自分と向き合い、自らを掘り下げること。
人と向き合い、ドキュメンタリーに編み上げること。
全く違うようでいて、根は同じと感じた。
仕事でインタビュー取材に携わることになったこともあって大変参考になった。
著者は大島渚さんのお子さん。
自分と同い年だったのか。
大島渚さんのご子息で、あの時代のフジテレビだったらまぁやっかまれたり、コネ入社と陰で馬鹿にされたり大変だったろうなぁと思う。
そうしたことも、振り返って冷静に文字にできるくらい、時間が経ったんだな、とも思った。
少し前、フジの同年代の社員さんと会ったとき、「こんなことになるとは夢にも思わなかった」と言っていたのを聞いて、30年という月日は思いもかけない変化をもたらす年月なんだな、と改めて思った。
あの輝いていたフジがこんなふうになってしまうとは。
「命じられたわけではなく、自分で選んでやっている。嫌なら断ればいい」「仕事にははっきりと値段がつく」この2点がフリーの良さで、自分には合っていると感じました。p81
「どう切り取るかは」は、ディレクターによる被写体の解釈です。ディレクターは取材者であると同時に表現者でもあります。(中略)取材が始まる前もしくは取材の初期に、自分なりのテーマを決めて撮影に臨むことが重要です。p88
「右手に花束、左手にナイフ」
相手に敬意をもって接することはもちろんですが、大切なのは、その人のどういう部分に興味をいだいているか、取材者自身の考えをきちんと伝えることだと思っています。(中略)「この人にだったらどこを撮られ、どう表現されても構わない」とまでなれば、最も良い状態と言えるでしょう。そうした関係を築いた上で、今度はナイフです。これは、批評性と言い換えてもいいと思います。(中略)やはり現場で、自らの言葉で、その人への疑問点をしっかりぶつけることです。p89