フランツ・フェルディナントのレビュー一覧

  • オーストリア皇太子の日本日記

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    副題・明治26年夏の記録

    オーストリア皇太子とはフランツ・フェルディナンド。少し前は同名のロックグループがあったが、こちらは非常に有名な、サラエボで妻と共に暗殺され第一次世界大戦の引き金となった人である。暗殺されたのは大正3年(1914)。日本に来たのは明治26年(1893)29歳の時だった。いろいろな国をめぐり自分の目でその政治文化風俗を確かめたかったためだと書いている。

    エリザベート皇后由来のエリザベート皇后号という名の船で10ヶ月に及ぶ旅行の途中、日本記述の部分は7月29日から8月24日。母国オーストリアでは自由に出歩けたが、なんと日本の警戒のきびしいことよ、という記述も見られる。彼

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    2012年06月23日
  • オーストリア皇太子の日本日記

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    第一次世界大戦勃発のきっかけとなった
    オーストリア・ハンガリーの皇太子暗殺。
    その人物が1892年の世界周遊旅行の際に
    日本へ立ち寄った時の紀行文。

    オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者であった、
    フランツ・フェルディナント大公。
    長崎に到着した後、熊本、宮島、京都、大坂、奈良、岐阜、箱根、日光、東京など、
    世界周遊の旅の一環として、日本を訪れた。
    熱烈なる歓迎、異質の文化、堅苦しい式典など、
    自分が見た日本の姿を描いている。
    そして、2万点にもせまる美術品の蒐集も行う。

    この人は、周囲の反対をよそにチェコ人の女官と結婚したんだけど、
    1914年、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボの軍

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    2010年08月29日