狩猟の伝承に留まらず、日本の狩猟の歴史や文化、狩の位置付け、信仰や仏教との関係など多岐に渡る調査・考察が記されている。
狩は縄文時代から行われていたが弥生時代になると農耕が中心となる。狩は熊の肝や鹿の角など薬用や占い、狸の皮は冬靴用のため、兎は筆の毛のために狩りが行われていた。また武士の軍事演習として鹿を狩る弓による巻狩が行われた。狼や狐や猿、猫はあまり狩るのが好まれなかった。鹿や猿、狼や狐は神の使いとされることもあり供物を行ったり祀られてもきた。奄美大島では神聖なものをカミナガシと言い至高神の使いとし鼠もカミナガシとされていた、鳥獣と人の関わりは時代や道具の発達や暮らしの変化によって移り変わってきた。
蛇については大蛇が姿を現したという伝説が各地にあるが梅雨の時期の山抜け(山地の崩落の土石流)を大蛇の通り跡と見なされていたといわれる。
明治に入り軍用銃が払い下げられ広く普及し効率的な狩が可能となり、また生活の西洋化で毛皮の需要が生まれ肉食も広まり森林の開拓が進むと鳥獣は減少し、法律の保護による規制がかかるようになった。
猟師が自由に猟をすることを許される由来は複数のルーツがあり、日光権現が赤城明神を倒すのに加勢したことから狩の自由が認められたという由来と、山の神のお産を助けたお礼という由来と、高野山由来の獣を人間の一部とし成仏させる引導を渡す役目を果たすという由来がある。
山の世界と里の世界は別と見做され、山言葉と里言葉は使い分けられており、山においては歌を歌わない、忌み言葉を使わない、一声呼びに応じない、巻物を身につけ獲物が取れた時には呪文を唱えたり、雪崩に合いそうな時に使用する、初狩での若いマタギの通過儀礼など独特のしきたりがあった。
「日本山海名産図絵」、早川孝太郎「猪・鹿・狸」、田中喜多美の「山村民俗誌」柳田國男の「後狩詞記」