玉置美智子のレビュー一覧
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経営者の伝記的な話が好きなために、この手の話をよく読んでしまう。
貞末社長はスゴイわ。創業したのが53歳だったのか。
チャレンジする年齢としては遅いと思うが、この物語を読むと年齢は関係ないように思えてくる。
そして、さらに言うとタミ子夫人もスゴイ。
よく夫に付き合って商売を始めたものだ。
そこからメキメキと会社を成長させ、これだけのブランドに仕立て上げる。
接客、営業面ではタミ子夫人の功績が大きいという。
ニューヨーク出店までが大きな流れとして描かれているが、最後は良雄氏とタミ子夫人との夫婦愛で終わっている点が、この著者の特徴か。
前半部分は貞末氏が、VANなど会社に所属し、鎌倉シャツを立ち上 -
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「鎌倉シャツ」は昔、たまたま第一号の店舗に行ったことがあり、今もなにかと気になる企業だ。創業者の貞末良雄氏は、日経MJなどにもたびたび登場する、ファッション界の論客だ。
鎌倉シャツの成功ストーリーは、よく知られるところだが、個人的に面白かったのは創業以前の物語。
VANが傾いていく過程は、企業倒産の格好の事例である。営業部門と管理部門の力関係などは、どの会社でもアルアルだろう。
伸び悩んで商材が、高い伸び率を記録するーー。それが特定の人物「できる○○の貢献」とされているなら、とくに注意したほうがいい。
「社長賞」も要注意。VANが売上げ至上主義に走りはじめた頃、内部の管理を無視して密か -
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メーカーズシャツ鎌倉の創業者、貞末良雄氏の伝記。1978年に倒産したVANの出身者だったということを初めて知った。ヤオハンやアパレルを経て、53歳で創業。鎌倉駅の近くのコンビニ2階で、妻タミ子氏が一人で立つ店舗から出発。こだわった縫製と4900円という低価格で、雑誌に取り上げられ、創業15年で年間30万着を売る店に成長する。当時の日本のシャツ屋は大手は7社ほどで、その全てが赤字だった。その業界に一石を投じたわけだ。
鶴岡八幡宮の横に移転した鎌倉本店には、オープンしてすぐにVANの石津謙介が訪れ、「庭があってコーヒーも飲める。服だけでなくライフスタイル提案型のショップはまだ日本にはない。画期 -
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鎌倉シャツの創業者である貞松良雄についてつづっている書籍。ヴァンヂャケットに入社し、タミ子との出会い、労働組合から受けるいじめ、商社都合による在庫過多による倒産の経験その後のヤオハン、ヴィレジャージャパン、シーンを経て鎌倉シャツを起業。低価格、単一価格(4900円)でお客様に価値を提供することをモットーにしている。製造するシャツは日本の工場に委託しており、メードインジャパンを訴求する。2012年にはニューヨークマディソンアヴェニューに出店し、銀座でアメリカ人が寿司屋を開店することの違和感と言われていたニューヨークで日本人がシャツ屋を開店することを達成する。また2019年にはアメリカでの成功をひ