倉持麟太郎のレビュー一覧

  • リベラルの敵はリベラルにあり

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    アイデンティティポリティクスについては、アイデンティティという概念の理解が微妙な気がしましたけど、ポリティクスの方は永田町の空気を吸ってる憲法学徒ならではのリアリティと信念を感じる。特に第五章のアツさはまさに見た目に違わぬもので、グイグイ持っていかれました。面白いこといっぱい書いてるし、色々実験してるなぁと。
    グローバルダイニング事件見てると弁護士としてもとても優秀だと思われ、弁護士として事務所経営しながら、これだけの本書いて、いろいろな企画立案実行して、大学でも教鞭取ってるみたいだし、ちょっと超人ですね。
    そのまま丸パクは厳しいけど、ロールモデルとして興味を持ちました。2人の近さを考えれば当然だけれども、水上さんと同類の匂い。
    こういう人がデッドロックしたこの国を見捨てずリブートしようとするモチベーションはどこからくるのかはいつもながら興味が尽きない。
    最近なんか憲法周辺が気になるのよねってことで開いたのですが、憲法の積読を解消する気にさせられた。
    民主主義は最もマシなクソで立憲主義バンザイというのが最近の個人的スタンスだなと再認識させられた。

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    2022年09月04日
  • リベラルの敵はリベラルにあり

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    保守とリベラル。政治の事にちょっとでも関心がある方は、「果たして自分の思想はどちらに近いんだろう」って考えた事が一度はあったと思うのですが、実際はそんなに単純に分けれませんよね。私自身も「どちらかと言えば保守かな」って思う時もあればリベラルって言われてる人の意見に同意する事も多かったりと、良く言えばバランスが取れているのではないでしょうか♪(笑)
    話を戻すと、この本はいっとき世間を騒がせた倉持麟太郎さん著の、日本でリベラルって呼ばれている人達が欧米のリベラルとはだいぶ様相が違っている事(問題点)を指摘しつつ、ではどうすれば日本のリベラルが国民に理解されるかが書かれています。議題は憲法改正や安全保障、ネット社会、AI等、幅広く、著者の見識の広さが判ります。

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    2020年11月06日
  • リベラルの敵はリベラルにあり

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    現在の日本の腐敗した与党の現状、またリベラルを装い機能していない野党、そしてそれらにより運営されている「政治的なるもの」への分析が鋭く面白かった。
    政治への関わり方が考えさせられた。

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    2020年10月26日
  • リベラルの敵はリベラルにあり

    Posted by ブクログ

    現代日本の政治と憲法の問題を、リベラルの視点から光を当てている本。AIやネットと社会の分断や人権の問題も語られている「今、必読」の書!  「リベラル」というワードをネットやラジオ、テレビで聞かない日はない。特に、政治家が自分たちのことを「リベラル」と称することに違和感を長いこと感じていた。そんな時にこの本に出会った。

     新書にしては厚めの350ページ(参考文献頁を除く)。読めば筆者が渾身の力と信念で書いたことが窺われる。読み応えがあった。

     筆者が一番訴えたい最終章に向かって、事前に「アイデンティティの政治」「グローバリズムの副作用」「ネット言論空間における社会の分断」「国会の形骸化や法の支配の空洞化」について丹念に語られていく。

     第一章と第二章では、個別化された尊厳(ジェンダー、貧困、人種等)を承認することによって、「政治的なるもの」が票を獲得し権力の正統性も獲得している現状が描かれる。一方その裏で、共同体はボロボロになり、いよいよ個人が社会維持のための責任を果たさなければならない状況になる。ところが個人はそれを拒絶するのだ。結局「国家」が社会維持のための空白に介入せざるを得なくなり、リベラルがリベラルでいようとしたために国家の介入を許すという矛盾を生む様子が述べられている。なるほどぉと唸ってしまった。筆者は、「偏狭な排外主義や、国内外での拝金主義という歪んだ形で国家観が噴出しないためにも、適切なナショナル・アイデンティティの再形成が急務である。」という。

     第三章と第四章では、AIとネット空間での人権侵害や社会の分断について様々な文献を引用しながら説明されている。特に驚異に感じたのは、選挙で選ばれたわけでもないグローバルなネットワークによって、私たちの生活が監視され統治される時代になっており、これについて責任を追求したり選挙で支配権を剥奪したりすることができない状況になっているということだ。ネットワークの利用者である私たちは、「承認ボタン」をクリックしないとネットワークサービスを受けられない状況であり、仮にこれを拒否した場合、ネットワークに認知されない存在になってしまう。つまり、ネットワークの生態系の外に追いやられてしまう。これが本当に民主的な状況だろうかということだ。これらについては、様々な学者が研究し本も出版されている。紹介されている本をこれから数冊読んでみようと思う。

     第五章は、日本は「法に支配されている国」ではなく「人に支配されている国」であり、与党も野党もそれに気がついているのか気が付いていないのか無頓着であるということを、憲法審査会のあり様を通して述べられている。

     さて、最終章の第六章である。筆者は、ここまでの様々な問題を打破するために「カウンター・デモクラシー」を勧めている。デモなどもこれに含まれるが、筆者が実践している取り組みを提示しながら有効性を訴えている。ただ気になるのは、カウンター・デモクラシーが排外的なポピュリズムに結びつくのではないかという危惧に対して、「ポピュリズムの罠はもう可視化されているのだから、その穴に落ちないように我々自身で気をつければいい。」と言い切っているところである。倉持氏のいう「リベラル=強い個人」であれば仰るとおりだろうが、「弱い生身の個人」はどうするのか説明はない。

     とにかく読み応えのある本であった。今、アメリカ国内が揉めている状況や、中国の覇権、安倍一強にも結びつき、「ああ、そういう事だったのか!」と納得した。しかし、私にとって「リベラル」はまだ胡散臭い。

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    2026年01月18日