病気や障がいがある子どもにアートを届けるNPO団体「SHJ」の、発足から現在までの活動をまとめた一冊。
固く施錠したアパートの一室で、あるいは見晴らしのいい高台の上にある豪邸のベランダで、またあるいは画材が床中に散らばる薄暗いアトリエの奥で、自分の世界にこもって黙々とキャンバスに向き合う。「アーティスト」という言葉を聞いてまず私が思い浮かべたのは、そういう孤独で静謐な姿だった。
この本は、上記のような「アーティスト」のイメージを完全に覆した。画家であれ、声優であれ、楽器の奏者であれ、SHJに所属するアーティストはみな、作品を「作る」能力に長けているだけでなく、子どもたちを引き込む力、一緒に作品を作りたいと思わせる力も兼ね備えている。彼らは、子どもたちの目が本当に輝く瞬間は、完成した作品を見たときより、自分で何かを作っている最中にこそあると信じ、その瞬間を引き出すことに精力を注ぐ。中には「一緒にやろう」と働きかけることはせず、黙々と作業に没頭する姿を見せ、子どもたちが興味を持つのを待つ、というスタンスのアーティストもいるそうだが、彼らは自分の「見せ方」を知っている。才能とともに、人格も兼ね備えているからこそ為せる技だ。
「HSJ」のメンバーとアーティストは、作品作りの場を提供する。しかし、何に参加するか、どういった形で参加するか、ということは子どもたちに一任している。途中までで終えても、じっと見ているだけでもいい。「それではみなさんご一緒に」というテンションではなく、自分にとって心地良い方法で、無理なく、かつ自主的に、アートに関われるシステムになっている。
「治療だけ受けていればいい、薬を飲んで寝ていればいい。それでは治療に加えて、「退屈」というもう一つの憂鬱を抱えてしまいます。(p.38)」
同じことが続くだけの毎日には、大人であってもいつしか辟易してしまう。好奇心旺盛な子どもたちなら尚更だ。病院内でのアート活動という非日常は、子どもたちの日常に刺激を与えただけでなく、生き生きした彼らの姿を目の当たりにした大人たちにも、変化をもたらした。医師たちが日頃からこっそり練習していた楽器を披露したり、子どもたちと一緒になってウォールアートに取り組んだり、アートとの触れ合いが、医師と患者という互いの立ち位置を超えて、新たな関係性を築く足掛かりになったという。
病院という閉鎖的な施設で、これだけオープンな活動を定着させるのは、並大抵の努力では済まなかったと思う。発足にあたり、病院の問い合わせ窓口でこういう活動がしたいと提案したとき、門前払い同様の対応を受けた様子も記されている。筆者は落胆しながらも、では次は何ができるだろうかとすぐに切り替えた。できない理由を探すのは簡単だ。どうやったらできるか、何だったらできるか、と思考を巡らせることで、新しい世界が開けるのだと改めて感じた。できることが限られているコロナ禍の今だからこそ、余計に心に響く一冊だった。