「神とは、絶対無限の存在者、いいかえれば、そのおのおのが永遠・無限の表現する無限に多くの属性から成りたつ実体のことである。」
・・・・・・第一部 定義6
この『エティカ』という本は、幾何学的記述によって世界を説明している。
定義、公理、定理、証明で構成される、極めて異質な存在だ。
誤謬なく出来る限り排除し理解してもらうため、この記述法を選択したらしい。
「冗長ではあるが」と本人が言っているので、繰り返し似たような記述があることは、自覚してもなお、これが最善と判断したのだろう。
ただ、読み解くのは、困難を極め自分がどこまで理解できたのか判断しがたい。
それでも、多くの興味深い思想がそこにはあった。
「われわれは、どのような場合にも、ものを善と判断するから、そのものへ努力し、意欲しあるいは衝動を感じあるいは欲求するのではない。むしろ反対に、あるものを善と判断するのは、そもそもわれわれがそれにむかって努力し、意欲し、衝動を感じあるいは欲求するからである。」
・・・・・・第三部 定理9 注解(193頁)
善悪の解釈について、ニーチェのそれに似ていると感じた。
(時系列を考えれば、ニーチェのそれが、スピノザに似ていると表現すべきかもしれない。)
「人間が自然の部分でないということは不可能であり、またそれ自身の本性のみによって認識され、そしてそれの十全な原因であるような変化しかうけないことも不可能である。」
・・・・・・第四部 定理4(306頁)
『神即自然』という言葉で表される汎神論はスピノザの思想の基盤といっていいと思う。
現代では、人間と自然を、対立する関係と表現、理解されることが多いと思う。「人間と自然の共存」を声高に叫ぶ人もいるだろう。共存と表現すること自体、人間と自然を別個のものと捉えているからだ。だが私は、そこに自然の価値を不正に貶める人間の傲慢さ、奢りを感じずにはいられなかった。人間は所詮、自然の一部に過ぎない。構成するパーツであり、人間を含め、全てを包括するのが自然なのだ。誰も「森と木が共存する」などとは言わない。それと同様に「人間と自然の共存」という言葉には違和感と意味の履き違えがある。
スピノザの思想に出会ったときに、私の思想を言語化してくれている、そう思った。
また、スピノザは、その自然そのもの、世界そのものを神と呼び、唯一の実体と解した。
あらゆるモノが神の一部であり、様態なのだと。
これは、よく擬人化される神のイメージとは全く違う解釈であり、八百万の神をもつ日本の伝統的思想にも、他のあらゆる宗教にも相容れない。だが、現代の科学的世界解釈と比較的近しい思想ではないかと思う。
「われわれは第三種の認識によって認識するすべてのことを楽しむ。しかもこの楽しみは、原因としての神の観念をともなっている。」
・・・・・・第五部 定理32(449頁)
「神は自分自身を無限の知的愛をもって愛する」
・・・・・・第五部 定理35(452頁)
世界をより深く正しく認識すること、それこそが神への愛であり。それを行う人間は神の一部であるから。人間の神への愛は、神による自分自身への愛と解することができる。
私がスピノザに好感を持つ理由のひとつに、理性への信頼、あるいは「理性への強い期待」
を感じるからだ。
巻末の最後の言葉を、私はとても気に入っている。
「さて、私がここに到達するために示した道は、きわめてけわしい道であるかのように見えるが、それを見いだすことは不可能ではない。じっさい、まれにしか見いだされないものは、困難であるに違いない。なぜなら、もし幸福が手近なところにあり、たいした労力もかけず見いだされるならば、それをほとんどすべての人がどうして無視することができようか。
とにかくすぐれたものは、すべて希有であるとともに困難である。」
・・・・・・463頁