19世紀は国民国家が確立した時期と言われるが、そのようなときにも、国家、言語、宗教の境界を超えてゆく人々がいた。本書は、そのような境界を生きた人としてイスマイル・ユスバン(1812-1884)という人物を取り上げ、彼の生きた時代の歴史を辿りつつ、その道程・旅路を見ていこうとするものである。
彼は、アフリカ系奴隷の血を引く母と、フランスから来た商人の父との間に、仏領ギアナで生まれ、8歳のときにフランスに渡り教育を受け、青年期にサン=シモン主義の運動に共鳴し共同生活に参加、エジプトに渡り22歳のときにイスラームに入信、その後アルジェリアで通訳から植民地官僚となり、フランスとアルジェリアの融和のために努力したが、失脚。晩年はフランスでアルジェリア時評を行うなどしたが、最後はアルジェで没し、キリスト教墓地に埋葬された。
このような経歴の彼であるが、著者が言うように彼は決して高名な人物ではなく、没後長い間忘れ去られていたとのこと。そのような人物が歴史家に注目されるようになってきたのも、ポストコロニアリズム、オリエンタリズムという新しい波がきっと影響しているのだろう。
本書では彼の人生の節目節目を彼の残した記録や文章を基に辿っていくのだが、あわせてその背後にある時代、社会についてコンパクトに説明がなされる。ユルバンの生地仏領ギアナの歴史と肌色の階層秩序、フランスにおけるサン=シモン主義の運動状況、マグリブ諸国と西欧諸国の関係、中でもフランスによるアルジェリア征服、キリスト教とイスラームの関係などについて、簡潔にまとめられている。
アルジェリアのフランスからの独立戦争が熾烈なのであったことは知っていたのだが、アルジェリアがフランスの植民地の中でも特別な位置にあったことの背景を、本書を読んで知ることができた。
また、ユルバンと対比される人物として、レオン・ロシュが取り上げられているのは興味深かった。幕末に徳川幕府に肩入れしたことで有名な、あのロシュである。彼は、アルジェリアに進駐したフランスの通訳となり、外交官に転じてモロッコ、リビア、チュニジアに駐在するという経歴を持っていた。ユルバンとロシュは直接交わった訳ではないが、同時代を地中海域で過ごしていたのだ。
本書は、グローバルヒストリーのシリーズの一冊。新しい歴史学の面白みを十分味わうことができると思う。