峯陽一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレマクロ規制予測は歴史なんだな。図表が(色々と)秀逸。2100年という切り口も秀逸。そのあたりが一つの山場なのね。都市への人口流入は死にに行くになるか、労働吸収型家族農業温存。>江戸っぽい。ダイヤモンドが中国と西欧の違いを説明してないのはおっしゃるとおり。さて中国はマクロ寄生する気があるのかないのか。あるように見える。制限選挙や絶対王政は流行らないというが、さてさてどうか。出てきたようにも見える。中国への不安と嫉妬は当然あるし、すでにかなりの日本人は認めていると思うが。アフラシアという義による共同体、を中国がつくれるか。この本、中国語版出てるのかしら。
-
Posted by ブクログ
人間の道徳は、何を根拠に訴えることができるのか。この本では、人権や道徳の基盤としての「尊厳」の歴史を紐解いたあと、カントを参照しながら「尊厳」について著者の解釈を主張する。
とても好きな本だった。
著者は、ヨーロッパにおける尊厳の解釈について、歴史的に4つの解釈がありうるとはじめに説明する。一つ目は、ある身分の人々が持っているとされる「地位としての尊厳」。二つ目は、あらゆるに人間が権利を主張する「本質としての尊厳」。三つ目は、人間の振る舞いの中に厳かな態度を見る「態度としての尊厳」。最後が、三つ目の尊厳から導き出される他者の尊厳に対する「敬意の表現としての尊厳」だ。
著者は、この四つ目の尊厳の存在を、これまで見過ごされてきたものとして特に強調する。そして、道徳的な振る舞いとは、自分自身の持っている尊厳を貶めないこと、自己に対する義務であるという。
正直、ドイツやアメリカの法律、裁判といった具体例を扱った第2章に関しては、ちょっと難しくて分からなかった。もう一度読み直す必要がある。
ただ、この本で面白かったのは、道徳と聞くと、普通は他人のため、他人に対する態度を思い浮かべてしまうが、それとは違った考え方を出しているところだと思う。道徳的に正しいということは、「尊厳ある振る舞い」をすること。それは、他人のいるいないとかとは関係なく、自分自身の中に理由がある……、というようなことを言っているのだと思う。
まだまだ、内容を噛み砕くことができておらず、本当に自分の理解が正しいのかも怪しいが、とにかくすごく魅力的なことを言っているような気がした。
道徳をなぜ守らなくてはならないのか。そういった本質的なことを考える出発点となるヒントをくれる本だった。 -
Posted by ブクログ
南アフリカで黒人をさべつするほうりつの「パスほう」にこうぎして、7000人もの黒人がけいさつしょの前に集まった。けいさつかんがこうぎをやめない黒人にじゅうを打ちまくった。すごくたくさんの人がなくなった。おれは、さべつはやめてほしいって思った。人が死んじゃう。
マンデラさんはさべつとたたかった人だった。自分のことより人のことを考えていたのが、かっこよかった。そういうふうになりたい。「まわりの人のことを考えられるのがすごいです」とマンデラさんに言いたい。
わらっちゃったのは、マンデラさんがマイクを何かの新へいきかと言ったところ。顔がおもしろかった。(小3) -
Posted by ブクログ
「尊厳」をめぐる西欧の歴史をわかりやすく解説。特にカントの考え方、カトリックの考え方、ドイツの基本法の考え方の違いなど興味深かった。
結局、著者は、尊厳の意義として第4の道「人間としての敬い」を選択する。自分を含めた人を「人間」として敬うことが尊厳とする。それこそ、カント、カトリック、ドイツの基本法の多様な尊厳概念の根底にあるとにおわせている。
その結論はよくわかるものの、なぜ「人間としての敬い」が求められるのか。その肝心なところは、自分には読み取れなかった。ヒントは提示したよ、後は自分で考えてみて、ってことなのかもしれないが、少しモヤモヤした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ<目次>
第1部 2100年の世界地図
第1章 22世紀に向かう人口変化
第2章 定常状態への軟着陸
第3章 新たな経済圏と水平移民
第2部 後にいる者が先になる
第4章 ユーラシア大陸の接続性
第5章 大陸と海のフロンティア
第6章 二つのシナリオ
第3部 アフラシアの時代
第7章 汎地域主義の萌芽
第8章 イスラーム
第9章 「南」のコミュニケーション
終章 共同体を想像する
<内容>
人口動態の変化やそれに伴う産業構造の変化に注目して、これから100年先の世界を想像し、どのようにして行けばいいのかを考える本。「アフラシア」とは、これからの100年で人工的に、産業的に伸びていくアジアとアフリカのこと。他の本やネットに書いてあった通り、例えばネット環境は、今までの有線の時代は、インフラに金がかかるためアフリカなどはとても遅れていたが、無線の時代(wi-Fiの時代)は、インフラに金がかからないので、アフリカの若者は、日本以上にスマホなどを持っているし、これは通話よりもコンピュータとして使っているので、これからの数十年で、日本を簡単に追い抜いていくだろう。中国は袖にそこに注目していて、アフリカに多くの投資をしている。欧米は人口的に大きく後退していくので(日本も含めて)、世界経済の主流は「アフレシア」になる。著者は、そこを含めて「世界一体」を想定して、いろいろなことを考えている。言葉や思想、国の体制など。新書でその辺は簡単な記述に終わっているが、一国の覇権とか考えるよりも、世界一体の発展の方が絶対に地球の未来に優しいはずで、SDG´sとかを考える際にも役立つだろう。 -
Posted by ブクログ
峯陽一(1961年~)は、南部アフリカ経済論を専門とするアフリカ地域研究者・国際関係学者で、同志社大学教授。
本書は、2100年には、アジアとアフリカの人びとが世界人口のおよそ4割ずつ、合計8割を占めるという予想に基づいて、2100年に世界はどうなっているのか、どうなっているべきなのか、また、その世界の中で日本の位置付けはどうなっているのか、どうなっているべきなのかを予測、検討したものである。
21世紀最初の年(2001年)の世界の人口は約62.2億人で、うち、アジアは37.8億人、南北アメリカは8.5億人、アフリカは8.4億人、ヨーロッパは7.3億人、オセアニアは0.3億人である。ところが、国連経済社会局人口部の予測によると、21世紀最後の年(2100年)には、世界の人口は111.8億人に増え、そのうち、アジアは47.8億人、アフリカは44.7億人、南北アメリカは12.1億人、ヨーロッパは6.5億人、オセアニアは0.7億人である。即ち、今から100年も経たないうちに、アジアとアフリカが世界人口のおよそ4割ずつ、合計して8割を占めるようになっているのである。
本書では、まず、上記のアジアとアフリカを中心に世界の人口動態について、その予測の確からしさを含めて、検討している。そして次に、アジアとアフリカ(著者はこの2つを括る地理的概念として、歴史家A.トインビーがかつて使った「アフラシア」という言葉を採用している)の歴史と社会経済を概観し、現代においては、経済成長の重点が西方から東方へ回帰しつつあることを指摘し、次いで、アジアとアフリカの国際関係と文化について論じ、最後に、アフラシアという共同体の可能性について述べている。
上記の展開の中で、マルサスの『人口論』、ローマ・クラブの報告書『成長の限界』、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』など、様々な学者の文献が引用されているが、私が強く関心をもったのは、
ドイツの経済学者A.G.フランクの「1400年頃から1800年頃までの4世紀にわたり、世界経済の中心はアジア、とりわけ東アジア、なかでも中国であり、西洋は東洋にぶら下がる周辺部だった」(『リオリエント』(1998年))、米国の経済学者ケネス・ポメランツの「西洋が単独で成長する「大分岐」のプロセスが始まるのは18世紀からのことにすぎず、それ以前は東と西の先進地域、すなわち中国の長江デルタとイングランドは双子のようだった。その後、後者だけが劇的な産業革命の時代を迎えることができたのは、本質的には偶然の結果に過ぎない」(『大分岐』(2000年))、イタリアの経済学者ジョヴァンニ・アリギの「東洋世界とりわけ中国こそが内発的で自然な(アダム・)スミス的経済発展の径路をたどったのであり、西洋世界の方は、軍事力と対外貿易に依存する不自然な発展径路をたどった」(『北京のアダム・スミス』(2007年))などに見られる、西洋の方が本質的に優れていた、あるいは東洋は西洋のモデルからの逸脱だったと主張することは不適切だという考え方が、学術の世界で広く受け入れられるようになってきているということであった。
今後アフラシアの人口が増加し、世界におけるその位置付けが高まっていくであろうことは、直感に合致しており、違和感なく読み進めることができるが、そのアフラシアが、如何にして外にも内にも敵を作らない温和な共同体となっていけるか、日本はそのために何ができるか、考えを深めていくことが最も大事なのだと思う。
(2019年10月了)