大石始のレビュー一覧

  • 盆踊りの戦後史 ――「ふるさと」の喪失と創造

    Posted by ブクログ

    ジャパニーズ・ブロック・パーティー!「のどかな熱狂」こそ、盆踊りの真髄


    2年ぶりに、地元の盆踊りに行きました。地域住民のための小規模のお祭で、神社の掲示板や行政のホームページなどでささやかに告知され、出店も4、5軒ほど。神社の境内に櫓が立ち、そのてっぺんから放射状に提灯が吊り下げられ、子どもたちやファミリー層、揃いの浴衣を着た婦人会のみなさまでせまい境内は賑わっていました。進行役のおばちゃんの「次は、東京音頭です〜」なんて放送が流れたり、機材が古いのかメディアが古いのか曲によっては音飛びしてしまうなど、ローカルらしいのどかさ・ゆるさがなんとも自由で平和なものでした。

    しかし小さなお祭とあなどるなかれ、踊る人々は老若男女みな熱狂しており、中心で踊る婦人会の見よう見まねであろうが、ところどころ間違えようが、照れのない堂々とした踊りぶり、響く掛け声。熱狂は伝播し、もちろんわたしも輪に加わらずにいられませんでした。「のどかな熱狂」というこの独特な味わいは、手作り感あふれるこの地元の盆踊りでしか、わたしは感じたことがありません。

    この熱狂はなんなのか、盆踊りとは一体なんなのかを知りたく、購入したのが『盆踊りの戦後史』です。盆踊りの歴史を紐解き、サブカル的視点で読み解いたり、地縁というものが人々の中に育む「帰属意識」にも触れる一冊です。

    近代化より前、盆踊りはそもそも地域の宗教的イベント、郷土芸能でした。また地元民の開放的娯楽でもあり、男女の出会いの場でもあったとのこと。ディスコもクラブもフェスもない時代のこと、盆踊りが生み出す熱狂は凄まじいものであったらしく、風紀の乱れや、その場で生み出される開放的パワーが一揆につながる恐れがある等と時の藩主に問題視され、取り締まりが行われたり、制限を課されたりしました。

    明治維新後、日本が近代化するにあたって外国に見せても恥ずかしくない日本であろうと、さらに取り締まりがきついものになり、盆踊りは一度絶滅の危機を迎えます。しかしその後レコードやラジオの発展により、地元のために行われていた盆踊りはメディアを通じて全国へ波及。新民謡、新舞踊などのムーブメントと結びつき、日本全国に根付くことになります。

    第二次大戦のさなか、不要不急とされ中断していた盆踊りですが、戦後に戦没者慰霊のためや、敗戦ムードの世の中を活性化するために再燃。進駐軍から輸入されたレクリエーションという概念と結びつきます。高度経済成長を経て、団地やニュータウンという伝統から切り離された新しい都市に移り住んだ人々にあらたな地縁を築くため、現在に見られるような手作り感のある「まちの盆踊り」が生まれたとのこと。

    相撲大会で有名な釜ヶ崎の夏祭りが、三角公園で労働者が暇つぶしに始めた相撲が元となったというエピソードも最高で、伝統のはじまりって案外こんなことかもよ、という示唆に富むものでした。それこそ、愛媛県今治市の伝統神事「一人角力(ひとりずもう)」も、はじまりはこんな感じかもしれません。伝統というものは案外、そのはじまりから伝統となりえるような高尚なものではないんじゃないか、なんて。

    何もすべての伝統の向かうべきゴールが、高尚な扱いをされること、すなわち純粋な神事であることや、重要文化財や国宝の指定を受けることではないと思います。歌舞伎、能や文楽なんかと盆踊りとの分かれ目はそこかもしれない。大衆文化、地域の娯楽である道を盆踊りは進みました。それはある意味、伝統という権威や型から自由になる道ではないかと思います。だから教養の必要なく、みんなが楽しめるものになっています。

    この本の中には、ミュージシャンのDE DE MOUSEや、著述家・音楽家の岸野雄一といったいま現在、盆踊りのプロデュースを行う、伝統とモダンを繋ぐ人たちの名前も登場します。この本には登場しませんが他にも、民謡をDJプレイする「俚謡山脈」や「珍盤亭娯楽師匠」、民謡をダンス・ミュージックアレンジで演奏するバンド「民謡クルセイダーズ」など、祭り文化や民謡の再価値化を担うパフォーマーがいます。彼らが参加する盆踊りは、祭囃子が日本のトラディショナルなダンス・ミュージックであることをあらためて感じさせるものです。盆踊りが、日本に生きる「オレたちのブロック・パーティー」だと思えるような熱狂がそこにあります。

    2020年に発行されたこの本は、当然ながら新型コロナショック真っ只中の、盆踊り業界の惨状に触れないわけがありません。しかしあれから6年たった今、コロナを乗り越えて盆踊りは戻ってきたと私は思います。冒頭で書いた地元の盆踊りの現場がそれを表しています。

    現代風にアレンジされた音頭や民謡はキャッチーで若い人たちも親しみやすいもの。しかし、正調の伝統音楽が持つ本来の調子というものも、けして軽んじられるものではありません。正調も、アレンジ風も、『オバQ音頭』や『ダンシング・ヒーロー』も、平等に共有される多様性。これこそが盆踊りの強さです。派手なフェスや有名な祭りイベントでない、ささやかな地元の盆踊りに、ぜひあらゆる人が参加してほしいと願います。

    0
    2026年08月31日
  • 盆踊りの戦後史 ――「ふるさと」の喪失と創造

    Posted by ブクログ

    戦時中やコロナ禍で、
    途絶えたこともある盆踊りの興亡が読めておもしろかった。
    東日本大震災後の復活や、
    地域おこしとして、
    盆踊りが果たしてきた役割が読める。
    盆踊りの音楽が聞こえてくると、
    どこかノスタルジーな気持ちになるし、
    できることならなくならないで欲しいと思うが、
    盆踊りがなくなっていく地域があれば、
    ボン・ジョビで盆踊りなんてニュース見ると、
    伝統に加えた新たな盆踊りが産まれてきて、
    おもしろいなと思った。
    北海道の盆踊りは、
    もともとは、
    炭坑節の「べっちょ踊り」が元になっているらしい。
    炭坑にちなんだ卑猥な歌詞で、
    「べっちょ」とは〇〇〇の意味らしい。
    卑猥な盆唄が、健全化のプロセスを経て、
    現在の北海盆唄になったそうだ。
    せっかくなので、
    卑猥な部分も、
    伝統として受け止めたいと思い、
    べっちょ踊りの卑猥な動画や歌詞がないか
    ネットで検索してみるが見つからない。
    何か規制がかかっているのだろうか。
    参考文献には、
    「盆踊り、乱交の民俗学」という本も紹介されていて、
    ぜひこちらも読んでみたい。

    0
    2026年08月10日
  • 南洋のソングライン 幻の屋久島古謡を追って

    Posted by ブクログ

    屋久島の古い民謡である「まつばんだ」の謎を追う、地域と風土をテーマとする文筆家の大石始氏の著者。屋久島旅行中に読み進めたことも相まって作品への没入感が凄まじかった。

    「温故知新」と感想を一言で片付けてしまうと安っぽく聞こえてしまうが、屋久島に伝わる古謡の源流を辿ることによって見えてくる過去・現在・そして未来。

    同氏の他の著書も読んでみたくなりました。

    0
    2025年11月09日
  • 異界にふれる ニッポンの祭り紀行

    Posted by ブクログ

    日本全国各地のちょっと変わった祭りを紹介♪
    祭りの由来や見どころ等も紹介されていて参考になりました!

    0
    2024年06月23日
  • 奥東京人に会いに行く

    Posted by ブクログ

    奥多摩、浅草、佃島、羽田、大島、青島と、東京の果ての日常生活と伝承を知ることができる。学術的でなく、かといってエッセイでないので、奥東京を知りたいというニーズは満たされた。
    旅をしたくなる本。

    0
    2020年01月29日
  • 奥東京人に会いに行く

    Posted by ブクログ

    丁寧な取材。伝承を聞くのは自分から聞きにいかなきゃいけない。当然、取材を受ける側も昔良いことも悪い事も話せる状況でなくては話せない。著者のコミュ力が羨ましい。 僕はちょっと人間が苦手。対人援助職なんだけどね。だから駄目って訳でなくて、苦手だから援助の受け手の中にある苦しみを推察する事はできる。「理解できるとか」「理解する事が大事」とか言うのを、聞くと虫酸が走ってた。まあ、正確には「理解しようする姿勢と推察する力は大事」なんだけど。人の苦しみが理解できるなんて、援助の受け手に叱られる。
    さて、この本は一言で言えば"東京の中の絶えていく日本の地域文化と香りを見せてくれる本"だと思う。
    著者は、"井の頭公園の「いせや公園店」で遺跡が発見され、その場所で旧石器時代の人達がバーベキューをやっていた"という記事を読み、好奇心を刺激され町を調べるようになった。日本各地に残された伝承や文化も調べるようになり、東京の端っこだけを巡ってみて著書の知らない東京を見つけにいった。端っこを最近のはやりの「奥」と呼んだ。
    第1章:奥多摩 著者の丁寧な取材に好感がもてる。 今でも民話伝承が残るこの地は今後の人口減少で町はどうなるのか。さらなる人口減少に地域そのものが消えてしまうかもしれない。文化や民話伝承が消えてしまうのかもしれないと僕の感想。
    第2章:葛飾区江戸川区
    江戸時代以前の歴史も語られ、現在60代以上の方々に丁寧にインタビューをしている。読みやすい文章に好感がもてる。東京の東側。川が生活に密着していた時代はほんの数十年前であった。自分達の生活から川が離れてきたのは、交通手段やスマホなど伝達手段の変化が大きいと思う。僕は震災などで文明の利器が使えなくなると川が生活の中心になるのかなと夢想してしまった。
    第3章:東京の海羽田
    東京湾の地理だけでなく、様々な魚の宝庫を教えてくれる。そして東京湾に流れ込む隅田川の佃島の河口は羽田と同じように多くの無縁仏が流れる場所であったらしい。戦後、東京で広まった盆踊りの起源との記述。僕は、なるほどと思い感心しました。現代は都市での伝承は人の流動化があるからどの程度語り継がれるのだろうか。
    第4章:伊豆諸島・新島村・青ヶ島村
    題の副題が"最果ての地に生きるということ"とある。ここは昔から流刑地であるが流人は拘束されず様々な文化も持ち込んだらしい。島民は様々な、文化に触れられたようだ。また、どこにも逃げられない中で、絶海の孤島は自然も厳しくシャーマニズム的な儀式などが近年まで残っていた。自然が厳しく危険な場所だからだろう。それでも伝承も絶え少しづつ変化していく。人の生活の仕方が変われば、変化は必然なのだと思う。僕は、一体どう変わっていくのだろうかと想像してしまう。
    著者の大石始氏は武蔵野美術大学を卒業後、レコード店店主をへて音楽雑誌編集部に在籍。約1年間の海外放浪し2008年にフリーランスのライターになった。ならばこの本はインタビューで作成した本ではなくほぼ著者の自筆なのだろう。とても読みやすく感心しました。
    変化の激しい時期の現在。本書は文化伝承の繋ぎ手のような役割も担えるし、エッセイのようにもとらえられる。日本のアニメや映画を愛する人には是非読んでもらいたい。日本の香りというか、雰囲気を少し深く、人によってはより深く知ることができる一冊だと思います。また、僕の"人の心を推察する力"にもなりそうだ。

    0
    2020年01月17日