安丸良夫のレビュー一覧
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神仏分離令による廃仏毀釈から神道国教化政策の展開と挫折に至る明治維新期宗教=「国民教化」史。神仏分離は単なる「神」と「仏」の分離ではなく、「民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上におき、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするもの」と断じ、神道・仏教のみならず各種の習俗・信仰が受けた影響を明らかにしている。江戸後期の国体神学の成立、幕末諸藩における「廃仏」の実相等の「前史」、真宗(特に東西本願寺)の抵抗や制限付き「信教の自由」の確立過程等の「後史」を含め、基本的史実が過不足なく叙述されており、今もって神仏分離・廃仏毀釈
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[ 内容 ]
維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。
が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。
日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の -
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奈良以前から輸入され、日本の国情に深く根を下ろし、荘園などももって大いに儲け大いに力を得た仏教。
中世、武装し国家に逆らう仏教徒を討伐しようと信長の時代は躍起になっていた。その反面で先進技術と抱き合わせで入ってきた耶蘇教にはある程度寛大な態度がとられたが、秀吉、家康あたりから、死をも恐れぬ耶蘇教の排斥に向かう。
耶蘇教排斥のために、元々排斥の対象であった仏教が利用されるようになったが、天皇を中心とする新国家の建設に神道を利用することが維新政府の意向で決まると、仏教の、来世や死後の世界を説く思想がそれに悖るとみなされ、仏教はまた排斥の対象となる。
結局、仏教排斥に大いに息巻いたのは、長い間仏教の -
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薩長討幕派は新政権の権威確立のため、天皇の神権的絶対性にすがり、国体神学には、その理論的根拠づけを委ねた。
明治政府の新参指導者たちが必要としたのは、天皇を中心とした新しい国家への国民の忠誠心であり、神道的な教説はそのイデオロギー的手段として採用されたにすぎなかった。
天皇家には菩提寺があり、明治維新までの宮中では仏教や陰陽道、俗信などが入り混じった祭祀や行事が行われていた。宮中で行われる神道行事は大嘗祭くらいのものだったのだ。
神道国教化政策は、暴力的ともいえる勢いで行われたが、それは雑で独善的であり、廃仏毀釈の失敗どころか第2次世界大戦での敗北をももたらした。 -
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著者によると,「本書は,神仏分離と廃仏毀釈を通じて,日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた,と主張する」ために書かれたものです。
お寺を回っていると,高い確率で鳥居があったり,しめ縄があったりします。祠もあります。
で,縁起などの解説を読んでいると,廃仏毀釈でここにあった仏像は…とか,神社が移転で…などという文章にもよく出会います。
明治維新の時の神仏分離はどのようにしてなされたのか。そこには,神仏分離だけではなく,神神分離(私の造語)もあっただということが分かります。民衆の中に位置付いていた土着の信仰さえも,国家神道と分けることで,人々の管理を強めていったんだなあと