ヴィトルト・シャブウォフスキのレビュー一覧

  • 踊る熊たち:冷戦後の体制転換にもがく人々

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    兎に角、地名、人名、モノ名が南米や東欧の言葉で書かれており、とても理解するのに時間かかりました。
    私ども資本主義で、しかも遠く離れたアジアで生活してる私には、わからない元共産主義社会で暮らす人々のお話が凄く良くわかりまして、知りたい、もっと知りたい気持ちに駆られまして、三百ページ近くありましたが、一気に2日間で読破しました。
    社会問題に興味ある人には必読です!

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    2026年03月16日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    独裁者が支配する中、いつ殺されるかも分からない状況で飯を作る料理人たちのルポ。
    男らしいガキ大将系の独裁者にはおふくろの味を、インテリ系のコンプレックス持ちには西洋の料理を出すと殺されないという学びを得た

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    2025年01月03日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    料理人の視点から見た独裁者は独裁者ではなかったようにも思える。でも、それは食事の時だけなのかなあ。
    そして、作者さんがすごい。尊敬できるわ…。5人も探し出すことができたなんて…。

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    2024年11月20日
  • 踊る熊たち:冷戦後の体制転換にもがく人々

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    この本は旧共産圏のブルガリアに伝わる「踊る熊」をテーマに、旧共産圏に生きる人々の生活に迫る作品です。

    この本もすごいです・・・!

    ロシアに関する本は山ほどあれど、旧共産圏のその後に関する本というのはそもそもかなり貴重です。

    しかも、その地に伝わってきた「熊の踊り」というのがまさに旧共産圏から「自由」への移行劇を絶妙に象徴しています。

    「踊る熊」を通して私たち自身のあり方も問われる衝撃の作品です。これは名著です。ぜひぜひおすすめしたい作品です。

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    2024年08月19日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    「これでもうわかっただろう、大統領のために働くというのがどういうことか」

    この言葉に集約されている。
    大変面白かった。同じ著者の「踊る熊たち」も素晴らしい本だった。ポーランド人である著者だからこそ書けた内容だと思う。

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    2024年04月24日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    独裁者に気に入られつつも、いつ殺されるか分からない恐怖に怯える

    独裁者のこどもが腹痛をおこし、急ぎ病院に連れて行く話や、仲のよかった友人が実は自分を密告していたり

    もう小説のようなエピソードがたくさん

    一方で独裁者の優しい一面を語る料理人もいる
    決して歪んだ認識というわけでなく、おそらく正しい一面なのだろう

    そういう点も含め素晴らしい
    ハンターハンターの蟻編のストーリーみたいだ

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    2023年08月12日
  • 踊る熊たち:冷戦後の体制転換にもがく人々

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    今年一番、すすめたい本。

    前半はブルガリア・ロマの熊使いの伝統の終焉の、人と熊と。自由は社会の設定ではないのだと感じる。しかし社会の設定は自由な社会を設定しようとする。これは社会の過渡期なのだろうか?そう考えるよりも、自由は能力のように上達させるものなのだろう。

    日本に限らないと思うが、自由は置かれているのに閉塞感が強い。いや、足枷はないがルールがある。社会なら仕方がない質のものはあるだろうけど、問題なものもあるだろう。ただ、案外に好きにすればと放任されている。こういった暮らしを知ると。例外は一旦置いといて。

    便利なのだ。道具だけでなく仕組みも。広い意味での道具が便利で、扱いに注意しなくてもセーフティなものに多く囲まれるようになった。街道一の建具や職人のひ孫の僕は、以前の「道具」を知っているし、その感覚はどことなく身につけた。以前の道具は、付き合い方がうまくならないといけなかった。

    道具で仕事をするのではなく、道具と仕事をしていた。人間が道具の能力に合わせる面があり、素材の都合に合わせる面があった。そしてその結果が匠だった。それを考えると今は、素人向けの道具に囲まれ、多くの人が同じようにそうやれる。そして扱いが悪くても道具を壊してしまったり、大怪我をしてしまうこともだいぶ減った。

    自由を手にするとは、自由さんという道具のようなものとお互いに擦り合わせて、能力が上達することで手にするものなのだろう。便利な道具だらけではその能力のなさに気づきにくく、謙虚な心がなくても、道具はいうことを聞いてくれる。自由力とは慎みや片付けなどの基本動作の筋力アップで付くものだった。今はそれをしにくい。自由という吊るしの完成品、むしろ初心者ほど、効き目が高いものを求める。自分の頭をすてて自由が手に入るものだったが、それこそできない。自我。わがまま。やさしさ社会。

    「自由なのに自由にできないものたち」

    後半は、長くなったので省略する。哲学思想のように難しい文はないので読みやすい本ではある。「読書は好きになる必要がある」。映像画像音声などは便利な道具だ。便利で知を得ることができるが、自由からは遠ざかる。

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    2022年06月19日
  • 厨房から見たロシア:包丁と鍋とおたまで帝国を築く方法

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    ルポルタージュを読むことができるようになって嬉しい。読みやすかった。
    食べるものがない、飢えで苦しんだ時代。
    「こんな場所で言える言葉などない」
    「たいていは夜明け前の日没後に食べていたんだ、煙で厨房の位置がばれないように。」
    切ない。

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    2026年04月15日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    ファーストインパクトは著者のポートレート写真だった。
    「一度料理人になりかけた」というジャーナリストの佇まいは、満面の笑みでもカバーしきれていないほどの強面。こんな人物に訪ねて来られたら、嫌でも口を割らねばなるまい…。
    だが本書でインタビューを受けるのは「独裁者」に仕えていた元料理人たち。強面の来訪とは比べものにならないほど、恐ろしい瞬間に立ち会ってきたはずだ。(何より貴重な生き証人である)

    「世界の運命が動いたとき、鍋の中では何が煮立っていたのか?[中略](料理を)見張っていた料理人たちは横目で何に気付いただろう?」

    ポートレートを皮切りに、そこからは本の構成に魅せられていった。
    著者は各大陸の独裁者(実は結構厳選されている!)に仕えた料理人に、独裁者の人物像や彼らが口にしたものを聞き、時には好物を再現して貰っている。
    面白いのが、「第◯章」の代わりに「朝食」等食事にちなんだ名称で振り分けているところ。その間に提供される一風変わった「オードブル」も、今振り返るとシビれる演出だ。

    朝食:
    スターリンを手本にしていたというサダム・フセインだったが、料理人の口を通すと表だった冷酷さは見られず。
    寧ろ「(フセイン時代のような)強権でしかイラクを統治できない」という世論さえ存在するという…。フセインのイメージが味変した瞬間だった。

    昼餉:
    途中から著者の存在を忘れるほど、オドンデ・オデラの身の上話に聞き入った。イディ・アミンらの料理人として職務を全うし、裏切りに遭ってもなお生き永らえている…。
    天命で定められたかのような人生、もう誰にも乱されずにいて欲しい。

    午餐:
    面白半分で本書を選んだことを後悔した章。人々が音もなく粛清されていくのが自然と映像化され、気分が悪くなった。
    エンヴェル・ホッジャ(アルバニアの独裁者)を知らなかったので、得体の知れない感じが余計恐ろしさに拍車をかけていたのかも。

    夕食:
    カストロさん、2016年までご存命だったんだ…。トップに上がる前は思いつきで食事を摂る人だったらしいけど、食べることは大好きだったそうな。乳製品消費を推進する食育家みたいな一面もあったというのが、あまり独裁者らしくない笑

    デザート:
    本書唯一の女性料理人。取材中は常に笑顔を絶やさず、ポル・ポト時代に笑顔を強いられたせいだと思っていたけど、本心から彼のことを慕っていた…。政権下を生き抜いた一般人との落差が凄くて、今も色々と違和感が拭えない。

    全「メニュー」で共通していたのは、どの独裁者も料理人に親切で厚待遇だったこと。「相手の胃袋を掴む」とはよく言ったもので、料理人が毎日命懸けでメニューを考案するたびに、独裁者は彼らに期待と信頼を寄せていった。

    本書の原題は直訳すると『独裁者に食べさせる方法』になるらしい。「食がその人を作る」と言うように独裁者にも、おふくろの味をはじめ一口食べれば活力が湧く一皿があった。
    同時にその積み重ねが、独裁者を作り上げる一助になってしまうとは…。

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    2024年05月24日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    ネタバレ

    サダム・フセイン、イディ・アミン、エンヴェル・ホッジャ、フィデル・カストロ、ポル・ポト。
    独裁者たちが何を食べてどんな顔を見せていたかを、彼らの専属の元料理人たちが語っている。
    彼らは今もあまり過去を喋りたがらない。食事で何か問題が起きれば自分の命が危ないというギリギリの現場だったようだ。当時一般の人々よりは良い暮らしをしていても、独裁者の身近に仕えていただけに色々と危険も多く、周囲の人に過去を知られることも避けたいと考える人がいてもおかしくない。
    印象的だったのはイディ・アミンの料理人。料理人というより職人のような雰囲気だった。料理の腕と安全性と信頼がすべてであり、失敗は許されない。読む限りでは安定した職業とは決して言えず、権力に翻弄されて激しい人生を送ってきたのだなと思った。
    ポル・ポトの料理人は別の意味で興味深かった。とても盲目的で、私には異様に見える。でも彼女はそうやって命を繋ぎ止めたのだろうし、個人の生き方だからなんとも言えない。これほどの年数が経過しても冷めない愛というのはどういうものなのだろう。真実の愛なのか、そう思いたいだけなのか、それとも自分を守るためのものなのか、興味があるけれど想像するしかない。

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    2024年05月23日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    ネタバレ

    かつて独裁者だった人物、イラク共和国のサダム・フセイン、ウガンダのイディ・アミン、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ、キューバのフィデル・カストロ、カンボジアのポル・ポトの料理人のインタビュー集。

    料理人になった経緯と仕事をしていたときの心理と主人の失脚後の人生は様々。大体は「いつ捨てられるのか、いつ殺されるのか」と怯えながら仕事をしていた。

    その中で一人だけ異彩を放っていたのはポル・ポトの料理人のヨン・ムーン。インタビューされた人間では唯一の女性。彼女はポル・ポトに心酔しきっていた。

    料理人以外の現地の人間にもインタビューを行い、独裁者が当時現地でどう思われていたのか詳しく描かれている。

    少し駆け足で読んだのでまた機会があれば手に取りたい。

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    2023年06月21日
  • 踊る熊たち:冷戦後の体制転換にもがく人々

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    前半が熊使いにまつわる話、後半は共産主義から資本主義に移行して戸惑う人々の話。後半の章ごとに冒頭に差し込まれる前半の言葉が心模様を端的に表している。100%の社会など存在しない。ソ連解体に伴う意識の変化を通じ、社会の成り立ちの基本を見直せる良書。

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    2022年02月14日
  • 踊る熊たち:冷戦後の体制転換にもがく人々

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    鎖の付いた鼻輪を付けられて、男の指示に従って二足で立ち上がり、見せ物として”踊る熊”。動物虐待に他ならないこの伝統は、ブルガリアにおいてかつて脈々と受け継がれていたー過去形を使ったのは、ブルガリアが共産主義から資本主義社会へ展開した後、動物愛護団体によって全ての熊が庇護され、この伝統は消滅したからである。

    では、この熊たちは庇護され、幸福な生活を送っているのかと言えばそうではない。生まれてから長きに渡って鼻輪で拘束された熊たちが自由を味わったとき、自由の重さに耐えきれなくなる。そして熊たちはすっくと立ち上がり、鼻輪で拘束されていたときと同様に、踊ってしまうのだ。

    本書は、ブルガリアのような、かつての共産主義国家が資本主義に転換したことによって、”自由の重さ”に社会が耐えきれなくなっているということを描いたノンフィクション作品である。

    冒頭のブルガリアにはじまり、ウクライナ、ポーランドなど、様々な国を巡りながら、”自由の重さ”、そして”自由の痛さ”がどれだけ人々を痛めつけているかを、知ることになる。

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    2021年06月06日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    久々のノンフィクション。食に関わるものはやはり定期的に買ってしまうな。

    サダム・フセイン、イディ・アミン、エンヴェル・ホッジャ、フィデル・カストロ、ポル・ポトの5人の独裁者の元料理人達が語る、彼らの素顔とは。一国の全権を掌握する独裁者が、恐らく一番無防備になるであろう瞬間、「食事」を供するリスクとリターンはどちらも甚大で、自らの命だけでなく、家族や親類縁者の命を賭す代わりに、金と名誉、要職まで得ることができる。そのようなポジションに就く者たちは、やはりどこか頭一つ抜きん出ていて、独裁者らの胃袋を掴み、懐に入り込む術を知っている。例えば、茶請けに必ず焼きたてのクッキーを添えたり、母の味を再現するために秘密の特訓を重ねたり、不機嫌の兆候を察知するや否や、先回りして好物を作っておいたり。それだけでなく、不都合なことを見て見ぬふりをしたり。むしろ一番最後の能力の方が、料理の腕や気配りよりも重要なのかもしれない。劣っているものは結局インタビューに答えられるまで生き延びられなかっただろうから。

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    2026年02月06日
  • 踊る熊たち:冷戦後の体制転換にもがく人々

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    一部の二部にわかれている。おおまかにいえば、一部では本題にある「踊る熊たち」について、二部では「冷戦後の体制転換にもがく人々」について書かれている。
    この題における熊と人々はアナロジーとしてある。踊る熊たちについては比喩でもなんでもなく、ブルガリアにて熊使いという仕事があり、熊たちに芸をさせていたそうだ。芸を仕込むということは、熊たちからすれば餌をもらえるため生きるには困らないが、時には暴力も振るわれる。しかし、西欧のリベラルな愛護精神が侵入してくればそうはいかない。熊たちは保護された。
    さて、熊たちは自由を手に入れて幸福になったのだろうか。そして人々は?要は旧ソ連崩壊前と後の、旧共産圏の国々における変化についてのルポだ。


    本書の終盤、コソボのドライバーが安全な運転を心がけながら語る。

    「警察が道路交通法に違反した者を公開鞭打ち刑に処したんだ。危険な運転をしていた数人の違反者は銃殺刑になった…。」

    コソボは恐ろしいところだ、と思っただろうか。実は、この話は嘘である。
    ドライバーによる冗談で、この話のあと「あんたたち(西欧人)はなんでも信じる」と続く。このドライバーが言いたいのは、世界はコソボについてなにも知らない、知ってるのはどこにあって何年に戦争があったかどうかくらいだ…というわけである。

    実際、日本人らがどれほどコソボについて、または旧共産圏の国々についてどれほど知っているか、かなり怪しいと思う。西欧人どころではないだろう。上のドライバーは「知ってるのはどこにあって何年に戦争があって…」と言うが、多くの日本人はそれさえ知らないのではないか。このような本を手に取る自分でさえ、場所も年数もはっきり答えられる自信があまりない。

    よって、新鮮な内容ではある。それぞれの国で暮らす人々にとっては凡庸な日々の生活なのかもしれないが。

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    2025年09月24日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    独裁者と呼ばれた人々の料理人から見た世界を覗く、これまで読んだことの無い本だった。

    海外モノは登場人物の名前が覚えられず苦戦することが多いがこの本でも相変わらず苦戦。
    なんども前のページに戻っては「この人誰?」を繰り返した。
    聞いたことのある、程度だった人物の様子がありありと描かれていて、残虐であったところだけでなく人間らしさを知ることが出来たのは発見だった。独裁者も信頼できる人が欲しかったのだなということを知れた。

    これらの話はたかだか60年近く前の話だと思うと心が痛む。日本では高度成長期だった中、食べるものにも困る人がこんなにもいて、こんな食生活だったのかと。

    視野を広げる良い機会となった。

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    2024年11月14日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    独裁者の身近にあって、その食事を作る人たちの証言をまとめた話。
    独裁者達の孤独、独裁者達に仕えることの緊張感が、どの話にも濃密に漂っていました。

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    2024年01月07日
  • 独裁者の料理人:厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

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    ネタバレ

    独裁者の料理人
    厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓

    著者:ヴィトルト・シャブウォフスキ
    訳者:芝田文乃
    白水社
    *著者はポーランド人ジャーナリスト

    サダム・フセインは何万人ものクルド人をガス処刑するよう命じた後、何を食べたのか?200万人近いクメール人が飢え死にしかけていたとき、ポル・ポトは何を食べていたのか?フィデル・カストロは世界を核戦争の瀬戸際に立たせたとき、何を食べていたのか?

    こうした問いに答えを出すため、著者は独裁者に仕えた料理人を探した。4年間で4つの大陸を旅し、フセイン、イディ・アミン(ウガンダ)、シェチェ・パーレ(アルバニア)、カストロ、ポル・ポトの5人に仕えた、6人の料理人に取材した。もちろん、その他の関係者にも取材。

    なお、他に、リビアのカダフィ大佐の元料理人にも取材したが、その時点で本が印刷段階に入っており、また、フセインと話が似ているので掲載は見送った。金日成の元料理人とも連絡が取れたが、電話だけで、会わなかったとしている。

    純粋に独裁者の食生活と料理人の関係に迫ったのは、フセインとアミンぐらいで、あとは料理人の目を通した独裁者たちの生活ぶりや人柄といったところが書かれている。フセイン、アミン、パーレ、ポル・ポトは自らの命を狙っているという理由で、側近を含めて大勢を殺してきた。この本を読む限り、フィデル・カストロだけがまともな人間のように思える。彼は殺さないし、インテリだし、優しかったようだ。それに対し、日本を始め世界中で人気がある盟友のチェ・ゲバラは、結構、きつかったようだ。意外な一面でもあった。

    なかなかに面白い一冊だった・

    (読書メモ)

    1.サダム・フセインの料理人~アブー・アリ

    バグダッドで料理人をしていた彼は、ある日、宮殿で臨時の仕事があると言われ出かけた。すると、フセイン大統領の護衛が現れ、大統領のところに連れていかれ、料理人となった。

    彼の料理は気に入られていたが、フセインは、好まない料理を出されると、まずい、代金を返せと言った。そして、50デイナールが給料から差し引かれた。しかし、後日、機嫌が良くなると、差し引いたことを思い出し、この前差し引いた分を返してやれ、それにもう50足してやりなさい、と言った。

    フセインは、毎年、新車を買ってくれた。三菱、ボルボ、シボレー・セレブリティも持っていた。

    フセインはたまに自分で料理を作って振る舞った。しかし、写真にポーズを取るのが好きなため、そちらに気を取られ、塩を一袋入れたりする。みんなそれを我慢して食べないといけない。

    クェート侵攻後のある年、サダムではなく影武者だという噂をアメリカ人が流しはじめた。数週間後、彼はジャーナリストなどを招き、演説をして本人だと分からせた上で川に入り、泳いで向こう岸まで行き、戻って往復した。見ている者は、川の真ん中にモーター付きの見えないデッキがあって、それがサダムを引っ張っていたのだと言い始めた。それはもちろんデタラメで、サダムの宮殿にはプールがあっていつも朝食前に泳いでいた。

    石油価格に関してクェートはイラクを潰しにかかっていて、フセインは何度も話し合いを求めたが、クェートは応じなかった。クェート侵攻はアメリカと合意の上で行われたことは、誰しもが知っていた。だからパパ・ブッシュが憤慨した時には、全ての国々(周辺国)はイラクに味方した。


    2.イディ・アミンの料理人~オトンデ・オデラ

    オトンデ・オデラは白人の役人夫婦の家でボーイをしていた。働き者でなんでもして、気に入られていた。裕福な白人は本国から料理人を連れて来たが、そこまで裕福でなかったため、オデラが料理好きと知ると料理を担当させた。夫人が料理を教えてくれた。

    1962年、ウガンダが独立。白人たちが去って失業したが、ウガンダ首相ミルトン・オボテの官邸が厨房の従業員を募集していたので応募。白人の料理をうまく作れる料理人がめったにいなかったために採用された。

    やがて、オボテとアミンがクーデターを起こし、彼はオボテ大統領の料理人となった。オボテは1971年、シンガポールへ赴いたが、帰ったらアミンを投獄するつもりだった。アミンは先手を打ち、クーデターを起こした。オデラはアミン大統領の料理人に。

    料理は気に入られ、新車のベンツが贈られるなどしたが、親しかった仕事仲間が殺されるなど、彼はびくついていた。


    3.エンヴェル・ホッジャ(アルバニア)の料理人~(匿名)K

    自動車好きで機械工になりたかったが、党が決めたので料理人に。技師たちのための料理人をしていると、ある日、兵士につれられて別の町へ。ホッジャの別荘へ。1ヶ月間、彼の料理人に。彼はアルバニア料理しか食べなかったし、しかも糖尿病で1日1200カロリーが限度だった。

    気に入らなければ殺される。それまで働いていた女性の料理人は入院したと聞かされた。幸い、なんとか気に入られた。妻のエンヴェルにとくに気に入られた。そして、首都ティラナに転勤、専属料理人に。

    料理は評価されたが、ホッジャから独創的であれと言われる。しなければ殺されると思った。壮年男性に必要な栄養素すべてを1200カロリーに収めるのは至難の業、彼は184センチと大柄で激務をこなしていたし。食餌療法のせいで、彼はいつも腹をすかせ、いつもいらいら。彼の機嫌を見極めて、それに対応するようにした。

    最初の女性料理人は自殺した。原因は不明。2人目は行方不明に。

    Kは生きていたかったので、考えた。彼が子供の頃に母親が作っていたのと同じやり方で料理を作ってだせば、殺されないだろう、と。母親はすでに死んでいたが、兄と同じ家で育った妹のサノから母親の料理を学び、彼は生きのびていけた。


    4.フィデル・カストロの料理人~エラスモとフローレス

    ①エラスモ
    彼は16歳のときに革命の噂を聞き、フィデルの名前を聞いた。多くのキューバ国民同様、彼もバティスタを嫌い、フィデルの歌を歌い、彼に目を瞠った。レストランで働いていたが、革命軍に加わりたいとつてをたどってチェ・ゲバラのところまで行き、加わることができた。ある日、チェからフィデルのボディーガードを命じられたが、料理もちょくちょく作った。すると料理人になることに。

    のちにフィデルの下でやったことは、チェが俺(エラスモ)たちをこき使ったことに比べれば楽な仕事だ。チェはおそろしく気むずかしかった。気に入らないとこっぴどく罵った。フィデルは批判も穏やか、お前には改善の機会があることを意味したが、何も言わなければ二度目の機会はなかった。

    フィデルの欠点は一つある。「つねに何でも一番よく知っている」。野球、政治、灌漑、稲作、チーズ作り、歴史、地理、魚釣りなど、あらゆる分野に精通していると(自分で)思っていたこと。「かの有名な何時間もの演説はまさにこと思い込みから来ていた」。第一書記時代、街の最高級ホテルで食事をしばしばした。革命前までヒルトン系列だったホテルで、料理人たちに延々と調理法を説明。最高の料理人たちは、彼の長広舌に辛抱強く耳を傾けなければならなかった。

    フィデルの父親は革命前に死亡したが、広大な農場を持っていた。フィデルが最初に国有化した農場の一つがその農場。これはガリシア出身のスペイン人だった父親が、キューバにたどりつき、とても貧しい中から築き上げたものだった。また、マエストラ山脈での戦闘中に火を放った巨大なサトウキビのプランテーションのうち、最初に焼けと命じたのは父親のそれだった。母親は決してフィデルを許さなかった。

    フィデルがみずから考案したコブウシと乳牛ホルスタインの交配種は、熱帯ホルスタインと呼ばれることになった。フィデルは暇さえあれば飼育場に足を運び、そこで働く専門家たちに、餌のやり方、牛の扱い方、搾乳方法を教えた。雌牛にいかに受精させるべきかまで。

    すべてが一変したのは1991年、ソビエトが崩壊し、モスクワからの金が一夜にして流れが止まった。
    その数年前、ハバナではこんなジョークが広まった。動物園の「動物に餌を与えるべからず」という注意書きが、「動物の食べ物を盗むべからず」に書きかえられた。ソ連崩壊後は新たなジョークも。動物園の看板には今や「動物を食べるべからず」と書いてある。
    別のジョーク。キューバ革命の三つの成果、それは、医学、教育、スポーツ。三つの失敗、それは朝食、昼食、夕食。

    ②フローレス
    14歳ぐらいのとき、木に登ってマンゴーをもごうとしていた。とりわけ立派な実を傷つけないように、どうやって木から下りようかと思っていると、下に軍用車の列が現れた。名前を聞かれたので答え、欲しいと言われたら渡さなければいけないので「喜んで差し上げます」と言った。男は微笑んで受け取り、「私に贈るんじゃない、革命にだ」と言った。


    5.ポル・ポトの料理人~ヨン・ムーン

    ヨン・ムーンは、同じ学校に通い、兄と知り合いだったピッチ・チェンと結婚した。チェンは学校始まって以来の秀才でムーンのことを気にしていた。ムーンも組織に入っていることを知り、同じ組織人同士で結婚するのがいいと周囲から勧められた。共産主義者同士の結婚だった。

    ポル・ポトはブラザー(同志)・プークと呼ばれ、親しまれていた。ムーンが初めて彼に会った時には、「なんてハンサムな男(ひと)かしら」と思った。彼の風貌や人柄に惹かれていた。一方、ポル・ポトもムーンのことが好きだったとムーンは思っている。しかし、2人とも結婚していた。ポル・ポトの妻はフランス留学中に知り合った年上の女性で「ポナリーおばさん」で、カンボジア人初のバカロレア合格者だった。ポナリーはムーンを気に入ったが、ムーンは彼女が嫌いだった。

    ピッチ・チェンは革命後に中国大使となった。ポル・ポトは妻のムーンに北京へ同行するように命じたが、ムーンはカンボジアにいたい、共産党幹部に料理をし続けたいと思った。しかし、北京に行くと大使館の党細胞書記に任命され、党細胞会議の議長を務めることに。大使である夫の上司となった。

    おかしなことに、北京では2人に料理人がついた。

    やがて2人はカンボジアに呼び戻され、ムーンは癌の治療中のポル・ポトに再び料理を作ることになったが、最後までポル・ポトを信じ、彼が人を殺したなどとは信じなかった。著者が取材の際に何度も大量虐殺をしたと言ったが、聞こうとしなかった。

    2020年に彼女は胃癌で死亡した。

    クメール・ルージュは、人々から眼鏡と靴を取り上げた。どちらも資本主義の遺物であり、人間の個性の表現だと見なした。また、飢えを政治の道具として使った。飢えは不服従に対する罰、よからぬ出自に対する罰、病気に対する罰、革命の役に立たないことに対する罰・・・

    ニクソンは、カンボジアに合わせて50トン以上の爆弾を投下した。これは、二発の原爆を含めた二次大戦における日本に落とした爆弾の3倍。ニクソンはこの爆弾投下を公表しなかった。明るみに出たのは、ウォーターゲート事件の後だった。

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    2023年09月14日