佐々木玲仁のレビュー一覧
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ネタバレとりあえず、手元に届いた時点で、帯に内田樹先生のお名前があることに「わー!」っと一気に嬉しくなりました。好きなものとすきなものとが実は繋がっている、と知ったときの、この嬉しさって何なんでしょう。
内容は、現役の臨床心理士であり教授の、ご自分と「どうでしょう」の出会いから、その魅力を探っていくというもの。描画法を基本に臨床をやっていらっしゃる方だからか、本文にも構造の図解が要所要所で挿入されているのもわかりやすい。そして、本文の4割が藤やん・うれしーのインタビューというのも、分析云々の前にファンには読んでて楽しく、また「勝手に分析して…」というモヤッと感もなく、すんなり読めるポイントだと思います。
筆者も何度か述べているように、これ一冊で「どうでしょう」の全てが分析されたわけではなく、またそこに「どうでしょう」とも通じる「面白さとは何か」のヒントもあったりと、あ、この本自体が、本書で語られるある構造を有しているのだなと感じます。
いやー面白かった!!一気読み!!
以降、個人の気づきメモ…
ドーナツには“穴が”“ある”(糸井重里?)、枠→ラーメンズ、合気 -
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身内トークって、他人には面白くないけども、共有する時間は長い友人同士では面白い、笑える話ってあると思う。
水曜どうでしょうも、見始めた1回目2回目より見れば見るほど面白く笑えるようになるのは、それと同じ現象のような気がする。
自分の周りにいる友人の面白さって、なかなか人に伝えられない。
それに、身内トークって何回話しても笑えますもんね。
赤の他人、しかもテレビを通して、それが成り立つって、やっぱりすごい事だなと。
二重構造というのは、なんとなーく、いや結構?分かる。
大前提として、4人が何かしら面白い事をやる。
その舞台がヨーロッパなりユーコン川なりであって、ある意味水曜どうでしょう
好きからしたら、舞台ってどうでも良いものでもあると思う。
そして、どんな番組であっても、引いた位置から俯瞰すると、たくさんの人が関わっている。登場人物を絞る事で、キリトリ方を変える事でバラエティとドキュメンタリーとを切り替えているよう感じる。
その切替が意図的でなく、計画的でなく、大泉さんや鈴井さん、藤村さんが行う事
で番組の面白さが出てくるんだろうなと。
一つの番組で二つも味わえちゃうような、そんな感覚。 -
Posted by ブクログ
「何故どうでしょうは面白いのか」をテーマにした本。
筆者は、臨床心理学とカウンセリングが専門分野のようですね。
中身としては、ディレクター2人へのインタビューと放送を一次資料として用いていて、一般書ですので、そんなに難しい内容ではないと思います。
仮説も、分かりやすい内容ですね。ありきたりという意見もあるかもしれませんが。
仮説はあくまで仮説、他の説があってもおかしくないわけで。同じようにこの仮説のフォロワーが出てきて、新しい切り口で分析する方が出てくる、というのもまた、面白い発展の仕方でしょう。
いつか、本当に論文の題材として取り上げられる日がくるかもしれませんね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ興味深い分析だった。水曜どうでしょうの面白さを臨床心理士の著者が紐解く。
背景から丁寧に要点を重ねて、結論までが論理的で分かりやすかった。結論で「分かりやすさ」より「分かりにくさ」を奨めるところが逆説的だが、要するに面白さが分かりにくいためにどうでしょうは面白いのであり、さらに分かりにくいことさえもうまく分かりにくくしていて、一見簡単に見える、と。
うーん、分かりにくい。でも分かりにくいからこそ興味を引き続けることができる、ってことでもある、と。
そして分かりやすく解説しちゃったけど、どうでしょうの面白さは変わらない。こんなことはどうでしょうの一面でしかないのだから。
結論だけ聞いても腑に落ちないが、読めばきっと納得できる。斜に構えて読んだせいか、期待以上のだった。 -
Posted by ブクログ
どうでしょうの面白さを心理学者が考えてみた本。
テレビ番組ってそんなにおもしろい!何度も見たい!とか、って思ったものってほとんどない。でも、どうでしょうはなぜか何となく何回も見てしまう。そして、なんでなのかな?という疑問が自分のなかにもあってたまたま見つけた本。こんなくだらない疑問を真剣に考える心理学者とはどんなもんだろうというところにも興味があった。
内容は、へ~って感じでなかなか面白く読めた。趣旨とは全然関係ないが、藤村(番組ディレクター)が俺の考え方にそっくりな感じがして面白かった。自己分析しているような。数ある部活の中からラグビーを選んだ理由と、俺がなんでこんなに直接的で間接的な人間でないかはもしかしたら関係しているのかも。
この本の内容は「どうしておもしろいのか」という部分に明確な答えは出せていない気もするが、「どうして何度も見てしまうのか」という部分の答えにはなっていると思う。
番組の構造上、視聴者にも居場所を作り出すことで、視聴者にほっとする場所を作っているという事。だから帰りたく(=見たく)なる。そして、なぜ面白いのか、なぜ見てしまうのかが説明できない、わからないというところに、どうでしょうと視聴者の関係の継続性(=見続けてしまう)が担保されていると。特に後者の話は面白かった。ここでは、人間のコミュニケーションはわからないことを明確化する取り組みであって、わかってしまえばコミュニケーションは必要ないということ。だからこそ、視聴者はどうでしょうとのコミュニケーションを続ける(=何度も見てしまう)というようなことだった。
そして、ラストのインタビューのパートはいまいちよくわからなかった。目的をびしっと据えて、そこに向かって、ぶれや遊びなく進んでいく。みたいなそういう生き方や物事の進め方に疑問を呈している感じはしたけど、彼らがいいと思っているやり方がいまいち見えなかった。ただ思ったのは、この前のボランティアフォーラムでの委員をやった時に興梠先生が言っていたことというかやりたい方向と重なる感じはする。僕はあいまいを良しとせず、厳格に目的を定義して効率的にやる、このやり方の方がいいと思っていたが、彼のスタイルは出たとこ勝負で、いろいろありつつ最後に形になればいい。しかも、こっちの求めているものって社会や周りが求めているものと同じとは限らないから、そんなにかっちり筋を通さなくてもいいし、来場者の個々の求めているものが何となく達成できればそれでいい。そんな場の提供だけでいい。くらいの雰囲気すら感じられた。やっている最中、僕からすると何とも”気の抜けた”感じのする企画の目的だった。こんなものに時間やカネをかける意味があるのかとも思った。そんな中、準備段階で企画の目的を絞ることに挑戦したもののあえなく失敗し、当日を迎え、終了後に来場者の声を聴き、反省するとこの、僕が”何とも気の抜けた”と思っていたものやスタイルが、これ以外ありえないんじゃないかという答えになったりしていて。一周して戻ってきたという感じ。この一見すると”何とも気の抜けた”企画というのは、番組の企画だけで見ると、どうでしょうにもつながるような気がする。
いろいろ考えたり感じたりできたが、じゃあ結局どうでしょうのおもしろさってなんなのよ?ヒットする物事の進め方ってなんなのよ?ってところは、さらっと読んだだけではわからなかった。 -
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物語の二重構造 物語+メタ物語
面白いことがあると、人間はどうしてもそれを追ってしまう。でも、カメラがその面白いことに反応すると、画面からはカメラが「にやけて」いることを感じてしまう。目の前に起こっておることをカメラ自身が面白がってしまうと、見ているほうはあまり面白がれない
カメラが動くっていうのは、話を分ける、もう一つの肝心な物語があるんだっていうことの合図になる
反復と偶然
「メタ物語」の繰り返しを成立させるためには、「物語」が繰り返さないことが重要。「物語」レベルでの反復はないけれども、その「物語」を撮りに行って右往左往することはしっかりと反復している。この二重性が「水曜どうでしょう」の不思議な面白さと関連がある
繰り返しの気持ちよさと忌避、または偶然性と必然性という、一見対立することを、「物語」と「メタ物語」にうまく割り振ることで成立している
視聴者ーメタ物語ー物語の3つが、見るー見られるという関係で一直線上に並ぶ。メタ物語は物語を見ているし、視聴者はもちろん、メタ物語と物語の両方を見ている。ここで重要なのは、視聴者から見ると、物語が2つ走っているようには見えない、というか、それが意識されてはいないということ
実際に3つある層が2つしか意識せず、見るー見られるの関係が一つだけしかないというふうに意識すると、3層あるものを2層しかないと思うということは、それぞれの層を「見る」立場と「見られる」立場のどちらかに振り分けなければいけない。そうすると、「物語」はいずれにしても見られる立場だから問題ないとして、視聴者と「メタ物語」は「見る」方の立場として同じ層に入ってしまうことになる
2重の物語を意識しないことによって、視聴者は撮影者と同じ立ち位置に立っているように感じている。この「距離の錯覚」が「水曜どうでしょう」という番組を見るときに視聴者が感じる「身内感」を生み出している
「水曜どうでしょう」を見ているのではなく「体験している」
ファン同士のの会話は、旅の思い出話をしている
分からないものは消費することができない
投影法 心理アセスメント あえて曖昧なものを提示する
曖昧なものを受け取るときには、そこに自分自身を持ちださざるを得なくなる
「面白いもの」を目指そうとすると、その面白さ自体が減ってしまう。それはおそらく「面白いもの」を目指すということで始めてしまうと、「始めた時点で考えていた面白いこと」に囚われてしまうから -
Posted by ブクログ
何故か臨床心理学者が藤村忠寿・嬉野雅道両氏にインタビュー、まさにタイトル通り「水曜どうでしょう」は何故面白いのかについて分析している。
「水曜どうでしょう」、1996年の北海道に突如として現れた破天荒な深夜番組であり、それは徐々に全道に知られることになり、俺が高校生の頃には木曜朝の教室における最初の話題は「夕べの『どうでしょう』観た?」から始まった。それも若者だけではなく、案外高年齢の人々までその知名度は高かったのだ。
そして2012年、「どうでしょう」は北海道を飛び越え、今や全国区レベルの知名度を持つに至った。
しかし人から「『水曜どうでしょう』って番組のことをよく聞くけど、どういうところが面白いの?」と聞かれると、まず間違いなく言葉に詰まるという人は、決して少なくは無いはずだ。
著者である佐々木玲仁氏はふじやん・うれしー(ファンは藤村・嬉野両人をそう呼ぶことが多い。あるいはふ先生、う先生)のご両人に一人6時間にも及ぶインタビューを敢行する。この中で明かされる「どうでしょう」が内包する「物語」と「メタ物語」。そしてふじやんやうれしーに加えて出演者である大泉洋氏と鈴井貴之氏(通称「ミスター」)が果たす、それぞれの役割について分析、「どうでしょう」という番組の要素と構造を徐々に解き明かしていく。
同番組の論評は非常に多いが、カウンセラーによる聞き取りによって論述されるものは唯一無二かも知れない。また、「面白い」という心の動きについて、専らその心の分析を生業とする側と、その心に如何に働きかけるかを生業とする側の対話という点でも、希有の試みであろう。
文章も非常に口語体で非常に親しみやすく、ファンにとってはなんだか「第二のうれしー?」と思わせるかも知れない点もまた興味深い。
余談だが、佐々木氏が「どうでしょう」D陣と初めて対話を行った学校は、実は俺の母校だったりする。
ともあれ、「なんで『どうでしょう』って面白いんだろう?」ということを一度でも疑問に思ったことがある人は、是非手にとって読むと良い一冊だと思う。