎらない。
さらに悪いことに、数字は私たちの幸福な経験まで小さくまとめてしまう。ミカエルが1000人の人たちに頼んで数週間にわたって仕事、自由時間、健康、人間関係といった暮らしのさまざまな領域について感じた幸福の度合いを採点してもらったとき、そのことを発見した。2週目、3週目と時間が過ぎるにつれて、参加者が暮らしのすべての領域で感じた幸福の度合いは、平均して下がっていく。
数字はあらゆる経験の中から豊かでユニークな部分を奪い去り、どれもが正確で、比較できるものだと思わせてしまう。私たちは個々の経験を比較すればするほど(そのたびに、 ほとんどの場合はまったく無意識のうちに採点すると)、どの経験も特別なものとして目立つことが難しくなり、高得点が減っていく。そんなふうに私たちの基準点は少しずつ移動していき、1年前にはたしか4だった楽しい経験も、今では3にしかならない。そして数字は正確だから、数字の3は明らかに数字の4よりも低く、楽しい経験も最後にはちっとも楽しく感じられなくなってしまうこともある。
好奇心に導かれて自分自身の経験を楽しんできた人も、数字に出会うとプロのご意見番へと変身してしまう。正確な数字という形式で真実を手にして、いつでも、どんなものでも、比較できるようになったからだ。そしてあらゆるものの採点を頼まれるたびに、数字が次から次へと別の経験に忍び込んでいって、プロのご意見番の勢力範囲も拡大していく。 何しろ、ホテルや映画だけでなく、レストラン、人間ドック、講義(傷ついた講師として、 その特別なトラウマを後で取り上げる)からトイレまで、とにかくなんでも採点するのが今の風潮になっている。
1 数字は人々の経験を縮小してしまう。数字は、よくても自分の経験のいくつかの側面と特徴の平均値でしかない(悪くすればそれ以下だ)と肝に銘じておくこと。
2 経験に数字をあてはめれば、比較できるようになるわけではない。すべての経験は、この世でひとつだけのものだ。
3 数字は、自分自身のものでも他人のものでも、経験の前でも後でも、その経験の輝きを薄れさせる場合があるのを忘れないこと。
4 誰でも何かを採点をしているうちに、だんだん気難しくなっていく。数字を使って採点すればするほど、つける点数が下がっていく。だから、あらゆるもの、あらゆる人を格付けすることには注意が必要だ。
5 数字には言葉より多くの情報が含まれているわけではなく、数字の情報は言葉より少ない。数字によって他の情報を置き換えてはいけない。むしろ、数字を解釈するために他の情報を用いること。
残念ながら、最後にもうひとつ、おまけのヒントを追加するだけの理由がある。
6 数字は、苦しみの経験に影響を与えるだけでなく、パンデミック全体をさらに悪化させてしまう可能性もある。抗ウイルスワクチンを接種したのと同じように、 文字通り数字に対抗するワクチンを自ら取り入れること。
第6章 数字と人間関係
1 数字と意図を区別すること。それらは同じものではない。手にする評価(また自分自身に割り当てられる評価)は、相手が実際にそう思っていることを意味するとはかぎらない。
2 数字と質も区別すること。友達の数が少ないからといって、価値が劣るわけではない。
3 自分の人間関係は、現在それに数字がついているというだけで実績になっているわけではないのを忘れないこと。
4 自分で意図する、しないにかかわらず、数字による評価を用いて他の人をがんじがらめにする、または自分ががんじがらめになる可能性があると意識すること。
5 そして、どうか、どうか、自分を担当している教授を採点しないでいただきたい。
第7章 通貨としての数字
このように、私たちのモラルコンパス(道徳的指針)を混乱させるのはお金だけではなく、他の種類の数字も同じ効果を及ぼす。数字は、どんなことに関するものでも構わない。ただの数字や数学の問題でもいい。香港とアメリカの研究者が一連の実験を通して、人は数字を扱う問題に取り組むと確実に、より利己的で、不正直で、自己中心的になることを発見している。実験は単純なものだ。まず参加者を無作為に2つのグループに分け、一方のグループには文章に関する問題を、もう一方のグループには数字を扱う問題を解いてもらう。そして問題を解き終えたら、いわゆる「独裁者ゲーム」で遊んでもらう―――嘘をつくことや、相手より多くのお金を自分の手元に残すことができるゲームだ。すると、数字を扱う問題を解いたばかりの人は一貫して、より多くの嘘をつき、自分のためにより多くのお金を残した。悲しいかな、ほんとうの話だ。
これらの実験はまた、私たち人間が数字と言葉を異なるものとして扱っている事実も明らかにしている。数字は通貨であり、私たちはこれを通して自分自身への注目度を高め、 少しずつ人間味を失い、感情を薄れさせる――数字は私たちのモラルコンパスを狂わせてしまう力をもっている。
1 数字をお金と交換する前に、よく考えること。グーグルやアップルなどの企業が、 自分と自分の家族、そして自分の健康について、すべてを把握している状態がほんとうに望ましいのか、じっくり考えてほしい。
2 自分がもっている数字という財産を、健康、懐具合、ソーシャルメディアのどれに関するものでも、毎日毎日チェックするのをやめること。そんなことをすればストレスが増すだけでなく、自分のことばかりに夢中になって、モラルを失っていく。
3 自分が一番好きなワインは自分で見つけること。アプリに頼ってはいけない。少なくとも、それを決めるのにDNAを提供しなければならないアプリには、絶対に頼らないこと。
4 ソーシャルメディア上の数字が、自分にとって内容よりも重要になったら、そのアプリを削除すること。
5 20歳を超えている読者は、チャーリー・ダミリオのTikTok動画を真似た動画を投稿しないこと。ただばかげて見えるだけだ。それに、そんなことをしても自分が裕福になれるわけではない。
第8章 数字と真実
1 数のパラドックスを忘れないこと。数字がただ検証可能だからといって、検証されているとはかぎらない。
2 数字が真実であっても、まぎれもない真実にはなり得ない。
3 数字には気をつけること。数字は人々の共感を減らし、最悪の場合は重要なメッセージを台無しにしてしまうこともある。
4 数字は頭にしっかりアンカーを下ろして固定され、自分ではそれが無関係または実際に間違えているとわかっていても影響を受けてしまうことがあるので、注意すること。
5 メッセージを取り囲む数字は、その内容に含まれている真実については何も語っていないのを忘れないこと。たくさんの人がそれを見たから、あるいは伝えている人にたくさんのフォロワーがいるからといって、それがより重要だ、あるいは正確だということにはならない。
第9章 数字と社会
1 数字に対して批判的になること。数字は誤っていることも、誤解を招くこともある。
2 アンカリングに注目すること。人々の頭にこびりついてその決心に影響を与える数字は、懲役年数を長引かせ、住宅価格を押し上げる。
3 動機付けられた推論と確認のエラーを忘れないこと。誰もが数字とつながりを、 自分の観点、値、目標に基づいて主観的に解釈する。
4 数字は比較と競争を招く。暮らしと仕事の中で、自分と他者を比べて測定したいと思う領域を注意深く考えること。また自分自身を誰と、または何と比較したいかについても、よく考えること。
5 12月には駐車する場所に注意すること。
第10章 数字と自分
1 数字は永久不変ではない。長い時間をかけて比較し、その重要性は変化するという事実を受け入れること。
2 数字は普遍的なものではない。同じように見えても、国や文化や人によって異なる意味をもっていたり、異なる価値をもっていたりする。
3 数字はただ自動的に正しくなるものではないと、肝に銘じること。人も機械も、 意識的にまたは無意識に、誤って数えることができる。
4 数字は正しくても、正確だとはかぎらない。ほとんどすべての数字は何らかの方法で四捨五入されている。自分の思考が数字のせいで誤って制限されないよう、 気をつけること。
5 これがたぶん、これまでにあげてきたすべての中で最も重要なポイントになる ――――数字はほとんどいつも、ある意味で主観的なものだ。数字は(そして自分自身は!)、自分がその数字から作り出すものになる。数字をいつも注意して用い、いつも自分自身の判断に従うこと。