あらすじ
「今」に没頭する時間が、子どもを、親を、病院を変えた──。
病気や障がいがある子どもに、アートを届けるNPO。
孤独や未来への不安、治療の緊張感のなかで、「患者ではない時間」が生み出したものとは?
笑顔で心の底から笑うこと。驚き感動すること。生きるために必要なこと。
医学や科学にも限界があるが、アートにはその限界を突破する創造的な力がある。
よりよい医療の場の創造的な実践にこそ、未来の社会の種が含まれている。
──軽井沢病院 副院長 稲葉俊郎(『いのちを呼びさますもの』著者)
病院でほとんどの時間を過ごさざるを得ない子どもに関わる全ての方に是非手にとっていただきたい内容です。
コロナ禍でも、いやコロナ禍だからこそ、子ども達の目の輝きを取り戻すアートの力に気づくことでしょう。
──淀川キリスト教病院 副院長、こどもホスピス 鍋谷まこと(『ゆっくり育て子どもたち』著者)
小児病棟の子どもたちの生きる力と笑顔を引き出すSHJ。
アーティストが様々な病気や障がいを持つ一人一人と向き合い、臨機応変に対応して「笑わなかった子が明るくなる」という奇跡を生む。
全国の小児病院に、家庭にスマイルを広めたい。
──京都芸術大学 教授 本間正人(『新版 笑顔のコーチング 子育て77のヒント』著者)
(本文より抜粋)
アートとは、体調がすぐれないときや、気分が落ち込んでいるときであっても、無意識に人が心奪われるもの。
アートに取り組んでいるときは、人は目の前にあるものに没頭し、夢中になれる。アートがあれば、身体に自由がきかなくても、心が自由でいられる。
日常生活のなかにアートがあることで、豊かに生きられる。
【目次】
第1章 患者になってわかったこと
私が患者になった日/家族が入院するということ/なにもできない自分/これからどう生きるのか/病院の入学式
第2章 院内学級という原点
「残された時間」を前にして/院内学級を知っていますか/子どもが入院するということ/病棟で出会った子どもたち/元気だったうちの子がなぜ?/きょうだいの気持ち/お母さんの涙/手づくりウィッグが教えてくれたこと/親も子どもも嬉しいとき/夢中になれる時間/アートで寄り添う
コラム:子どもに告知するということ
第3章 子どもとアートが出会うために
思いがけないところにいた同志/病院ボランティアの壁/灯台もと暗し/病棟にダイナミックな刺激を/現場の硬い表情/まずは、子どもの笑顔から/「プロのアート」とは/夢中をつくるコツ
コラム:子どもの「やりたい」を引き出すために(アーティスト・真鍋麻里さん)
第4章 子どもが変わる、家族が変わる、現場が変わる
表情が変わる──「声をあげて笑った姿を久しぶりに見ました」/行動が変わる──参加しない自由、何回やってもいい自由/大人が変わる──「え? お医者さんがバイオリンやフルートを?」/目に見えない変化/変化が生んだコラボレーション
コラム:治療では、不安や孤独は取り除けない(日本大学医学部附属板橋病院 医師・平井麻衣子さん)
コラム:子どもが子どもでいられる時間を(日本赤十字社医療センター 保育士・赤津美雪さん)
第5章 支援されるだけじゃない!
医療者でない存在として/「生きている」実感/病室で社会貢献/子ども院内放送/盲目の朗読家/「かわいそうな子ども」ではなく/アーティストが受け取るもの/当事者性をめぐる葛藤
コラム:子どもの新たな一面に気づくきっかけ(SHJコーディネーター・五十嵐純子さん)
第6章 その先の支援へ
重症心身障がいの子どもたち/すべては気づきから/在宅の子どものために
おわりに──笑顔のサイクル
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
与えられるだけでは本当の嬉しさは得られない。
これって病気じゃなくても大人でもそうだなと思う。
病気を治すためにケアを受けているだけの毎日が当たり前になっている子どもたちがいることに、そして活動によって生き生きと喜びを取り戻していく様子に、涙が出た。
Posted by ブクログ
病気や障がいがある子どもたちに、プロによるアートを届けるNPOの活動報告。
子どもたちにとってアートや遊びは大切なものであり、自ら能動的に活動することの必要性を思い知る。目の前にいる子どもの笑顔を守る活動。
Posted by ブクログ
何かに没頭することで、その間痛みが和らいだり、不安が和らいだり。
わたしにもそんな経験があり、そんな場所を作りたいと思っている。
病院で懸命に闘う若き勇者たちが、自分の好きなことや興味のあることに、自由に主体的に参加する。
受動的になりがちな教育が、参加型になっていることは、きっと子どもたちの心に少し光がさすだろう。とても素敵な取り組みだと思う。
まだ前例が少ないからか、一人ひとり、一つひとつのエピソードを丁寧に描いていた。
noteやブログを読んでいる感じの本。
Posted by ブクログ
病気や障がいがある子どもにアートを届けるNPO団体「SHJ」の、発足から現在までの活動をまとめた一冊。
固く施錠したアパートの一室で、あるいは見晴らしのいい高台の上にある豪邸のベランダで、またあるいは画材が床中に散らばる薄暗いアトリエの奥で、自分の世界にこもって黙々とキャンバスに向き合う。「アーティスト」という言葉を聞いてまず私が思い浮かべたのは、そういう孤独で静謐な姿だった。
この本は、上記のような「アーティスト」のイメージを完全に覆した。画家であれ、声優であれ、楽器の奏者であれ、SHJに所属するアーティストはみな、作品を「作る」能力に長けているだけでなく、子どもたちを引き込む力、一緒に作品を作りたいと思わせる力も兼ね備えている。彼らは、子どもたちの目が本当に輝く瞬間は、完成した作品を見たときより、自分で何かを作っている最中にこそあると信じ、その瞬間を引き出すことに精力を注ぐ。中には「一緒にやろう」と働きかけることはせず、黙々と作業に没頭する姿を見せ、子どもたちが興味を持つのを待つ、というスタンスのアーティストもいるそうだが、彼らは自分の「見せ方」を知っている。才能とともに、人格も兼ね備えているからこそ為せる技だ。
「HSJ」のメンバーとアーティストは、作品作りの場を提供する。しかし、何に参加するか、どういった形で参加するか、ということは子どもたちに一任している。途中までで終えても、じっと見ているだけでもいい。「それではみなさんご一緒に」というテンションではなく、自分にとって心地良い方法で、無理なく、かつ自主的に、アートに関われるシステムになっている。
「治療だけ受けていればいい、薬を飲んで寝ていればいい。それでは治療に加えて、「退屈」というもう一つの憂鬱を抱えてしまいます。(p.38)」
同じことが続くだけの毎日には、大人であってもいつしか辟易してしまう。好奇心旺盛な子どもたちなら尚更だ。病院内でのアート活動という非日常は、子どもたちの日常に刺激を与えただけでなく、生き生きした彼らの姿を目の当たりにした大人たちにも、変化をもたらした。医師たちが日頃からこっそり練習していた楽器を披露したり、子どもたちと一緒になってウォールアートに取り組んだり、アートとの触れ合いが、医師と患者という互いの立ち位置を超えて、新たな関係性を築く足掛かりになったという。
病院という閉鎖的な施設で、これだけオープンな活動を定着させるのは、並大抵の努力では済まなかったと思う。発足にあたり、病院の問い合わせ窓口でこういう活動がしたいと提案したとき、門前払い同様の対応を受けた様子も記されている。筆者は落胆しながらも、では次は何ができるだろうかとすぐに切り替えた。できない理由を探すのは簡単だ。どうやったらできるか、何だったらできるか、と思考を巡らせることで、新しい世界が開けるのだと改めて感じた。できることが限られているコロナ禍の今だからこそ、余計に心に響く一冊だった。