里見和彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
日本植物学の父、牧野富太郎さんが20歳のときに心構えとしてたてられた、15の赦鞭一撻の現代語訳も知ることができました。
周囲のサポートがあってこそのご生涯だったということです。
ご高齢になられてから初めて歯が抜けてぬけてしまったとか、牛肉とトマトが大好物だったとかいうお話が出てきます。
奥様も牧野さんのことを信じれ続けて、牧野さんの研究を支えられました。
87才で危篤になられましたが、復活しお亡くなりになれれる94才までお仕事をされて、ご活躍されました。
牧野富太郎さんの偉大なご生涯、ご業績は、あの当時の日本の大変恵まれた大きな奇跡だったのかもしれません。
牧野富太郎さんみたいな方が日本人として存在がしてくださったことに、日本人すべてが大きく感謝するべきだと思いました。 -
Posted by ブクログ
牧野富太郎のことは、日本植物学の父、たくさんの新種を発見、命名した人ということくらいは知っていたのだが、初めて伝記を読んだ。
他にもたくさんの伝記が出ているので、それらの中でこの本がどうなのかは分からないが、小学校高学年位から読める伝記としてよくまとまっていたし面白かった。
この人の生涯はドラマになりそう。ただ長生きなので、子役と大人2人で演じるのは難しいかな。
知らなかったこと
・森鴎外と同じ文久二年(1862年)生まれ。漱石より年上なのに、現代の人の感じがするのは長生きしたから。
・土佐の裕福な商家で生まれ、幼くして父母も祖父もなくしたが、祖母に愛され、個性を十分に伸ばす教育をしてもらえた。
・それまで(江戸時代)は植物学という概念はなく、毒や薬、食用となるかどうかを研究する「本草学」だった。植物を科学として分析する植物学は明治以降西洋から入ってきた。
・学校制度ができる前に寺子屋と藩校に通ってかなりの知識を身につけていたが、13歳の頃学校制度が始まり、学校に行くなら小学校から始めなければならなかったため、もの足りず二年でやめた。そのため、富太郎には学歴がなく、ずば抜けた研究者でありながら、今で言う非常勤講師のような仕事を(もちろん薄給)長く続けた。
・26歳で10歳年下の菓子屋の娘と結婚し、13人もの子どもをもうけた。
・正規の大学教授に業績を妬まれ、大学での研究を止められたり才能故の苦労もあった。
・薄給の上に子沢山、研究費には糸目を付けず、後進への面倒見もよく、家計はいつも火の車だった。
・体は非常に丈夫で、ハードワークの連続ながら大病はせず、死の2年前まで野山を歩き、死の直前まで歯も揃っていた。
それにしても、妻の壽衛(すえ)さんは凄い。13人も子どもを産んで(うち7人は死去)、生活費を十分に稼いで来ない富太郎を、待ち合いまで経営して物心両面で支えた。子供たちには父がいかに尊敬できる人物であるか、その仕事が偉大なものかを説き、貧乏でも恥じることはないと言い続けた。
稼ぎは少なくとも、その研究の価値を信じていたのだろうし、植物学のためなら労を惜しまない根気と努力、そして子供のような純粋な心に惚れていたのだろうとしか思えない。でなければ子どもを置いて逃げ出すよ。
そんな伴侶に出会えた運命って不思議。こういう妻じゃなくて、かまってちゃんだったり、自分も楽しみたいと思う妻なら、牧野富太郎の業績も半分になっていたかもしれない。
彼の才能と業績は凄いが、妻がいてくれたからこそ。
しかし、産児制限できていたら、もう少し人生に余裕があったかもしれない。
感慨深い。