遠藤まめたのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読む前、私は「カミングアウト」が理解できなかった。普段、異性愛者がわざわざ伝えないのと同じく、性自認を公にする必要がないだろうと考えていた。自分は周りの人よりLGBTを考えている方だとも思っていた。
カミングアウトする必要がないのは、誰も困らずに暮らせる社会だけであって、今確かに生きづらさ、不安を抱えている人がいる。マジョリティを普通と捉えてマイノリティが無視される環境がほとんどなのが事実。
誰でもできることが自分にはできなくて、苦しい。それは同じように生きる権利が奪われていることになる。
当たり前って何?個性って?いつでも考えてみたけれど、もしかすると考えるのをやめていたかも。考えなくても -
Posted by ブクログ
身近な人ほど言えない。
それは、性に関することだけでなく、悩みであったり不安であったり、自分の中でマイナスなことを親しい人に打ち明けるのは誰しも躊躇ってしまうだろう。私自身、厳密に言うとLGBTではないが、性に関してはかなりのマイノリティであり、読んでいてものすごく共感できた。親にはそれとなく伝えてみたが、理解はされない。親しい友人にはまだ打ち明けられていない。大切な存在だからこそ、否定されるのは怖い。
恋愛についても、同性を好きになると上記と同じようなことが起こる。生きづらい。だが、それもまた自分であるから仕方ないと割り切って生きる。そんな生き方も悪くないと思うのだ。 -
Posted by ブクログ
LGBTに関してはしっかり権利を認めて、普通に過ごしているうちに、薄皮を剥がすように世の中が変わっていくんだと思います。
勝手な偏見かもしれませんが、世代別の代表的なイメージとしては、僕らの曾祖母世代(明治時代)では「言語道断、絶対にゆるすまじ」。祖母世代(大正~戦前)では「そういう人もいるのは知っているが身内にいては困る」、親世代(戦後)では「そういう人も幸せになって欲しい。でも自分の子供は「普通」に生きて欲しい」、そして僕ら世代(団塊~団塊ジュニア)では「色々な人がいるのが当たりまえ。出来れば自分の子供は異性愛であって欲しいけれど、同性愛でも幸せに生きていられれば良い」
と、きっと段階的に