ヴィトルト・シャブウォフスキのレビュー一覧
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今年一番、すすめたい本。
前半はブルガリア・ロマの熊使いの伝統の終焉の、人と熊と。自由は社会の設定ではないのだと感じる。しかし社会の設定は自由な社会を設定しようとする。これは社会の過渡期なのだろうか?そう考えるよりも、自由は能力のように上達させるものなのだろう。
日本に限らないと思うが、自由は置かれているのに閉塞感が強い。いや、足枷はないがルールがある。社会なら仕方がない質のものはあるだろうけど、問題なものもあるだろう。ただ、案外に好きにすればと放任されている。こういった暮らしを知ると。例外は一旦置いといて。
便利なのだ。道具だけでなく仕組みも。広い意味での道具が便利で、扱いに注意しなく -
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ファーストインパクトは著者のポートレート写真だった。
「一度料理人になりかけた」というジャーナリストの佇まいは、満面の笑みでもカバーしきれていないほどの強面。こんな人物に訪ねて来られたら、嫌でも口を割らねばなるまい…。
だが本書でインタビューを受けるのは「独裁者」に仕えていた元料理人たち。強面の来訪とは比べものにならないほど、恐ろしい瞬間に立ち会ってきたはずだ。(何より貴重な生き証人である)
「世界の運命が動いたとき、鍋の中では何が煮立っていたのか?[中略](料理を)見張っていた料理人たちは横目で何に気付いただろう?」
ポートレートを皮切りに、そこからは本の構成に魅せられていった。
著者は -
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ネタバレサダム・フセイン、イディ・アミン、エンヴェル・ホッジャ、フィデル・カストロ、ポル・ポト。
独裁者たちが何を食べてどんな顔を見せていたかを、彼らの専属の元料理人たちが語っている。
彼らは今もあまり過去を喋りたがらない。食事で何か問題が起きれば自分の命が危ないというギリギリの現場だったようだ。当時一般の人々よりは良い暮らしをしていても、独裁者の身近に仕えていただけに色々と危険も多く、周囲の人に過去を知られることも避けたいと考える人がいてもおかしくない。
印象的だったのはイディ・アミンの料理人。料理人というより職人のような雰囲気だった。料理の腕と安全性と信頼がすべてであり、失敗は許されない。読む限り -
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ネタバレかつて独裁者だった人物、イラク共和国のサダム・フセイン、ウガンダのイディ・アミン、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ、キューバのフィデル・カストロ、カンボジアのポル・ポトの料理人のインタビュー集。
料理人になった経緯と仕事をしていたときの心理と主人の失脚後の人生は様々。大体は「いつ捨てられるのか、いつ殺されるのか」と怯えながら仕事をしていた。
その中で一人だけ異彩を放っていたのはポル・ポトの料理人のヨン・ムーン。インタビューされた人間では唯一の女性。彼女はポル・ポトに心酔しきっていた。
料理人以外の現地の人間にもインタビューを行い、独裁者が当時現地でどう思われていたのか詳しく描かれている。 -
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鎖の付いた鼻輪を付けられて、男の指示に従って二足で立ち上がり、見せ物として”踊る熊”。動物虐待に他ならないこの伝統は、ブルガリアにおいてかつて脈々と受け継がれていたー過去形を使ったのは、ブルガリアが共産主義から資本主義社会へ展開した後、動物愛護団体によって全ての熊が庇護され、この伝統は消滅したからである。
では、この熊たちは庇護され、幸福な生活を送っているのかと言えばそうではない。生まれてから長きに渡って鼻輪で拘束された熊たちが自由を味わったとき、自由の重さに耐えきれなくなる。そして熊たちはすっくと立ち上がり、鼻輪で拘束されていたときと同様に、踊ってしまうのだ。
本書は、ブルガリアのような -
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ネタバレ独裁者の料理人
厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓
著者:ヴィトルト・シャブウォフスキ
訳者:芝田文乃
白水社
*著者はポーランド人ジャーナリスト
サダム・フセインは何万人ものクルド人をガス処刑するよう命じた後、何を食べたのか?200万人近いクメール人が飢え死にしかけていたとき、ポル・ポトは何を食べていたのか?フィデル・カストロは世界を核戦争の瀬戸際に立たせたとき、何を食べていたのか?
こうした問いに答えを出すため、著者は独裁者に仕えた料理人を探した。4年間で4つの大陸を旅し、フセイン、イディ・アミン(ウガンダ)、シェチェ・パーレ(アルバニア)、カストロ、ポル・ポトの5人に仕えた、6人の料