アフリカの国々から、地中海を渡りヨーロッパに迫害を逃れる人々がいる。
その粗末で小さな避難船に、許容を遥かに超える人々が乗船しているため、一度転覆でもしようものなら、被害は甚大だ。
『顔のない遭難者たら』の著者であるクリスティーナ・カッターネオは、地中海に沈んだ移民の遺体に「名前」を与え、「曖昧な
...続きを読む喪失」に苦しむ人びとを助けるために奔走しているイタリアの法医学者。
法医学者は「名もなき死者」の身元を、指紋鑑定、遺伝学、歯科医学の3つを主たる手段として探っていく。
また著者が勤務する「ラバノフ」には、人類学者や考古学者も籍を置き、それを遺体の同定に役立てている。
本書では、犠牲者が多かった2013年10月と2015年4月の2つの遭難事故に焦点が当てられているが、悲劇はそれだけではないことを理解しておく必要がある。
国際移住機構の報告によれば、2000年から2016年までに、少なくとも22,400人が地中海で没しているとのことだ。地中海は、移民・難民にとっての「集団墓地」と言われながらも、未だに決死の航海は跡をたたない。
欧州移住に成功した人々が、残された家族をアフリカから呼ぶケースがある。そして突然難破したと知らせを受ける。しかし、その目で遺体を見たわけではない。その手で遺体に触れたわけではない。
我々がその当事者であったなら、自分にとってほかの誰よりも大切な人がもうこの世にはいないという事実を、本当に受け入れられるだろうか。海に沈んだ遺体が回収され、損傷が激しいのであれば科学的な同定(身元特定)が行われ、それがほんとうに愛する家族の亡骸なのだと判明するまで、心から納得することはできないのではないだろうか。
「確かさが得られないこと」の苦しみを、今日の心理学は「曖昧な喪光」と呼び、鬱やアルコール依存を招きかねない危うい心理状態として注意を促しており、現在の欧州には、この「曖味な喪失」に悩まされる移民が、数万、数十万の規模で存在しているとのことだ。
人間が死しても、それに敬意を払い、遺された遺族への配慮も怠らない。素晴らしいと言う言葉では言い表せない。
またその一方で、ロシアによるウクライナの侵略と虐殺、イスラエルのパレスチナ人への過度とも言える報復、ミャンマー軍事政権の民主運動家殺害など、世界の中では命の重さが、こうも違うのかと思わせることが続いている。
深く考えさせられた。
ちなみに、移民・難民の収容所があるランペドゥーザという小さな島の島民には、移民・難民の悲惨な現実が見えていないらしい。
敢えて見えないようにしているようだ。
しかし、この島の人たちを非難することは、出来ないのかもしれない。
それも複雑で深い問題だ。