桝井迪夫のレビュー一覧

  • 完訳 カンタベリー物語 上

    Posted by ブクログ

    イギリス文学、否、英語という言語そのものの黎明期に燦然と聳え立つ巨塔。美しいファンタジーからの下ネタ、という冒頭のコンボで騙されているうちに読み終わ……らないです。終盤にいくにつれて、これ何のペナルティですかっていう気分になります。読みきった時の爽快感が忘れられません。

    0
    2013年07月02日
  • 完訳 カンタベリー物語 上

    Posted by ブクログ

    すばらしい作品です。
    学校の授業の試験で必要なため、読みましたが、
    自分は中でも「騎士の物語」が一番好きです^o^
    やはりああいう終わり方の話が自分的には好きです。
    つづけて、中・下巻も読んでいこうと思います。

    0
    2009年10月04日
  • 完訳 カンタベリー物語 下

    Posted by ブクログ

    作中にキリストから見放されたとしてカインの名があげられていました
    当時のイギリスではキリストと神が同一だったのか、キリストは預言者として時代を超えた存在だったのか、どっちだろう?
    時代的に前者かな?

    0
    2022年05月31日
  • 完訳 カンタベリー物語 下

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    下巻では修道僧の物語、尼僧付きの僧の物語、第二の尼僧の物語、錬金術師の徒弟の話、賄い方の話、教区司祭の話、の計6話を収録。

    どちらもルネサンスを代表する文学作品といえるデカメロンとカンタベリー物語。前者は人間賛歌の色調を常に感じる作品でしたが、後者カンタベリー物語は、上巻こそデカメロンに似ていた雰囲気ですが、最後の下では宗教関係者の話が多く、トリは教区司祭の話で締めくくられました。この点は著者チョーサーのキリスト教的価値観が強く反映されているのかなと感じました。人は罪を避けて生きるべき、と。

    なお、教区司祭の話は、主に7つの大罪(高慢、妬み、怒り、怠惰、貪欲、貪食、姦淫)についての説教について延々と133ページに渡り語られるものです。…大罪のラインナップを見ると、つくづく人間の本性は変わらぬものだなあと感じます。例えば姦淫なんぞは著者の時代である600年も前からやめとけと言われているのに、今でもそれで叩かれる人が多いわけです。こうした『罪』には各々に潜む蜜の味があるのかもしれませんね。

    で、この話はなかなかに退屈なのですが(説教ですからね)、私は我が事として反省しながら読みました。キリスト者ではありませんが、上記のような『罪』が心を乱し、判断を狂わせることがあると感じます。やはり業務遂行をフラットな心で行うためには(不動心が欲しい!)、こうした『罪』は避ける方がよろしいのでしょう。特に私はすぐにキレるし、自分より処遇のいいひとにはルサンチマンをメラメラと燃やしてしまいます。反省です。

    ・・・
    最後に訳者の桝井氏の解説でチョーサーの意図が語られており、それがなかなかに興味を引きました。曰く、巡礼行というフレームの中に多くの階層の人物とそれにふさわしい話を用意した一大集成を企図していたのではという旨です。ちょっと民俗学チックですね。

    こうしてみると、キリスト教的価値観が色濃いながらもやはりルネスサンスの息吹を感じないわけにはいきません。このような神へのまなざしから人間へのまなざしへの転換が見え隠れしてくるところに、私は非常な興味を感じた次第です。

    0
    2022年05月02日
  • 完訳 カンタベリー物語 上

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    まずは高貴で気高い「騎士」の説明から入る。彼は騎士道を愛し、従者も1人だけ連れていた。次に「女子修道院長」。微笑む姿は誠に無邪気で恥ずかしそう。食事作法に良く熟達しており、スープを一滴たりともこぼさない見のこなしに加え、フランス語を巧みに操った。彼女は秘書役の修道女1人と司祭3人を連れていた

    →この時点で7人いる

    次に狩りが好きな「修道士」。他の修道士達と違って、聖アウグストゥスの教義に則れば仕事にあくせくして働かなければならないことに反感を持っており、狩りにご乱心なのだ。

    次に「托鉢修道士」。奔放で陽気な、大変位のある重要人物。大変優しく懺悔を聞いてやり、快く赦免を行なっ
    た。名をヒューバードと言った。

    次に「豪商」。売り買いや金策に対しては堂々として威厳があった。

    次に「オックスフォードの神学生」。高価な服やバイオリンを揃えるよりも、アリストテレスの哲学書を20冊買
    った方がマシだというほど真面目な神学生だった。自分が勉強できるように支えてくれる周りの人々に常に感謝の意を忘れなかった。

    次に「高等法院弁護士」。セント・ポール大聖堂によく出かけたことがある。ウィリアム征服王の時代以来生じたあらゆる判例や判決をきっちり対処しており、かなり忙しそうだった。

    次に「大地主」。この高等法院弁護士の連れで、楽しく生きることが彼のモットーでエピクロスの申し子だった。

    →この時点で13人いる

    次に「小間物商」「大工」「織物師」「染物師」「綴織師」もいた。彼らは同じ格式高いギルドのメンバーだったが、「料理人」も同伴させていた。

    →この時点で19人いる

    次に「船長」。デヴォン州から来ているようで、はるばるやってきたようだ。

    次に「医学博士」。医学と天文学に精通しており、極めて健康的な生活を好んだが、聖書の勉強はほんの少しだけだった。

    次に「女房」。バースから来た耳が遠く、かつて夫が5人もいたというすごいおばさん。しかし本当にすごいのは
    ここからで、彼女はエルサレムに3度、ローマにも言ったことがあり、ブローニュにも、サンチャゴ・デ・コンポ
    ステラにも、ケルンにも行ったことがあった。

    次に「主任司祭」。信仰心に厚く、善行に富んでいたし、思いやりがあってすごく勤勉だった。自分が民の代表として正しい行いをすることで民の手本となろうとする素晴らしい人物だった。

    →この時点で23人

    最後に「荘園管理人」「粉ひき屋」「教会裁判所召喚史」「免償説教家」「食料仕入れ係」と「私自身(チョーサー)」がいた

    →合計29人

    これは物語の序章であるが、ここでチョーサーはこう付け加える

    「私がこの語りにおいて彼らの言動を率直にそのまま述べたとしても無礼なやつだと思わないでください。
    なぜなら、皆さんは私と同様によくご存知の通り、誰でも人のいう通りに言わねばならないという責任がある場
    合、できるだけその通りに1語1語繰り返さねばならないから。」

    0
    2022年02月21日
  • 完訳 カンタベリー物語 下

    Posted by ブクログ

    中世イギリスの詩人ジェフリー・チョーサー(1343?-1400)による物語群、1380年代末頃から晩年にかけて執筆か、未完。

    チョーサーはロンドンの裕福な市民階級出身で、宮廷に仕えながら外交官として大陸へも渡っている。そこで、ダンテ、ボッカチオ、ペトラルカなど当時のイタリア・ルネサンスの詩人たちの文芸に触れ、その影響をイギリスにもたらすことになる。同じ時期にダンテの『神曲』(1321年完成)が当時の知識層の共通語であったラテン語ではなくトスカーナ地方の世俗語で書かれたことでイタリア語形成の基盤となったように、チョーサーが『カンタベリー物語』を当時のイギリスの教養語であったフランス語やラテン語ではなく市民的なロンドンの英語で書いたことがそれ以後の英語による文芸の芸術的な水準を高めることに貢献したと云われる。同時代のこうした文化史的並行関係は興味深い。

    □

    物語の構成は、カンタベリー大聖堂への巡礼中にたまたま同宿した様々な身分や職業の者たちが旅をしながら一人ずつ物語を披露していくというもので、ボッカチオ『デカメロン』(1353年)と同じ「枠物語」の構造をもつ。

    登場するのは、騎士、聖職者、知識層、ブルジョア、下層市民など、上下あらゆる階層に渡る。14世紀後半は、中世的な騎士道精神の文化から近代的なブルジョア的文化へと転換していく時期であり、ロンドンは新興市民階級によって商工業都市として発展していった。チョーサーが『カンタベリー物語』で当時のあらゆる社会階層の人間に話をさせる構成をとった背景には、旧来の騎士階級とは異なる新興の市民階級の存在感が社会において増してきたという事情があるのかもしれない。

    そこで語られる物語は、騎士道物語、説教、寓話、恋愛悲劇、ファブリオ(下世話話・滑稽譚・艶笑譚)など、話者の身分や教養の程度に「ふさわしい」物語が割り当てられているという。この「ふさわしさ」という美意識は、中世の身分制秩序が同時代人の意識に反映したものであろうか。

    □

    読んでいて面白かったのは「粉屋の話」「家扶の話」「召喚吏の話」で、いづれも下品かつ卑猥なファブリオにあたる。特に「粉屋の話」「家扶の話」は他の物語に比べてテンポもよく、そのドタバタぶりが楽しめた。「召喚吏の話」は、老人による子どものような抵抗が笑える。どの話にも、庶民の図太い生命力から来る何事にも構わぬ突き抜けるようなおかしさがある。

    「手短に申しますと、二人は一つになっちまったのです」

    これら"下衆な"話が、"上品で教訓的な"話と同列なものとして並べられているということ自体が痛快だ。物語の配列が云わば"民主化"されているとでもいおうか。ファブリオのような社会的劣位者の憤懣や遣る瀬無さを笑いに転化して紛らわす憂さ晴らしの文化はこの時代に始まったものではないだろうが、新興階級出身の宮廷人であるチョーサーが敢えて騎士階級や聖職者など支配階級の物語と同列にしているところをみると、これは(先ほどとは逆に)封建的な身分制秩序が少なくとも同時代人の意識の中では揺らぎつつあったことの徴候ではないかと想像してしまう。

    さらに「バースの女房の話の序」でバースの女房が語る性的奔放さには、中世的な禁欲から解き放たれて現世的な快楽を味わい尽してやろうとする高笑いが響いているように感じられる。イタリア・ルネサンスの「世界と人間の発見」という時代精神が、ここにも現れていると云えないか。

    「いったい何の目的で生殖器が造られているのかわたしに話して下さらないこと?」

    「お前さんはわたしをお前の金櫃の中に閉じ込めておきたいんだろうよ!・・・わたしたちは自分の行く所を疑い深く見張っているような男は愛さないのです。わたしたちは自由に解き放たれていたいと思うんです」

    「いつもわたしはわたしの欲望に従っていました」

    しかし残念ながら、その他の物語は退屈で説教臭いものが多く、読んでいて楽しくない。特に、女は男の奴隷であり所有物であることを前提としていたりするものなど、フェミニズムによる文化批判を経験している現代の感覚からするとまともに読めない代物も含まれる。それだけフェミニズムが現代人の意識に対して成し遂げてきたこと(いまも成し遂げつつあること)の大きさを感じることができるとも云える。以下の引用は上のバースの女房の引用と同じ者が書いた科白とは思えないが、チョーサーの中では女性や結婚に対してどのような意識だったのか。

    「あなたはわたしたちの領主です。あなたご自身のものに対してあなたのお望みになるようになさいませ。わたしから忠告などお求めなさいますな。というのも、わたしが初めてあなたのもとに参りましたときに、家にわたしの衣類を全部残してきましたようにわたしの意志も、わたしの自由もすべて残して参りました。・・・。わたしはあなたのご意志に従うだけでございます」

    「あなたのもとにわたしは、疑いもなく、忠誠と裸のままの身体と処女とだけを持って参りました」

    □

    詩人チョーサーは、当時の教養に則って、その文章には修辞技法を凝らしている。神やキリストやその他への呼びかけ、神やキリストやその他を持ち出してする誓言、何を如何なるニュアンスで喩えようとしているのかがよく分らなくなってしまうほどに冗長な比喩、修飾句の執拗な並列、神話・聖書・賢者の言葉からの引用の羅列などなど。これらは、文学史や修辞学に興味のない現代の読者にとっては殆ど無意味にしか機能していないのではないか。徒に繰り出される修飾句に妨げられてその向こう側にあるはずの意味にまで到達するのに手間取り、読書のテンポが著しく損なわれてしまう。古典の翻訳文となれば、なおさら文意が頭に入ってくる速度は遅くなる。「メリベウスの物語」などは、始点と終点がなくその中間が修飾句で不格好に膨れ上がっている文字の集塊のようにしか思えなかった。

    神学という形而上学的な観念体系は、キリスト教の無数の抽象概念によって大伽藍の如く厳格かつ複雑精緻に構築されていながら、その実は中心の一点に空虚を抱え込まざるを得ないという不可避の論理的矛盾を内包している。逆に云えば、その空虚な中心を隠蔽し粉飾するためにこそ、神学という大伽藍が必要とされた。修辞学の冗長さは、神学の空虚さを補完する役割を担っていたのではないか。

    0
    2018年11月28日
  • 完訳 カンタベリー物語 上

    Posted by ブクログ

    面白く無い訳じゃないけど、期待してたほどじゃないという感じ。

    でも、解説を読んで改めて考えてみるとなるほどこれがどういう意味で評価されているのかがよくわかる。

    軽いタッチの短編を登場人物たちの語りという形式で統合した作品なのだが、そこには当時の科学的見識が満載。

    著者であるチョーサーの博識ぶりが伺える。

    語り口の軽妙さもおしゃれで、センスがいい。

    おそらく僕の知識では本作のすごさを理解しきれないため、この程度の評価になってしまうのだろう。

    今後、いろいろな本を読んで行ったら、僕自身のレベルアップにしたがって段階的に評価の上がっていく作品なのかもしれない。

    0
    2013年06月19日
  • 完訳 カンタベリー物語 上

    Posted by ブクログ

    かなり昔に読んだ本
    ファンタジーってジャンルとは 違うと思うけど まぁ細かいことは・・

    ファンタジーをよく読んでいた頃に やはり読んだものです
    定番というか あまりにも有名なので読んでいて損はないのでは?と思います^^

    0
    2013年01月06日
  • 完訳 カンタベリー物語 下

    Posted by ブクログ

    長えええええええええええええ!!しかも文字小さいよさすが岩波文庫さん。読み終わるのに1カ月ちょいかかってしまった。
    というか、訳注が膨大。こんなにくわしく調べた訳者桝井さんに敬礼!
    さて『デカメロン』の影響で書かれたといわれるこのお話。私はどちらかというと、小さい頃読んだ『クレヨン王国』シリーズのたんぽぽ橋のお話を思い出した。
    世界史とキリスト教をかじっているとより楽しめると思う。聖書から引用が多いらしい。
    それも、女性が痛い目にあった話の後には男性が痛い目にあう話をと、構成がとっても素敵だと思った。むしゃくしゃしながら読まなくてよかった。……と思っていたのに、話の順番はチョーサーが最終決定したものではないとのこと。おろろん。
    最後に教区司祭のお話があるが、個人的にチョーサーが一番力を入れたのはこの話なのかな? と思う。
    印象に残ったのは司祭の「汝の敵を憎むよりは、むしろ愛し、善い行いをすることだ。この場合、敵とは異教徒のことである」(要約)という言葉だった。他国には他国の宗教観があって、それは簡単に理解できるものではないと思う。でもこの言葉にはいろいろ考えることがあった。とにかくむやみに人が死なない平和な世界であったら良いな。
    とまあこんな具合に真面目なお話から下ネタまでカバーしてある『カンタベリー物語』はおもしろいお話だった。読んで良かった。

    0
    2019年01月16日
  • 完訳 カンタベリー物語 上

    Posted by ブクログ

    中世ヨーロッパ文学の頂点にいるらしい作品です。
    身分や職業の違う人物たちが巡礼の途中のホテルで一緒になった時に、それぞれがお話をしていくという一種のオムニバスになっています。
    かなり古い作品ですが、これが中々読みやすい。百年戦争のさなかに書かれたとは思えないですね。それぞれの話もバラエティーに富んでいて、ちょっとずつ読んでいくのは中々楽しいものです。

    全3巻 所有

    0
    2009年10月04日
  • 完訳 カンタベリー物語 上

    Posted by ブクログ

    カンタベリーへの巡礼の間、同宿した様々の身分・職業の人間が、旅の退屈しのぎに自分の知っている物語を順に語っていくという、「枠物語」(frame story)の形を取っている。
    そこには皮肉げな笑える話であったり、中世における身分毎の“世界観”を垣間見れるものを感じる。

    0
    2009年10月04日