少し前に量子力学についてのコラムを読んだ。
量子と言うのは原子や電子、光子などの総称で物質を構成するとても小さな単位のことなんだそうだが、この量子、とてつもなく不可思議なもので、
通常の物理法則が当てはまらず、解っている事って現段階で全容どころか、例えば量子そのものの周りを漂う霞程度のものらしい。
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量子力学に『二重スリット』なる実験があり、詳細はともかく、その実験から導き出される結果は『ある一点』以外完全に同じ条件下で行っても、全く性質の異なった結果になるという事なのだ。
そして、その『ある一点』とは、
『観測』されているか否かだと言う。
いきものではない量子が観測されている状況とそうでない状況では全く異なる結果を出すのだ。
それは何故か?
解っていない。
『虚魚』というこの作品を読み終えて、この量子の事が頭に浮かんだ。
物質の最小単位が人間の介在に呼応して性質を変えるのであれば、この作品の様な事は充分起こり得るんじゃないのか?と。
(知らんけど)
この手の話を端から否定して回る○槻せんせぇに代表されるお年寄り達は沢山いるけれど、何しろ相手は未開の分野である。
昭和から使い古した朽ちたものさしでは測れる筈もないのだ。
そういえば大○せんせぇって、なるほど『蛙』に似てる。海を見たことないのだろう。
先の量子を仮に2分割出来たとして、一方を太陽系の遥か彼方に追いやる。その状況で地球に残された一方に観測付きで同じ実験をすると、太陽系の端の一方も観測されている事がわかるらしい。
しかもノータイムで。
なぜか?
勿論、わかっていない。
着眼が秀逸で面白い作品だったが、個人的には怖さが少し足りなかった。